長い猛暑の日々が終わり、つわりのピークも過ぎた。


*** 2013年9月5日(木) ***

変な夢を見た。

私は歩いていた。
けっこうな距離…電車でいうと乗り換えがいくつも必要なところを、なぜか延々と歩いていた。
距離の遠い連れがいて、どうも男2人と一緒の3人で歩いているらしかったが、あまりに距離が遠くたまにしか話しかけてこないので、ほとんど私一人で歩いているようなものだった。

連れの一人は、ずいぶん前に付き合って別れた男だった。

現実界では求婚を退けて彼の子供を堕ろしたり、もらったお金で勝手に引っ越したりと、若いなりに色々大変な思いをした。
別れの最後は心が泥沼状態であった。

が、夢の中での私たちはそこそこ楽しく付き合っていたときの平和な関係だった。

もう一人の男は私の知人ではなく、存在はあるが顔は見えない。

大きな地下鉄の駅のようなところから、ショッピングモールの中、薬局の倉庫の中などを
目的も知らずにただ歩いた。

途中、連れの一人が服屋のおねえちゃんをナンパしようとして顔をしかめられ、
こそこそ「クサッ、あいつクサッ!」と言われたのに気づいて、さっき3人でニンニクを大量に食べたことを思い出した。
彼は「ガム買いに行くで!」と私と、離れて歩いていた元彼に伝え、私はそうか、私もガム食べなきゃいけないのか別に今男いらないけど、とうっすら納得してマツキヨの看板を目指した。

入口の自動ドアの扉には求人情報が貼ってあり、脇には求人情報誌もたくさん置いてあった。
私は「ここで働こうかな」と思い拘束時間を見るが、希望よりも時間が長いのであきらめ店内に入った。

ガムガム、と探しながら歩いていたはずなのに、3年くらい前に一緒に住んでいた男が急にあらわれ「元気してる?」と話しかけてきた。
相変わらずの風貌だった。長身、長い髪でかくしている、年々ぽっちゃりしてきた頬。

後ろの棚には、私が家を出たあと彼が一緒に住み始めた女の子がいた。
彼女はたしかグラフィックデザイナーで、私達の共同生活の終盤、彼らが付き合っているのを知って意味不明の嫉妬に燃えたことを思い出し、胸がちょっと苦しくなった。

私は引き続き歩いていく。
さっきの彼はさらっと通り過ぎていったが、なぜかその彼女と一緒に私は歩いていくのだった。
特に話もせずに黙々と歩きながら、どうしてこの人と一緒に歩いているのだろうと疑問に思いながら。

ガムを探していたら、大きな棚の並ぶ倉庫に来てしまった。
いろんなサイズのガムがあるが、包装がザツで違いがイマイチ分からない。
ほかにもガムを見ている女の子が数人いたが、横から手をのばして板ガムの枚数を数える。
触ってみて分かったが、もとどおりにしてあるものの中身の入っていないガムもあるので
正確な枚数をなかなか数えられない。私はなんどか枚数を数えようと試みる。

いつの間にかひとりになっていた。
ガムのチェックに飽いて視線を遠くにやると、店の向こうの方に、連れの元彼が半ズボンでお気楽そうに商品をひやかしているのが見えた。

私の横でガムをみている女の子達が、オーディションの話をしている。
なんのことかわからないけど、思わず聞き耳を立ててしまう。

場面は変わり、私は長机が4つくらい並べてある部屋で、それこそオーディション待ちをしていた。
他にも女の子が5人くらいいて、それぞれに台本を読んだり話をしたりしている。

気がつくと隣に、太っていて中性的な若い印象のおじさんが腰掛けてこっちを見ている。
秋元康の若い頃にアーティスト風味を足したみたいな人。
片手には台本。
なぜかわからないが、彼が
「蜷川実花のお兄さんで映画を撮っている、今話題のアーティスト」で
その映画オーディションの控え室にその人があらわれ、なぜかたまたま私の隣に座っている、という状況を知る。

俺のこと知ってる?  みたいな顔でほほえまれたので、私は何も聞かれていないのに
「もちろん知ってます、蜷川実花さん大好きで、お兄さんの今度の映画もすっごく楽しみです」
と言う。自分が半分は勘でしゃべっていることに気づいている。
自分がこの状況を把握していないことをバレてはいけない、と思って必死だ。

「何か得意なことある?できること」

私は必死に考え
「ベリーダンスやってます。
 先月には暗黒舞踏系の人たちと一緒に白塗りして踊る予定だったんですけど、妊娠しちゃって」
などと答える。
ベリーはつわりで一ヶ月以上休んでいるし、そのイベントの話は実際にあったが、
具体的に誘われも断りも練習もしなかった。例え体調が良くても、今やれと言われてできることでは到底、ない。

「ふ~ん。
「ここにいる子たちはね、たとえばあの子」
彼は向かいにいる女の子を指す。
「これ、この子なんだよ」
と言って手元の台本表表紙に書かれた文字を指す。
『司会:~』と彼女らしき人の名前が書かれている。彼女はテヘッ、って感じで私に笑いかける。
嫌味のない笑顔。
映画関係のパーティの司会らしい。
わたしもずいぶん前に司会業をしていたが、今ではその仕事をしたいという熱意も興味も、できる気がする、という無根拠な自信も失くしている。その仕事に必要不可欠なものたちを少しずつ失い、つまりは挫折した。

「ちょっと知り合いの知り合いでね、進行できる子いるっていうから頼んだんだよね」
彼の言い方にも嫌味はない。
「俺だいたいいつもそうなんだけど、あんまりオーディションとかで選ぶより、
 知り合いとか、たまたま居合わせた人に頼んじゃうんだ。
 ほかになんか、できることある?」

「う~ん…」
「演奏は?」
「できません…」
「一曲でもできるのあるといいよね。
 あの子もさ、踊れるって聞いたから見せてもらうんだよね。」
私の隣をひとつ開けて座る、黒髪おかっぱの女の子を示して言う。
彼女は挑戦者の微笑みを見せる。

私は…
この場で自分をアピールできそうなことを必死で考えてみるが、全く思いつかない。
「なんでもいいんです、かかわりたいんです、やらせてください!」
最後にはそう言えばいいのかと冷静な脳の一片が私に聞いてくるがそんな熱意、ない。
嘘をつく気力もない。

彼と目が合う。どこか残念そうに、優しくほほ笑みかけてくれる。
ほほえまれた私はなぜか胸がいっぱいになって苦しい。哀しみにも似た圧迫。
「これって、世に言うチャンスなのでは?
 こんな有名で憧れている人がたまたま目の前にいて私のことを聞いてくれているのに?!
 ここで何もアピールできないなんて、私ってなんてクズなの…」

頭と心を総動員させても、彼が喜びそうなことは全く思い浮かばない。
悲しい気持ちで私は、精一杯微笑みながら
「…ないですね」
と答える。

笑ってごまかす、という言葉が浮かんだがなお、その場をなんとかやりすごそうとますます穏やかに微笑む努力をする。

…ガムのことはもう、すっかり忘れていた。