もう、だって

ときめいてしまったから


女性としても、ライフスタイルも

憧れのあの人の言葉に



こんなに誰かに響いて届く言葉を

私も発することができるようになりたい






与えたれた仕事に時間を費やして、

大事にしたい時間をおざなりにしているのを

もう放っておくわけにはいかない



仕事も、給与も、

与えていただいていることは認識して

それには本当に感謝している


色んな仕事を任せてもらって、

頼ってもらえて、

信頼していただいているのも知ってる




でもね、

もっと感動して

もっと自由に生きていきたい


その私の想いを拾えるのは私だけ

   


    

誰かに、そして娘に、

自分の理想の世界を生きていくことができるんだよってを見せていく


「適度」「マイペース」

私にとっては、これが譲れない。





SNSを復活させたけれど

あまり触れないようにしてる。



と言うのは、

SNSを見ると素敵な誰かを見ては

「私にはあんなことできないなー」とか

「あの人はこんなにお友達がいていいなぁ」とか

どうしたって比較してしまって

悲しくなったりネガティブになったりする気がしていて、

それは本望ではないから。




投稿も絶対に書きたいことがある時以外は

書かないようにしていたら

何週間も空いてしまう。。。



で、日が空くと

「何か書かないと」って焦る気持ちが出てきたり、

いや、でも何書けばいいのとか、

そんな問答も。。。





何度も気づいて、忘れて、また思い出すのは

焦る必要はないってこと。

ここで自分に重きを置かないで

世の中のスピード(と思ってるのも自分)に

付いて行こうとすると、

これまでと同じことの繰り返し。

私が自分に変化を起こす。


少しずつ外に出ていこうね🐣


私は物事の裏側、
ネガティブな面に注目していたみたい。
それは、冷静な目を持っていたかったからなのだけど。

ネガティブな面を捉えようとするばかりに、
好きなものそのものや
好きな人の言葉以外のものを探って
世の中に対して諦めや疑心暗鬼な思いがあったことに気づいた…。


私の「好き」そのものを
信頼してみよう。
それだけで気分も全然違うし、
受け取れるものが山ほどあると思うよ。

会社勤めを再開して1年。

コロナの影響で在宅勤務になってからもわりと毎日忙しくて、やらなければいけないことも常にある。

それに家事と子供の相手。

たまに疲れて寝込むことはあるけど、それ以外は立ち止まる機会を作れなかった。

これが「充実」だと思っていた。

でも、何かモヤモヤ。

自分の時間や好きなことを楽しむ気力がない。

「やりたいようにやってそうなのに、幸せそうじゃないね」

最近人に言われて一番痛かった言葉。

「矢印があっちこっち向いていて、とっ散らかっている感じ」とも。。。

こういう思ったことをはっきり言ってくれるのは、とても有難い。

 

日々の生活をそつなく過ごすことしかしていなかったことにやっと気づいた。

 

私は「私」っていう輪郭を明確に生きたい。

強く大きくある必要はなくて、柔らかく丸く、甘くでいいのだけど

ぼやけた生き方ではなくはっきりとした意志のある女性。

私はどうやって生きていく?を明確に。

 

 

 

長い不調期。

このタイミングで仕事の契約切替えの返答を求められる。
今思っている不満と不安を上長にぶつけてみたけれど、結局何を言いたいのか、誤解されて受け取られていそう。

自分で再度整理してから伝えようとしてみたけれど、何が課題なのか、何がしんどいのかが見えてこない。
先の見えない不安をぶつけたって、意味がないわ。


自分は今、本当に不調。
通常モードの私ではない。
現状の解決策もみつからない。

こんな時は、
縮小させる。
そして、現状から何か変化を起こさない。
これに限る。
ゆっくりゆっくり。

私、育休やり切っちゃったことに気付きました。

 

ムスメちゃんが動き出すようになったらまた違うのかもしれないけど、
“これまでの私”が考え上げたやりたいことは
やってしまったんだと思う。
 
もちろん、
“これまでの私”が考えられたものは量的に少なかったと思うけど。
 
だから、
“これからの私”は新たなやりたいことを創造していけるし、
または育休を終えて仕事に復帰するのもありなのかもしれない。
 
ただ、せっかく堂々と家にいてベビーと過ごせるこの時間、
有効に使わないと勿体無い気もする。
 
って出た、損得勘定(°_°)
 
「損するから」ではなく、“大好き”と“大嫌い”を徹底しない?
 
一人暮らしの時に感じてたこと。
 
日々の生活に違和感があった。
でも、
自分の理想の生活がどんなものかはわからなくて、
その違和感を拭う方法も知らなかったから、
そのまま目の前の日々を淡々と過ごしていった。
 
そして最近、
育休のゆっくりした毎日の中、
また違和感を感じられるようになった。
 
今の私は、
その違和感を放置してはいけないこと、
自分の理想を創造していった先にそれが現実になることを知っている。
 
自分の「大好き」と「大嫌い」を貫いていけばいい。
 
時には嫌いでなかったものも
「大好き」ではないという理由で排除していかなければならないから、
痛みもたくさん感じるだろう。
 
 

日本の子育ては、暗いイメージショボーン

海外の子育て、
はてはキャサリンの子育て(イメージ)をモデルにしようと思う♡
 

「母が好きなことをやって毎日元気だったら、

 旦那さんや子どもも安心できて

 おうちでしっかり充電できるから元気でいられる」

 

これが理想であり夢だと思っていた。

でも、

これだとまだ「私がしたい」が足りな過ぎるというか、

自分でなく周りへの影響を考えてしまってるんだね。

 

私はどうしたいか、そこにもっとフォーカスしなければ。

 

最近やっと(けっこう遅いけど)

感情の浸り方がわかって実践しているのですが、
そこで自分の本心がみつかってしまいました。

 

その本心は
「子どもと四六時中一緒にいるのが嫌」
でした。

 

そりゃ本心をシカトしていたのだから、

ストレスが溜まって無駄にお菓子食べるし

旦那氏にも当たっちゃうわけだ…orz

 

 

産後も自分の心地良さを大事にするようにしてたけど、
この本心がわかってしまったら

子どもにとっていいことを少しでもやろうとしてた自分が

まだまだいたことに気付きました。


本を読んであげる、

おもちゃで遊んであげる、

歌を歌ってあげる、

とかけっこういっぱいやってたしドクロ

 

 

じゃあこれからはもっと自分優先にって思うと、

ムスメを構ってあげないことで言葉が遅れるんじゃないか、

感情に鈍感な子になってしまうんじゃないかとか

成長への悪影響が心配になって不安になる。

 

こんな感情を感じてるであろう

世の中のお母さん(私の100倍は考えてるよね)って、

やっぱり頑張りすぎじゃない!?涙

 

 

子どもの成長への悪影響を心配してもいい。
その不安もなかったことにしないで、

いたたまれない思いを感じてあげる。


でも、その後やることは、

自分の思いを抑えつけないで大事にすること。
それが私の幸せな人生につながるから。

 

 


今朝旦那氏に

「ごはんを作ってくれるより

 私とムスメが2人っきりの時間を減らしてほしいのー!」
と訴えたけど、無言だった。
これだとまだ私がどうしたいのかがボヤっとしてるから

もっと突き詰めないと。

 

最近ミルクをあまり飲めなくなったムスメちゃん。

 

今度旦那さんに見てもらって私だけ外出したかったから、
それまでに旦那さんからムスメちゃんに
ミルクを飲ませる練習をしてほしいって相談したんだけど、
やらなくていいと。
 
そう言われても私は外出は叶えたかったから
自分でミルク練習をしてました。
飲みの状況は勝率3割ってとこかなショボーン
完全拒否まではいってないけど。。。
 
そんな状況だけど私は出かけたいんだって旦那に伝えた。
彼はいいよと。
 
私「しばらく泣いちゃうかもしれないけど」
旦那「そしたら俺も一緒に泣いてる」
 
そう言われてすぐは何も返せなかったけど、
少しして内側からムカムカってしてきて
「キーッ!」って発狂。
 
翌日は
なんで旦那は私の願いを叶えてくれないんだろ
って悲しくなった。