百年前の「スペイン風邪」
1918年1月から1920年12月まで世界中を一波,二波、と襲い
(二波目の方が強烈だった)5億人が感染したとされ、
(これは当時の世界人口の1/4程度に相当する)
死者数は1,700万人から5,000万人と推計され、
日本でも2300万人が感染し、40万人が死亡した。
「鹿鳴館の華」とうたわれた大山捨松、
芸術座の島村抱月も感染し、亡くなった。
抱月亡き後、ふた月。後追い自殺し「世間をあっと言わせた」のが、
松井須磨子である。
今となっては「スペイン風邪」を直接知る人はいない。
私のじい様の幼年時代のことである。
唯一の男の子で、ほかには女児三人いた。
幼児期に「大事な跡取りを死なせるわけにはいかないと、
親は家からほとんど外へ出さなかった」と、聞いたことがある。