人生に於いて、人に何某かの尋ね事をする場面は数多ある事でしょう。そこで今回は「人生はげーボール?」と題して、その尋ね事に対する成長過程とその変化を見てみたいと思います。
先ず、人はその人生に於いて色々な門(ゲート)を潜り、成長して行くものですね。では、それぞれの通過儀礼に伴い、その一つ一つのステップをゲートボールのゲートにたとえ、一つのゲートを潜るのにどんな成長を求められるのか?を考えてみましょう。
先ずは幼少期所謂初めての親元離れ(保育園や幼稚園)と言うゲートを最初に潜ります。そこに於ける人への物の尋ね方は所謂、未発達(子供)の為、大抵の言葉遣いは許容される訳です。一例を挙げると「ねぇ、先生これ何?」等、勿論幼少期なのでその言葉遣いに対し非を付ける人間は先ず居ない事でしょう。
次に「小学校入学」まだ入学当初ではいじめやその類の物も存在しないため、教師側も寛容で、1.2年次はまだ「先生これ何?」で済んでいきます。しかし、3.4年の中学年や5.6年の高学年になると、そこには小学生なりの「社会」と言う物が形成され、人への物の尋ね方も悪いと、所謂そこに反対者(敵視)と言う概念が入ります。もうここまで来れば、「先生これ何?」と言った表現が受容されなくなって行きます。つまり「大人へのステップ」と言うゲートを潜る訳です。ここでもし年下が「これ何?」等と言おうものなら所謂全員からの無視が入ったりする訳です。
そして、「中学入学」と言うゲートを潜るともう、電車等の運賃は大人料金となり少々大人としての要素が入る為もうここで「先生これ何?」と言う表現はおおよそ似つかわしくない物との扱いを受け、場合によってはその態度如何で「叱責」の対象となる訳です。ここの辺りからいじめと言う物も本格化して行き、自身の相手に取る態度如何によっては、そのい
じめが自身に降りかかる訳です。
舞台を高校に移しましょう。ここではもう、「半分は大人の社会」と言うゲートを潜る為、所謂言葉遣いの悪い物は「排除」されて行きます。もうここまで来て流石に「先生これ何?」と言う表現を用いる人間はおおよそ皆無となる訳です。
そして、次に迎えるのが「社会人であったり大学入学」と言うゲートです。ここでは、所謂逆転現象をそこに生じます。人生で一番留意が必要とされる、所謂「大人社会の仲間入り」と言うゲートを潜ります。ここでもし年下が「これ何?」と言う表現をしたとしましょう。そこから人間は無言で姿を消します。それが1回目とかであれば「〇〇だよ」と寛容姿勢を以て答えてくださる人も或いは居る事でしょう。しかしながらそこに甘んじてその表現を用いる事を自身の意思を以て変えて行かなければ、その時点で待ち構えるのは「孤立」です!そうなる前に是非!日頃の自身の言動を意思を以て変えていく。その必要に迫られる訳です。
そして「社会人」と言うゲート、これはもう厳格極まりない「ゲート」です!面接に受かって入社したところで、年上の先輩と言う存在に「これ何?」等と言おう物なら、その人は酷いと職を失う事になるのです。そして、「ああ!自分が悪かった!」と言う頃には時既に遅し!あっと言う間にその人は孤立して、二度と社会に受け入れられない!と言う厳格極まりないステップが待っているのです。
そして、それは親しき仲でも言われてしまうのです。年下でありながらも年上に向かい「これ何?」と表現すれば誰一人としてその知識を教授する者が居なくなり、自身で気づくまで放っておかれるのです。
如何でしょうか?兎角日本に於いては先輩や年上に礼を尽くす事が求められる社会である故、一歩外に出ればそこには非常に厳格な社会が待っています。是非!気付いてください!自身の言葉の取捨選択は本当にこれで合っているか?と常に吟味出来る人間になってください!そして人生を終え、「天国と言うゲート」を潜る時、その人に一番厳格な評価が待ちかまえます!その「天国のゲート」は非常に狭いです!そこを潜れる様人生のゲートボールをしっかりやっていきましょう!
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