国語と数学は無関係だと思っていませんか?
現代文が難しい…と嘆く高校生たちがいます。
いままでは読めばできたのに、高校生になったらちゃんと読んでるのに答えが出ない。
なぜ?
という類の悩み。
それもそのはず、高校で求められる読解力とは、わりと高度な論理的解釈を伴うからです。
「なんとなく感覚で読んで、感覚で答えていた。」
「傍線部とその周辺だけ見ていれば、まあなんとかなった。」
そんなフィーリング読書程度でまあまあうまくいっていた人も、だんだんと限界を感じ始めるのが高校現代文…特に「論説文」でしょう。
話は変わりますが、高校の数学も中学までのそれとは明らかに異なり、計算やお絵かきではなく「論説」の体を成してきますね。
何かにつけて根拠を伴う記述があり、答えが一つに決まらず、条件別に場合分けして、それぞれの解を示さないといけない。
根拠のない式変形や展開を示してしまうと、「なぜ?」「理由は?」という赤書きとともに大減点を食らう。
結果だけでなく、そこまで導くプロセスの整合性が何より重要視される。
それが高校数学です。
国語に話を戻せば、論説文は論証です。
あるテーマを起案して、作者の結論まで導く論理的なプロセスが記載されている文章が「論説文」という代物です。
したがって当然のことながら、結論だけ読んでもわかりません。
その結論の前には必ず仮説や問題提起があり、具体例を示しながら立証していく段階を分析しながら読み取ることで理解できるのです。
これを「読解」と称します。
そのためには「数学的思考力」の有無が勝敗を分けます。
これは数学の好き嫌いや得手不得手ではありません。
数学的な思考プロセスを有しているかどうかです。
ピンとこない方は、サッカーの好き嫌いと、スポーツのセンスの有無とは違う…と言ったら理解できるでしょうか?
数学という科目は、論理的思考プロセスを学ぶ、最も手っ取り早い科目ということは間違いないです。
だから文理問わず重要科目なのです。
どうしても数学が肌に合わないなら、他の手段で数学的思考力を学ぶ必要がありますね。
最近流行りの「プログラミング思考」なんてもの、その一つと言えるかもしれません。
ミーティングやディベートなどもその有効手段でしょう。
ウイングネットの高校現代文(児玉先生)の講義は、受講生に言わせると「数学」だそうです。
特に現代文を毛嫌いしている理系の学生にとっては、まさに「これが現代文の授業だ!」と感動できる講義だと確信します。
このあたりの学習法で悩んでいる学生たちは、ぜひ当塾でウイングネットを体験してみてください。
入会した瞬間から「今までの自分を変え、新しい自分に生まれ変わる」ための努力をする覚悟で来てくださいね。