周りが口に出していなくても、「小さな摩擦(不満)」はあるもので、それが積み重なると、いざという時に助けてもらえないことがあります。
 
しかも、それは無自覚だから、ある時、目に見える形で一気に相手の態度として出てきてしまいます。
 
 
私の場合、今日の集まりの場で、テーブルのお菓子を人に勧める前に自分の手が伸びたり、人がやったことを自分がやったような話し方をしてしまったり。
 
こんなことを無意識にやって、先輩から指摘されて気付かされました。
 
 
もうすぐ30歳になる、いい歳した大人なのに情けないです。。
 
 
逆に、私のある知人は、友達と真剣に向き合って、謙虚で礼儀も忘れずに関係を築いてきました。
 
だから、いざという時に、助けてくれる・集まってくれる・話を聞いてくれる友人に恵まれています。
 
特に、保険会社の営業をしている時に、私とその友人の「人との向き合い方」の違いを見せつけられました。
 
 
あれから1年経つのに、私は変わっているようで変わっていませんでした。
 
そのことを今回先輩に指摘され、「外でどのように話しているのか?」と散々心配されてしまいました。
 
本当に、情けない、自分も認めざるを得ない、未熟な言動してしまったと思います。
 
自分が未熟で中途半端な接し方だと、相手にもそうされます。
 
だから、
深い関係が築けない、
「あなただから話聞こう」というまで発展しない、
誤解も生じやすい。
 
 
自分の人生には色んな人達との巡り合わせ、接していく関係があります。
 
今の人間関係、人生がうまくいかないのは「今までの自分の行動」の積み重ね方に原因があります。
 
だからといって、できない自分の責めてばかりでは何も変わらないのが現実です。
自分と周りの運気も好転しません。
 
 
痛い思いをしてでも、出来ていない自分と向き合い、人と人との間に何を埋めていくか?
 
 
この間が「擦り傷ができそうな摩擦」より「温かくて、柔らかいもの」の方がいいと思いませんか?
 
私自身これは、あの世に行くまでの課題だと思っています。