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この回のブログは病児(ちなみにうちは小児ネフローゼ症候群の子ども)を持つ母親の、

心の在り方を伝えるブログです。なので薬量や医療内容を克明に記したものではありません。





コロナのあと風くんのあと
夏の恒例母業すべて終了しましたmegggです真顔(娘と友達連れてお泊まりやらなんやら



今月頭、コロナになる前に支援教室の面談に行ってきました


娘は支援教室で先生方とお喋りするのが楽しいとのことで、夏休みなのに宿題を片付ける為に週ニで行くと言ってたくらい

(結局暑すぎて、薬の副作用で今体力のない娘は行けなくなってしまたけど

学校には行けないけどここならって、あの子が安心できる居場所なんだなって感じています



面談でも

○○さん(娘)は色々話してくれるからこちらも来てくれるのが楽しみなんです、他の子達は話してくれない子が多いので、、」と支援教室での様子を聞いていました。


一通り話をされてから

「それで、本人さん学校はどうですか?」と聞かれ



今のところ行くとは言いません。

今もまだ怖いのだと思います。



「そうですか、、、○○さんは他の子と比べると一番学校復帰が早いかなってこちらも期待してしまって、、、ここがぬるま湯の様にならなければいいんですけれど、、



ぬるま湯。♨️



ぬるま湯、でしょうか。


いや ぬるま湯って、ダメなんでしょうか?


ここで優しく見守って下さりながら勉強もみて頂けるのが本当にありがたいと思っています。


私は、あの子達には温めてもらえる場所が必要なんだと思っています。


学校に行かない自分のことを責めている子もいると思うんですね。それは社会に適応しない事を許してくれる大人が周りにほとんどいないからです。


自分を受け容れてくれる場所がある、だからこそ人は次へ進む力が湧いてきます。


立ち上がる力を蓄える為に

人は温かく居心地のよい場所が、ぬるま湯が必要だと思います。



実は私は中学で引きこもりだったんですが、私は親に心のケアをしてもらった事はありませんでした。

何で学校に行けないのか?問いただされるだけで、母に泣かれるばかりでした。


今年の4月に娘が行けなくなったとき私は自分の姿を娘に投影し、恐怖のあまり本人をたくさん責めました。

本人の気持ちを私が一番わかっているはずなのに、そうするしかなかった自分が、とてもとても苦しかったです。


だけど私のその恐怖は幻想で

私が10代20代で経験した大変な人生は、

強い思い込みを元に自分で選び取ってきたものでした。


その自分の経験だけで娘の人生を娘自身を

否定しようとしていたんですね。



元の学校に戻ってもいい

フリースクールに通ってもいい

ここの教室にお世話になってもいい

学校に行かない道を見つけてもいい


勿論ここは学校復帰を目指す機関なので、

長く居られるとそれは趣旨から外れますし、

先生方も困ってしまわれるのはわかっているのですが


それでも、どの道もいいよと伝えています。



先生方からはただラクしている様に見えるのかもしれません。当時の私もそうでしたが、何も喋らず無気力で、不貞腐れ拗ねている態度に見えるのかもしれません。


でも本人達は毎日自分の中で葛藤し「学校に行かないこの先の見えない未来」に不安を抱え苦しんでいる子もいます。


どうかそのまま温かく、本人達が穏やかにふと何かを始めてみたいと思えるその日まで、見守ってあげてもらえませんか。


「学校に行けない自分をそのまま受け容れてくれる場所がある」それだけでいいのです。


娘を受け容れてくれる場所があって本当によかったと思っています。



最後に涙が出てきてしまった。



「お母さんがそこまで考えて下さっているとは知らずに申し訳ありませんでした。○○さん(娘)も他の子達もみんな同じ。自分を責めている子もいる。それはわかっていませんでした。」と先生は仰ってくれました。




ぬるま湯のくだりから、頭でじゃなく身体が勝手に喋りだし止まらなくなってしまったけど


私の中の私がずっと言いたかったこと

わかって欲しかったことを伝えられたのだと

あとからわかった。


そして自分が自分を心からわかってくれたこと


あの頃の私を私が許してくれたこと


それがうれしくて涙が出てきたんだ。




娘が学校に行かなくなって、あんなに自分と娘を責めていた今年の春。


それを超えて今自分がこんな風に思えていたんだなっていう事。そしてそれを誰かに伝えられたという事。


適当に面談の場で話を合わせてもよかった。

わかってはもらえないだろうと、ハイハイうちは別にいいんです〜〜って伝えてもよかったんだけど


本当はこう思っています、を話せたことがうれしかった。たとえ私の思う様に相手に伝わりきってなかったとしても。


居心地の良い場所で甘えさせてもらえるからこそ、何かを始めたい力や気持ちが湧いてくる。


これまでの時代の様な

自分を律し他人を律し

お尻を叩いて向かわせるやり方ではなくて


みんなが温かい場所へと

楽しく軽やかに 自ら向かえる様に


娘が大人になり

もしも子どもが生まれたなら


そうやって最初から許してあげられる環境になっていて欲しい




その為に出来ることは何か



私が私をこれからも許してあげていくことだ。