ご訪問ありがとうございます

今日は、実母とわたしの話しをしていきたいと

思います、、


一言で言うと他人が見れば仲良し母娘だね…って

言われます汗うさぎ

なんで、そう見えるか?

そう!だってわたし努力してるもんにやりにやり


わたしは子供の頃から指定席は

父の横でした。

妹がママっ子で、ずっとべったり、、


旅行や乗り物に乗ってる写真を見返して見ても

わたしは父、妹は母の横ばかりですカメラ


でも、わたしは父が大好きでした(今も好きですよ?笑)

父は何でも知っていて日曜大工も出来て毎週日曜日は一緒に遊んでくれる、、

ザリガニ🦞釣りやバトミントン、凧揚げにコマ回し

ローラースケート🛼などなど

夏には毎年キャンプへ行き🏕海水浴でシュノーケルを使って魚を見たり浮き輪うお座

面白く遊ぶ天才だなと、、

旅行に行ってもめーいっぱい遊び倒します笑

なので、子供の頃にパパの横ばっかり嫌だな…と

いうよりは、助手席に座る自分が誇らしかったりゲラゲラ


10歳の時に弟が産まれましたニコ

わたしは嬉しくて仕方なくお世話も色々しました

ですが、母にべったりだった妹は赤ちゃん返りをし(妹は当時9歳です💦)夜中に吐いたりするようになりました、、わたしは、とても心配でしたショボーン

病院に行くと原因は弟が産まれてママを取られたーって思うストレスからくるものだと、、


そうか、だって妹はママっ子やったしなぁ…

かわいそうやなぁ…

と、思ってましたショボーン


そんなこんなで年月は経ち、、

わたしが中2になった頃、当時では珍しい不登校になりました。

原因は今学校で先輩と友達に嫌な事を言われ無視されたから、、ガーン

母と過ごす時間、、まるで初めて二人きりになったような、、

お手伝いしたり弟と遊んだり

(あぁ、自分って寂しかったんや)と気がついたのがこの時がはじめてでした


高校には行きたいからと中3には頑張って復活し

学校に通いました。

高校では家庭科の専門がある所に行き楽しく勉強してました口笛

秋頃、、わたしが学校から帰ると母は夕飯の準備をしていました

手元を見てみるときゅうり🥒が切りかけのまま立ってました

????どうしたんやろ…

声をかけると少し体調が悪いと、、

じゃあ後の用意は、わたしがするからゆっくり転んでたら?と行ってわたしは食事の用意を交代しました。

次の日も帰ってきたら同じ、、その次の日も、、


わたしは学校を休みました。

弟を幼稚園に送り母と話しました

でも、何かもぬけの殻、、このままやとダメやなと

思い父に相談し心療内科に連れて行く事になりました。

当時、父は仕事がすごく忙しかったんで付き添いは

わたしでした(あんなにママっ子だった妹は反抗期に入り友達と遊びまわり家にいませんでした笑ガーン)

だけど、そんな状況が自分がしっかりしなきゃ!とか自分がいないと母も弟も困る!とか色々思いとにかく支えなければ、、と必死になりました。

頼られてる、必要とされてる、生まれてはじめて味わう感覚、、

今まで自分はこの家にあまり必要ないと思い過ごしてきました。

母は妹と弟ばっかり、、なんで妹と弟がいれば自分は

いなくても大丈夫なんやと真顔

(この当たりから変な共依存が始まり30歳頃の鬱でたおれるまで続きました…)

徐々に回復していきましたが、学校と家の事の両立が難しくなりわたしは高校を辞める決意をしました。

父に話し先生も心配して家まで来て引き止めてくれました。でも、母にも弟にもわたししかいないんです!と

辞める決意は変わらず辞めてバイトを探しバイトしながら家の事をしてました、、


わたしは、元々

家族からそんなに必要とされてないと感じることが多く

早く結婚して家を出て自分の家庭を作りたいと思ってました。

母にはママっ子な妹とはじめての男の子の弟さえいればわたしがいなくても平気なんやと、、


母の調子も戻ってきた頃、旦那さんとバイト先で知り合い(旦那は4歳年上でした)結婚したいと思えるぐらい大好きで離れたくなく、かけおちもどきな事をしてポーン

両家の両親に真剣に思ってる事を伝えました。

わたしの方は話しを聞いてくれ受け入れてくれました。

だけど旦那の方はまだ若いし仕事もバイト、そして三男で義母がとにかく反対でした。

わたしたちは反対を押し切るような形で結婚しました💍

(その後ずっと義母で大変なめに合う日々が待っているとも知らずにゲロー)


なぜか母だけは、賛成してくれ婚姻届を出した日にケーキを買ってくれました。

わたしはすごく嬉しかったんです🎂

それからしばらく実家で同居しながらすごす日々

旦那は父の仕事を一緒にするため弟子入り、、

朝早く起きて母と父と旦那のお弁当を作ったり幸せやなと思える時間がありました!

結婚してよかった、、と


その後しばらくして妊娠がわかり母は喜びましたにっこり

義母たちも妊娠をきっかけに少しずつ距離を縮めていきました

息子が産まれおねだり慣れない育児を頑張りました。

わたしは(若いからとか最近の若い子の子供やから常識がないとか言われたくなく)とても必死でした


すぐに娘も妊娠しバタバタと出産ほんわか

実家からから近くのハイツ暮しをしました

(旦那も地元なんで義実家からも近いです)

息子、娘がとにかくかわいくてバタバタしながらも充実していました。

でも母は、自分優先で「今日しんどいからご飯作って」

「弟の面倒見て」と、、

結局離れたけど行き来だけでも年子の子供を連れて大変なんで泊まったりする事が多くなりました。


そんな時このままやとダメやと思い子供がたくさん住んでそうなハイツに引っ越ししました(*^^*)

同年代の子供たちがいっぱい

先輩ママさんもいるし心強かったです!


このハイツも実家から300メートルぐらいの距離、、

弟の不登校で学園(不登校の子供が行く場所)に連れて行くのもわたし、ご飯の用意もわたし、片付けもわたし、

呼ばれたらすぐ行くという日々を送ってました。

この頃、母はわたしに対して人一倍当たりが強く平気で罵り何をしても「ありがとう」と言われた事もなく、、

でもわたしが要求に答えないと無視、、

子供たちまで無視されたらかわいそうやからと自分が我慢すればいいとずっと思いながら過ごしていました。


ほんの少し子供たちの面倒を見ると

してあげたと恩着せがましい…

ハイツのママ友のお母さんたちはみんな優しい、、

孫をかわいがりいつでも面倒を見てくれご飯のおかずをもらったり何か買ってもらったりが普通

これが普通なん?

わたしの普通とは全然違う、、

1回でもわたしが母の要求通りにしないと無視される日々。なのにご飯は作らないとダメ🙅

こんな日々に疲れよく子供たちが寝たあとに旦那さんに話しを聞いてもらいながら泣いていました。


長くなるので続きは

また書きます花花


ここまで読んでくださりありがとうございました{emoji:669_char4.png.笑ううさぎ}