「明治30年から続くリンゴ栽培の歴史を守ってほしい…」

 

農業に関わり、長野県各地のリンゴ栽培の取材もしてきましたので、台風19号の千曲川氾濫で長野市のリンゴ畑が土砂に埋もれたままの状況には心を痛めています。

昔、地元企業の記念誌編纂のために読んだ本に、この地域のリンゴ栽培のことが書かれていたのを思い出し、改めて資料から探しました。

「信州の特産と鉄道」松崎正治著です。

                         アグリながぬま直売所(昨年秋)

 

長野県は、青森県に続くリンゴ生産量の産地です。

明治10年前後からリンゴの栽培を全国で試みる無償・有償の苗配布がはじまり、信州の風土にリンゴが馴染んだことから、栽培が増えたようです。

この地域では、明治30年に千曲川が氾濫し、常習水害地帯の赤沼に住む高見沢源太郎氏がその年にリンゴ栽培をはじめたそうです。

その後、リンゴ栽培は急速に増え、明治末には当時ひとつの村としては県下最大の産地になったそうです。(80ha)

 

昭和20年代には、りんごが“金のなる木”と呼ばれた時代もあり、生産者が品種改良に挑む時代、病虫害に惑う時代…と、長い栽培の歴史を刻んできました。

この地域を通る部分の国道18号線は「アップルライン」と呼ばれ、リンゴ畑が沿道に続き、直売店も並んでいます。

 

現在は…、

住まいを埋めた土砂の処理作業が膨大過ぎて、リンゴ畑を埋めた土砂にまで手が回らない方が多いそうです。

被災されたリンゴ農家さんの個々の現状が、ブログを通して少しずつ分かってきました。

リンゴ産地の存続のために奮闘する若手生産者の皆さんも報道されています。

私も、自分は何をすればよいか、考えています。

今できることは、書いてキモチを伝えることくらい…。今は…。

歴史をつなぐ“栽培意欲”を応援しています。

      ★リンゴ産地の復興のために…

https://www3.nhk.or.jp/lnews/nagano/20191029/1010011299.html