「良かれと思って」が、娘の自律を殺していたことに気づいた日
最近、ふと思い出すことがあります。数年前、娘がひどい生理痛で学校に行けず、うずくまっていたあの日のこと。当時の私は、ただただ焦っていました。「かわいそう」「なんとかしてあげなきゃ」そんな思いで、迷わず手に取ったのが低用量ピルという『正解』でした。🔸 🔸 🔸 🔸 🔸 🔸 🔸 🔸 🔸 🔸 🔸 🔸 実はその頃の私自身も、迷路の中にいました。ネットビジネスの広告に出てくる「主婦でも月30万」「スマホ一台で」というキラキラした言葉を信じ、次から次へと新しいノウハウを買い漁っていたんです。自分の人生をどうにかしたい。でも、どうすればいいか分からないから、誰かが提示してくれる「正解」に、私の人生のハンドルを丸ごと預けていました。🔸 🔸 🔸 🔸 🔸 🔸 🔸 🔸 🔸 🔸 🔸 🔸ある日、ピルを飲んで眠る娘の横顔を見ていて、ゾッとしたんです。「私は娘を助けたいんじゃない。娘をケアしなきゃいけない『自分の不安』を、薬で手っ取り早く消したかっただけじゃないか?」私がビジネスで新しい教材を買って安心していたのと、娘にピルを飲ませて安心していたのは、根っこが同じでした。どちらも、「立ち止まって考えること」を放棄した、私の怠慢だった。🔸 🔸 🔸 🔸 🔸 🔸 🔸 🔸 🔸 🔸 🔸 🔸ピルを否定したいわけではありません。ただ、安易に「正解」という魔法の杖を振るたびに、私たちは自分自身で立ち上がる力を少しずつ失っているのではないか。今は、情報の檻から一歩外に出て、身体という「物理」から自分を立て直しています。あの日、必死にノウハウを追いかけていた自分に、そして娘に、今の私ならなんて声をかけるだろう。そんなことを、静かに考えています。💡追伸:私が「母としての怠慢」に気づき、情報の檻を抜けるまでの過程を、一通の手紙(レポート)にまとめました。誰かに依存せず、自分の足で立ちたいと願う方へ。私の恥ずべき失敗が、何かのヒントになれば幸いです。▶︎ 1万文字のレポートをこちらから受け取れます