夏だった。
忘れたくない風景を
指で作ったフレームの中に
そっと閉じ込めた。
ほんの少しの偶然と、
彼がたぐり寄せた、運命と。
忘れられない、
忘れたくない、愛おしい日々。
毎日毎日暑くて暑くて、
痛いくらい陽射しがまぶしい、
暑い暑い夏だった。
生まれてはじめての、特別の。
心が震える…
愛おしい最後の、夏だった。
第1話
ニーナ?
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
カラカラカラカラ
「こんにちはー…」
古びた茶色の戸を静かに引いて、
店内へと足を踏み入れたら、
ひんやりとした空気に包まれる。
外は太陽の光が
じんじんと降り注いでるのに、
ここだけ夏じゃないみたい。
昭和初期に建てられたというビル、
趣がある古くて静かな古書店は
外とのギャップがありすぎて、
いつ来ても異世界に迷い込むよう。
たくさんの本の、紙の匂い。
あちこちに平積みされてる
雑誌や文献、その他もろもろ。
「いらっしゃーい」
店主の年齢不詳感も、
異世界風情が高まるのかも?
少し奥まったレジの場所に
ちょこんと座ってる猫背。
グレーのパーカーが振り向いて、
わたしに話しかける。
「Kスクリーン、
今月はマブリー載ってなかったよ」
「やっぱり載ってないかあ…
新作の情報も今はなんにもなくて」
「でも買うでしょ?毎月買ってるもんね。
マブリー載ってないから
買いませんとか言わないよね。
これあなたのためだけに
わざわざ韓国から直で仕入れてるからね♪」
有無を言わせない矢継ぎ早の言葉に、
にこっとわざとらしい営業スマイル。
…かわいい顔の圧が強い。
二宮古書店の店主二宮くん。
この人ほんとに、いくつなんだろう。
最初の時から一貫してタメ口だし、
妙に態度が大きいけど、
年は絶対、わたしより下のはず…
皇居にほど近いこの街の、
古い古いビルの1階にあるこのお店に、
なかなか売ってない韓国雑誌を
はじめて買いに来たのは、
今年の2月のことだった。
ネットで調べて、
ようやく取り扱ってるお店として
見つけたはいいものの、
路地裏にある小さなビルを探すの、
けっこう苦労したっけ。
「雪降ってたよね、あの日」
「え?」
「はじめてうちの店に来た時」
この店主はどうして、
今考えてたことがわかるんだろう。
不思議に思いつつも、言葉を返す。
「すごく寒い日だったよね」
二宮くんに引っ張られて、
わたしもあの日を、思い出す。
雪が降ってて、寒くて、
心細かった…今年の冬。
”Kスクリーン、よければ毎月仕入れるけど?”
そう言われてしまった手前、
買わないわけにはいかなくなって、
月イチで来るようになって約半年。
日本ではなかなか手に入らない雑誌だし、
高確率でマブリーの記事が出てるから
毎月確実に買えるのは
ありがたいはありがたいけど。
大好きなマブリーことマ・ドンソクは
韓国の俳優で、わたしと同い年。
かわいい顔した店主には言わないけど、
マブリーは同い年だから好きって気持ちも、
少しある。
「そうだ昨日、Netflixでアレ見た。犯罪都市」
「犯罪都市!面白かったでしょ?」
「めちゃくちゃ面白かった。
ってかさあ、規模デカいよね、
もうむちゃくちゃだよね。笑」
「2もおすすめだよ、
マブリーすごくかっこよくて!」
「あの人、腕どうなってんの?
ムッキムキのレベルじゃないよ。笑
こんなデカくてオレの腕の3倍は、」
カラカラカラ
「ニノいるー?今ちょっといい?」
不意に引き戸の音がして、
男の人の声が聞こえてくる。
反射的にすぐ振り返ったけど、
入口入ってすぐの棚を曲がったのか、
姿は見えない。
「いいよー。なにー?」
二宮くんの知り合い?なのかな…
「こないだニノに教えてもらった
会計アプリがさあ、
エラー画面出て進めなくなっちゃって」
「エラー?どんな?」
コツコツコツ
古い壁に反響して聞こえる、
声の主の靴音。
「インストールし直したんだけど、
それでもダメっぽくて…お、図録?
コルビジェじゃん。いつ出たやつだ?
あ、去年か」
本棚を見てるのかな。
わたしの目の前の棚の裏側で
立ち止まってるような気配。
「エラーならオレじゃなくて、
サポートセンターに連絡しなよ」
「そうなんだけどさあ」
返事の声色は、
どこか心ここにあらずのような…
真剣に本を見てるのかもしれない。
「とりあえず見てよ。
…っつーかここ、寒くない?」
「これは天然の寒さです」
コツコツコツ
「冷房ついてないの??マジ?
やっぱ昭和の建築物ははんぱねーなあ…」
はんぱねーなあ、の声が
聞こえてきたあたりで、
目の前の棚の後ろから
唐突に現れた声の主は、
ありえないほど整った、
ありえない美しさの、イケメン!!
「うわっ!!びっくりした…
お客さんいたんだ…スミマセン」
「いえいえ!」
ペコリとアタマを下げるから、
わたしも思わず、おじぎを返す。
「この人このビルの最上階に住んでて。
ワタシ大家で、この人借り主」
「どうも」
大きな、きれいな瞳が
まっすぐこちらを見てくるから
なんだかドキドキしてくる。
「常連さんですか?」
「常連というか…」
「マ・ドンソクが大好きで、
こっちで売ってない韓国の雑誌を
毎月買いに来んの」
「マ・ドンソク?へー、渋いっすね。笑」
にこっと笑った顔が
あまりにもきれいで目が離せない。
「向こうのアクションものって
めちゃくちゃ面白いっすよね。
セットとか小物とか参考になるんで、
韓国映画はオレもよく見ます」
「舞台美術とかやってんだって。
うちのビルの最上階って、
どデカい屋上バルコニーがあってさ、
そこ使うの含めて借りてくれてんの」
「へー…」
「舞台美術だけじゃなくていろいろ、
キュレーションとかもやるんですけど」
キュレーションが
まったくわからないけど、
かっこいい人は職業まで
かっこいいんだなあとか思いながら、
ついぼんやりしてしまう。
「そうだニノこれ見て。この画面ちょっと見て」
「ええ…?」
手渡されたスマホを
怪訝そうに見る、白い頬。
「本来ならこの欄に、
ダウンロード画面が出るはずなのに、
出ないんだよ」
「”treee会計との接続に失敗しました”
…わからん。まったくわからん」
「あの、」
「?」
「?」
「差し支えなければ、
見せてもらってもいいですか?」
「お願いします」
二宮くんからスマホを受け取って
画面を見ると、やっぱり。
良く良く見知ったページ。
「これは設定画面から、
ここにチェックを入れて進むと…ほら」
「おおー!」
「おおー!」
「これでその先に進めます」
「ありがとうございます!
あーマジで助かった」
「えっなんでわかんの?
このソフト使ってんの??」
個人事業主向けのソフトだけど?
とでも言いたげな二宮くんに、タネ明かし。
「実はそれ、うちの会社で作ってて」
「そうなの??マジ?」
「立ち上げの開発チームにいたから。
今はもう違う部署なんだけど」
「なるほど、それで」
「そこのページわかりにくいですよね、
当初から問い合わせも多かったので。
使いにくくてすみません」
まだ直ってないんだな。
フィードバックしたいところだけど、
今は部署が違うし…
チクン、と胸が痛む。
「じゃあそろそろ…帰ります」
「ありがとうございました。助かりました」
「いえいえ」
おじゃまにならないように、
さっさと帰りかけたわたしに、
二宮くんの声。
「ニーナ雑誌雑誌!
これ忘れてどうすんの。笑」
「あっ」
レジの向こうから差し出された
雑誌が入った茶封筒には、
太字のマジックで大きく
ニーナ取り置き!
と書かれてるから、
なんだか恥ずかしくて
さっさと受け取ろうと
手を伸ばしたら。
横からぐっと、あらわれた腕に
急にぎゅっと、捕まえられる。
「え?」
手首に感じる、
ごつごつした指、大きな手のひらの感触。
「ちょ、ちょっと潤くん??」
急にわたしの腕をつかんだ彼に向かって
二宮くんが”潤くん”と呼んだから、
この人潤くんっていうんだ、なんて
妙に冷静に考える。
「…ニーナ?」
わたしをまじまじと見つめてる
まっすぐな目。
そのきれいな瞳は
なんだか潤んで見えたから、
びっくりして目を逸らせない。
「ニーナなの?」
「あの、」
「電話」
ひとりごとのように呟いた彼が、
ものすごいスピードでスマホを操作して、
誰かに電話をかける。
「翔くん!ニーナ見つけた。
ニーナが……帰ってきたんだ!」
(第2話へつづく)
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
読んでいただき
ありがとうございます!
こちらがマブリーことマ・ドンソク御大
悪そうに見えていい人の役、もしくは
悪そうに見えてほんとに悪い役が多い。笑
マブリーは1971年生まれなので
主人公ちゃんも1971年生まれの設定、
アラフィフ女性です(^^)
マブリーはキティちゃんが大好き
(かわいい)
”フェアウェル”はさようなら、の
フォーマルな言い方のfarewellです。
なのでタイトルは「さよなら夏」
のイメージでつけました。
お付き合いいただけたら、
この先もどうぞよろしくお願いします(^^)






