今日は、何を観たわけでもないけれど
思ったことを書いてみる。

私の周りには、本当にすごい友達ばかりだ。
みんな、努力と才能を完全装備して
見事なまでの成功を遂げている。

昔からそんな環境にいる自分に劣等感を感じて生きてきたけど
最近の自分にはそれを感じない。

それは、多分自分自身が「自由」を
感じながら生きているからだと思う。

それは『閉じ込められた自由』。

『閉じ込められた自由』

私達は、みんな自由。
人間で生まれてきた限り、たくさんの可能性と希望の中で
豊かで実りある人生を生きる為に、たくさんの可能性に挑戦する権利がある。

仕事や恋愛。
なんだって自由にできるし、始めるも止めるも自分次第。

でも、みんな自分の人生を生きてるようで、
本当は、誰かの人生に度々重なりながら生きている。

無人島に、一人取り残されたターザンだって
心優しい親代わりのゴリラたちの人生と重なっているくらいなんだから。笑

誰かの人生の中の、自分の人生。
自分の人生の中の、誰かの人生。

仕事だって、恋愛だって、一人じゃできない。

何かを創り上げて、誰かにそれを評価され、対価を受け取るのが仕事。

誰かと一緒に、自分の人生の中の感情や快感、生活を共有して、
思い出を増やしながら、相手を想い、時には相手の為に自分を犠牲にするのが恋愛。

誰かの人生の中の一瞬に、自分の人生が重なって
自分の人生の中の一瞬に、誰かの人生が重なる。

一人じゃ、何にもできないんだよね、結局。

それなのに、
自由を楽しむことにステータスを感じる。

独身貴族
成人
起業
一人旅
卒業

人は、「独り立ち」とか「独立」とか
そういう言葉を評価する。

「あなたが独り立ちするなんて、立派になったわね」
「独立したんですか!すごーい!」
みたいな。笑

私も、その一人。

今までの人生、「自由」を求めて生きてきた。

「校則が無い自由な校風の学校が良い」
とか
「門限の無い自由な家庭が良かった」
とか
「束縛の無い、自由な関係が理想だ」
とか
「恋焦がれる人と一緒に、夜通し過ごしたい!」
とか

もう大人になった私は
どれもこれも、手にしている。

髪を染めようが、どんな格好をしようが、誰かに怒られることは無いし、
夜中に帰ろうが、朝方帰ろうが、家族に何かいわれることも無い。

彼の毎日の生活を特別干渉することもなければ、されることも無い。
恋焦がれる相手と、どれだけ一緒にいても、誰にも何も言われない。

だけど、

あまり派手な髪色にしては、露出の高すぎる服を着ては下品だから
仕事の時は、好きな格好をするわけにはいかないし、
毎日毎日朝帰りをしては、仕事に支障をきたす。
そして、たまには家族の為に何かしなくてはいけない。

あまりに干渉し合わなければ、彼はただの友達になってしまう。
離れて過ごす彼と、好きなだけ一緒にいることはできない。


結局、
自由に思えてた”それら”は、完全な自由じゃない。

『閉じ込められた自由』
なのだと思う。

人は「自分」っていう一つの建物中にいる。

そして
扉の向こう側には、きっと素晴らしい自由が待っているんだ!
と信じて、一生懸命努力する。

でもしばらくすると
その建物の中に戻ってしまう。

結局みんな、扉の“こちら側”にいる事が
一番心地よくて、安心できるから。

一歩、扉の外に出たら
突然、雨に降られるかもしれないし
雷に打たれてしまうかもしれない。

あるいは、
素晴らしい天気に恵まれて
心地いい風に吹かれて、気持ちのいい日を過ごせるかもしれない。

扉の向こうで何が起きるかなんて
わからない。

でも、扉の中では
起きる事なんて、たかが知れている。

扉のこちら側には自分しかいなくて、
自分自身でその全ての出来事を
作り出す事も、なくす事もできる。

だから、起きる事なんてたかが知れている。

それなのに、誰もが、その”出来事”全てに
一喜一憂して、まだ見ぬ明日に胸を躍らせる。

扉のこちら側では、誰もが「自由」なのだと思う。

でも、ふと見上げてみれば

そこには屋根があって
少し見渡せば壁がある。
扉には鍵がかかっていて、
窓にはカーテンがかかっている。

閉じ込められていることに
そこで初めて気付く。

でも、その扉の鍵は、外側からは開かないだけで
内側にいる自分自身が開ければ良い。

窓のカーテンだって、自分自身で開ければ良い。
なんなら、取り外してしまえば良い。

その空間の中にいる以上
何をやったっていい。

そこには「自由」がある。

それなのに、人は外に出たがって
少し経てば、また、扉の”こちら側”に戻ってくる。

文字通りの「自由」は
扉の”あちら側”にこそあって、それにはたくさんのリスクと責任が発生する。

でも、それはたまに経験すればいい。

毎日の生活の中で、求める自由なんて
扉の”こちら側”で十分だ。

『閉じ込められた自由』の中にこそ
「幸せ」が存在する。

そして、本当の意味での、
誰もが求める自由は
扉の”こちら側”にこそ存在する。

人によって求める自由は違うのだろうけど

誰かの『閉じ込められた自由』の中の”自由”なんて、
私にとってみれば、
扉の”あちら側“での出来事。

たまに、知れればそれで良い。
知るも知らぬも、扉の“こちら側”にいる以上、私の自由だから。