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と、会社の方に勧められて読んだ。
平野紗季子著『生まれた時からアルデンテ』。
タイトルからしてすでに「振るってるな」という感じがびんびんに伝わってくる。
小学生の頃から付けているという食日記の内容をぱらぱらと流し読むと、
「やはり生ハムの『うら切らないおいしさ』が1番」「パスタの方はおきまり『小柱と水菜とカラスミのスパゲティ』『黒トリフのキタッラ(四角ぽくて太いめん)『カニのリゾット』『トマトのパスタ』を食べた」などという言葉の端々から、ただの「温室育ちで舌の肥えた娘じゃないのか」という印象を受ける(筆者と同い年ですが)。
けれどわたしは読んでいて、今までの自分がいかに「食べるという行為に際して思考停止状態だったか」、という事実を突きつけられてしまった。
がーん。雷に打たれるショック。文字量的にはライトで気軽に読めちゃう本だけど、たしかに「革命的書物」だと思います。
以下、わたしが衝撃を受けた一部を抜粋。


 「舌が必死じゃなければこんな風には味わえない。今だったら「アボカドの味が」って7文字で終わりでしょう。それって結局7文字程度にしかアボカドを味わってないってことで、これは何かと散漫な現代人が見習わなければならない、ものすごい集中力なのであります。」
 (伊丹十三が著作のエッセイで、アボカドの味についてを2ページも割いて語っていることに対して)

 「他人の舌で味わったひとの言葉は弱い。 最近じゃ、食べものを食べる前からその食べものに異常に詳しいということが当たり前で、情報を受け取った時から食べ始めちゃってるようなもので、実際にその食事と対峙する時には答え合わせの追体験でしかないなんて、そんな不感症グルメであふれている気がする。」

 「おしるこの味だと思うから おしるこの味がしちゃう (きっと見てるだけでもおしるこの味すると思うよ) (だって記憶のおしるこ味で食べちゃってんだもん)」


わたしはどちらかというと何を食べても「おいしいおいしい」と言う人間で、焼いてすらいない真っ白な食パンを食べても、値の張るふぐ料理屋で透き通るふぐ刺しを食べても、多分同じトーンで「おいしいおいしい」と言います。
多分好きな食材が投入されていれば、その料理がどんなに手間ひまかけて作られていようがいまいが、高級食材を使用していようがいまいが、関係ないんだ。感想は「魚介の旨みが……」とか「身が引き締まっていて……」とかそんなものは一切なく、ただ「おいしい」の一言。
極論、よほど嫌じゃなきゃ「うんうん」頷きながらいただくと思う。
そんな自分のことを、下手に妙なこだわりがあって外食を楽しめないことのある人間よりは、お得なのだと認識してた。
だけど違うかも。わたしはただ思考せず味わおうとしていないだけなのかも。
外で食べる時は大抵連れに選択を委ねてしまったり、「たまには自分が店を選ぶか」と思っても、結局は食べログの点数しか見ていなかったり、「この具材の組み合わせなら絶対安心」っていうお料理しかオーダーできなかったり。
そんな自分が、当に「思考停止状態のゾンビ」みたいに思えた。

筆者によると、美術や映画ほど分かりやすく語りかけてはこないけれど、料理も哲学や思想を十分に内包している。たとえばパスタのゆで加減に。カレーのスパイスの、複雑で奥深い味わいの中に。
別に「ではわたしも」とグルメを目指す必要は全然ないのだけれど、もっとちゃんと味わって、自分なりの食に関するこだわり、考え、姿勢を発見したいと思った。もっと真剣に、食に向き合おう。そう気づかせてくれた一冊。

(『生まれた時からアルデンテ』平野紗季子,2014年,平凡社 より一部抜粋させていただきました)