戌年女子の反省・・・半生

戌年女子の反省・・・半生

戌年。

それなりの恋愛経験。
仕事は結構できる。

そして、独身。

半生を綴り、その原因を探求する。

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2017年の幕開けは沖縄で過ごした。

家族での旅行。

父の仕事の都合上、2泊3日の旅行なんて行ったことがなかったから、

家族みんなにとって貴重な思い出になった。

 

夏には妹の結婚式。

嬉しい気持ちと淋しい気持ちと・・・

なんとなく複雑だったが、

それはそれとて姉としてはやはり嬉しさと安心感が大きかった。

 

2017年は「家族」を思う1年だったように思う。

家族不孝ばかりしてきた私。

少しは恩返しができたかしら。

一緒の時間は永遠ではない、だからこそ今この時間を大切にしようと思う。

 

そして、

冬の沖縄の海に捨ててきたはずの恋心。

夏が来てなぜかまた舞い戻ってきた。

 

4年間の戦いに決着をつけた。

そりゃ辛いし、苦しいし、淋しいけれど、

でもいつまでもズルズル想い続けてるわけにはいかない。

 

いろいろ思うところはあるけれど、

彼を想った4年間は決して無駄ではなかった。

私が選んだ道、否定も後悔も絶対にしない。

そうやって、これまでも生きてきたんだから。

 

2018年。

先の見えないこの先には、

一体何が、一体誰が待っているんだろう。

 

明るく照らすその先に、今日と変わらず笑っている自分がいるように。

それではよいお年を・・・

私の学校では小学2年生から級長・副級長が選任された。

学級委員とかクラス委員とかいうアレである。

 

私の記憶が確かならば、

基本的には投票で決められていたのだが、

2年生の1学期だけは先生が決めたように思う。

 

そう、お察しの通り、何を隠そう、わたくし、

2年生の1学期に副級長に選ばれている。

 

何をしたのかはほとんど覚えていないが、

集会などで先頭に並んだり、号令をかけたり・・・

そんなようなことをしていた気がする。

 

先頭に並ぶっつったって、

元々チビなんだから通常でもほぼ先頭か前から二番目くらいなんだけども。。

 

なぜ私が選ばれたのかは定かではない。

ただ相方の級長に選ばれたしんくんは学年の中でも秀才で有名な男の子だった。

(30年後の今はなんかよく分からないけど海外によく行っている、そんな子。)

 

しかも3年生の1学期もしんくんとペアで選任される(この時は投票)のだから、

私はそこそこ賢いイメージの低学年だったということなのだろう。

 

母曰く、

「あんたは目立ちたがり屋やったけん」とのことでもあり、

それはそれで一理あると思う。

 

このころ副級長に選ばれたから、

その後、やたらリーダー的役割に置かれることが多くなったのか、

それとも元来リーダー素質があり、

その素質を担任が見抜いていたから副級長に選ばれたのか、

はたしてどちらなんだろう。。

 

ま、にわとり、たまご理論で、

どっちもどっちなんだろうけど。

 

それは置いておいて、

私の、頼まれたら断らない、

なんか知らないうちに「もしかして私、リーダー?」的人生は、

ここから始まるのである。

もうすぐお正月がやってくる。

小さい頃の私はお正月が楽しみで楽しみで楽しみで×100、

仕方がなかった。

 

大好きなイトコたちがやってくる。

大人もたくさん集まる。

大人と子供合わせて総勢9名で過ごすお正月。

それはそれは楽しかった。

 

宴会もさることながら、

お正月の楽しみの一つに「花札」があった。

 

宴会の後、みんなで花札に興じるのだ。

もう30年も前のことだから時効、ということで明かすと、

少額ながらお金を賭けて遊んでいた。

 

が、子供は加えてはもらえず、

もっぱら札をめくる係。

イトコ二人と私の3人でその役を取り合ったものだ。

 

とは言え、お金を賭けずにであれば時々参加もさせてもらえた。

誰か大人のペアになったり、

一人でだったり。

 

花札は本当に楽しかった。

駆け引きを最初に覚えたのは花札で、だったかもしれない。

 

一番勝った人はよくお小遣いをくれた。

それもうれしかった。

 

こたつを囲み、テーブルの上に座布団を置き、

そこから始まる花札タイム。

久しぶりに花札をやりたい気分だ。

今なら私、相当強い気がする。

 

そんなことより、メリークリスマス。

無事幼稚園を卒業し小学生となった。

幼稚園の二年間では残念ながら大きな成長は見られず、

相変わらず私はチビのままだった。

 

小学校は2年毎にクラス替えがあった。

つまり、1.2年は2年間クラスメイトが変わらない。

私はみっちゃんと同じクラスだった。

 

当時は運命的だと喜んだが、

なんてことはない。

おそらく幼稚園の時の先生から申し送りがあったのだろう。

この二人は仲良しだと。

 

田舎の学校ではあったが当時はまだ少子化でもなく、

1学年5クラスあり1クラス約40人の約200人の生徒がいた。

みっちゃんと同じクラスになる確率は1/5。

まぁまぁの確率が必要だ。

 

やはり申し送りがあったに違いない。

 

そしてここから私の6年間が始まるのだ。

そんなこんなで私は無事に、

卒園する。

 

卒園式の記憶なんてほぼ無いのだが、

とにかくものすごい量の荷物を持っていたことは覚えている。

 

写真にも膨大な荷物(カバンや記念品、卒園証書、自分で工作したさまざまなものetc)を抱えて、

ツインテールの私は微笑んでいる。

 

なぜ一人だけこんなに荷物を抱えているのか、

全く持って不明だ。

お母さんに預ければよいものを。。

自分で持ちたいと言ったのか、はたまた。。。

 

ともあれ大荷物の私は無事に卒園した。

 

そういえばいつもポニーテールだったタマイ先生が、

卒園式の日だけ、黒髪のストレートロングをなびかせていた。

 

その黒髪がものすごく綺麗で、

オトナの女性を感じた。

 

私も大きくなったら絶対にロングヘア―でいよう、とこのとき誓った通り、

私の人生の8割はロングヘア―で過ごすこととなる。

そこには少なからずこの日のタマイ先生の影響があっただろう。