よく『男らしくあれ』とか『女らしくあれ』とか言われるものです。


しかし、どーやったらいいの?というのがホンネのところ。


その為の足がかりとなる考えを思いついたので記録を。


と言っても仮説ですが・・・





男らしくある為、女らしくあるために必要なのは・・・




自分の性器を好きになること。




これではないかと思いました。


そもそもが大抵の人が自分の性器を好きとか嫌いとかいう範疇で考えていない。


まるで空気のように当たり前の存在で、今さら愛着やら感謝やらって持っていない。


これって・・・


家族に対する思いと似てるトコありますよね?


家族を過小評価して自分には得ないのと同様・・・




そもそも性器って何なのか。


100%とは言いませんが、自分を男たらしめてくれているモノ・女たらしめてくれているもの。


自分の、男としての・女としてのアイデンティティを確立させてくれているものではないかと。


それに対してあまりにも過小評価してきていなかっただろうか。


むしろ邪魔なモノ・醜いモノ・汚らわしいモノとして扱ってこなかっただろうか。


そんな気がします。





各個人の顔と一緒で、世界でたった一つしかないオンリーワンの存在。


それをもっと愛おしく思い、愛でることが大事なのではないかと。


そしてその思いこそが、男らしく・女らしくなる為の第一歩ではないだろうかと感じます。




何にしろ、基本的に体の一部に嫌悪感やコンプレックスを抱いているとその部分は余計に悪く・醜くなっていくものです。


逆に、好きになればなるほど良くなってくれていくもの。


今まであまり視野に入ってなかった体の一部分。


これをキチンと評価していくことが、結構大事なのではないだろうかと思うのでした。

自信について、は前回 書きましたがまた改めて考察が生まれたので追記を。




大人になるにつれて『自信ないんだよなぁ』とか『こんな自分が・・・』みたいな言葉を発してしまうモノ。


しかし、コレを聞かされる方は・・・たまったモンではありません。


ハッキリ言ってしまえば・・・




じゃあ、そんなダメなアンタと付き合ってる私もダメなのかよっ!?




・・・と言いたくなる。


そしてソレは正しい。むしろ言ってやりなさい。


直接、他人に『自分はダメだ・・・』と言わなくても心に思うだけで言ったも同然です。




自己評価の高低とは、いかにも自分個人の自己完結した問題のように思えますが、実はそうではない。


そんな自分に関わってくれている人にも及ぼす影響だと思わなくてはいけない。


自分のことをダメだと思っていたら、そんな自分に関わっている他人もダメということになってしまう。


これは相手にとって失礼なハナシになります。


・・・というコトは、自分と関わってくれている尊い相手への最低限の礼儀として、自分のことを好きになることが大事ではないかと言える。


自分は自分のことを大好きなんですよ、だからこんな自分と関わってくれている貴方も素晴らしい人なんです、みたいに。


この考え方でいけば、『自分に自信が持てないんですぅ~』とかのたまうのはヒジョーに甘えた考え方。


もっとストイックに、体育会系に、『自分のことを好きになれ!』ってやってしまわなくてはいけないのかもしれません。


なにしろ自分ひとりの問題ではないので。他人が関わる、責任が発生する問題なので。




そもそもが、一番失礼なのが親に対して。


あらゆる労力を注いでくれた親に対して『私は自分が好きじゃない』なんてのは・・・


本来は口が裂けても言ってはいけないことなんだろうなぁと思います。


例えハッタリでも、真実になるまで言い続けなけりゃいけないコトかもしれません。




そんなこんなで考えたら、自信って・・・


付いたらいいな、って夢見るモンではなく、何が何でも絶対に付けなくてはいけないものかもしれません。


まずはその決意をすることがスタートかも。


てなコトを考えさせられるのでした。

自信と言えば・・・読んで字の如く、自分を信じること。


しかしこれがなかなか出来ない。


ソレで何十年も苦しんでいる人も多いコトでしょう。


『自分を信じる』とか『自分を好きになる』ってのは、言葉にするとカンタンですがその実は奥が深そうでなかなか正体が掴めないものです。


要は定義がないから確かめようがない。


そして結局『私は本当に自分を愛しているんだろうか・・・?』みたいになってしまったりする人がいたりしてしまったりする。



そんなこんなで出した結論。


自信とは結局のところ・・・


親を信じること。


ではないかという結論に達しました。


親を信じるからこそ、『あの親から生まれた自分が偉大でないハズがない』といかに思えるか。


その度合いが自信というモノを構築しているような気がします。


この考え方が正解かどうか・・・は正直言えば知りません。


ただこの考え方をすることによって、少しはラクになるんではないかと思います。


人間、何だかんだ言って自分を信じるより他人を信じる方がラク。(^^)


宗教がいい例です。


コレは、ならば見たこともない神さまでなく身近にいる親を信じてみませんか・・・っていう一つの提案。


親を信じることによって自分も信じられるなら・・・コレほどオイしいことはないでしょう。




結局のところ、自信とは『何かが出来るか出来ないか』で上下するシロモンではない。


そんな相対的なモノではなく、絶対的なモノ。


だからこそ答えが見付けにくいシロモンですが・・・


この考えも、一つの『アリ』なんではないかと思います。