行き帰りの飛行機で、新エネ再エネの資料を読み込んで、8月に1件予定している不動産ファイナンスの資料を読んで。

それから、余った時間で「怪物」という映画を見て、「自閉症の僕が飛び跳ねる理由」という本を読んだ。


伊達に行き帰り25時間も飛行機に乗っていないわけで、いろいろなインプットができた気がする。


何が言いたいかと言うと、みんなが自分の見えている世界を見ているわけではない、という当たり前のことをである。

ぼくは、自閉症のぼくが飛び跳ねる理由という本を読んで、ずっと泣いていた。

怪物という映画を見て、子どもの強さと鋭さと可能性を感じた。大人たちもギリギリで立ち止まって頑張っていた。柊木陽太くんて初めて知ったけれど、すごい俳優だ。


怪物に飛び跳ねられたら、ぼくは迷惑と思うか、怖いと思うか。

怪物にしてみれば怖がらせる気なんか毛頭なくて、嬉しかったり悲しかったり空に近づきたかったりして、跳んでいるのかもしれない。結果ビルや人を踏み潰したとしても。

そして、そんな怪物は殺してしまえ、閉じ込めて祀ってしまえというのが大多数の一般的な論理だと理解する必要がある。

人間同士ですら、そうなのある。全員が受け入れられるほど社会の受容器は理想的な細やかさではできていない。


そもそもぼくは自分が所謂「普通な人物」だという立場でこれを書いているけれど、そこに主観以外の根拠はナイ。


世の中は、希望と理不尽に溢れていて面白く、哀しく、興味が尽きないなと思う。