ちょっと遅いけどお花見してきました。
いつものお仕事関係の方々と、家族まみえて、大騒ぎでした。
私半分寝てましたけど 笑
長男ことよっぺです。
本職仕事、内装建築業はもう自営の会社(メガネ内装)はたたんだので、今は半分雇われ、半分自営みたいなよくわからんポジションで活動しております。笑
海外に住みたいという方向性もあったのと、日本の建築業界で新しく会社を展開するやる気が見出せなかったので、オーストラリアに一年住むことを期に、あっさり自分の業を捨てました。
次に会社を興すなら海外にしよう。とかぼんやりとは考えてますが、どうなることやら、ま~そうするでしょうけど 笑
今月京都にサミットと称した会議に行きます。(実は家族旅行を兼ねているのは内緒です 笑) 夏に北海道へキャンプをしに行く約束もしたので、たぶん行きます。十月にはタイ、カンボジアにも行くことになりそうです。ので、今年中に予定していたオーストラリア旅行が、来年頭に繰り越されることになりました。ついでにニュージランドにも行こうと嫁と企んでいるところです。笑
今日の花見でもさんざん思いましたが、「人に生かされている」と強く思います。私たち夫婦は二十歳でできちゃった婚して以来、さまざまな人達に関わり助けていただいてきたように思います。なにぶん私自身何も持ち合わせておりませんでしたので、人の助けを借りなければ生きていかれなかったんだと思います。感謝感謝を忘れたことはありません。普段は気恥ずかしいのもありヘラヘラして誤魔化してますが 笑
そんな私たちも、幾分歳を重ね、人に何かを与える側に廻ることも増えてきたように思います。もちろんまだまだごくわずかではありますが。
今までは唯一無二、我が子にのみ全てを注いで、自分の人生を生きてきました(海外に住むのも子供の将来のためになれば、という想いが8割です)が、これからももちろんそうなのですが、今や海外含めいろいろとモノを見て、人を知るにつれ、もう少し大きな枠で考えなければいけないと感じています。
結局は子供のためなんですけど。
私個人の思いの丈として、今一度、言葉にしてみようと思い立ち、今こうして駄文を打ち込んでいます。
自分の家族のことは、二十歳の頃から命がけでやってきて、さすがに15年もやってるので、ある程度目処がついたというか、何とでもしていける自信があります。明日突然、第3次世界大戦が始まっても、国が破綻しようとも、どうとでもしてみせると、自信があります。実力不足の不安に対しての対策は尽くしたと思います。子供たちが離れたあとの余生も、嫁と仲良く生きていこうと考えています。(嫁の都合にもよるが)そのためにやれることは何でもやっていこう。と心に決めて生きているし、これからもそうする覚悟がある。
あとは環境です。
子供を育てる上にも、自分たちが生きてく上でも、「環境」は大切だと思います。
私が海外に住むと決めたのも、「環境」を考慮したからです。
はっきりいって、最近までは、私はこれから十年、二十年、日本で子供を「マトモ」に育てる自信が持てない。「環境」は変えられない。ならば、自分たちが動こう。「好まくない環境」から離れよう、逃げよう。としていました。
日本はこのままじゃもっとマトモじゃなくなる(もうなってるって意見も多いですね)、無理して巻き込まれるなら、無理して生き残るほうが大事だ。くらいに考えていました。「好ましくない環境」をもう変わらないもの、自分ではどうにもできないもの、として捉えていました。
しかしです。
日本を飛び出して一年オーストラリアに住んでみて、ラリアをはじめ、さまざまな国の人々のさまざまな生き方を知るにつれ、心にいくつか疑問が沸きました。
あれ?「好ましくない環境」は自分では本当にどうにもできないのだろうか?
闘わずに逃げて、子供にも闘わずに逃げろと教えるのだろうか?
あれ?「環境」を変えるって「自分の考え方」を変えるのと対して変わんないんじゃない?
「環境」を変えるのって、住む場所や国を変えるのみならず、周りの関わりある人達だけにでも喚起していくだけで、「環境」は少しづつ変えられるんじゃないか?
何言いたいのかいまいちまとまりませんが、笑
極端な話に聞こえるでしょうし、少しばかり恐れ多い感がありますが、私が実際に感じていることなので、正直に言葉にしてみます。
とっくに今の日本という環境は子供をマトモに育てられる環境ではない様に思えてなりません。
何をもってしてマトモというのかは個人の勝手としても、普段の生活からいくらかでも感じませんか?
原発放射能しかり、国庫財政しかり、経済状況しかり、教育環境しかり、治安も悪化してきてるように感じませんか?
マトモじゃない社会の中で、自分だけはマトモに生きていける自信が皆さんあるのでしょうか?たぶん無い。こりゃ資産があるとかどうとかいう次元の話だけではなく、これだけ「狂ったノリ」「誰かに都合のいい常識」が大手を振って歩いてるような国で、「多数決」「同調」「皆に合わせて」してちゃダメでしょう。
普通に自分たちの人生を自分じゃコントロールできなくなることが予測できるでしょうに?できません?
「ま~今はしょうがないよ」で先延ばしに生きていくことは、なにより「自分の将来」への大いなる裏切りになってんじゃないでしょうか。
とかいう危機感すら乏しいのが、「狂ってる」と思う。
なぜ、改善しようとしない?今のままがいい?誰かが変えてくれるのか?
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継続と反復は違う。
何かを身につけるときに反復は効果的でしょう。体で覚える的なことですよね。
何かを変えたいときには継続が効果的です。創意工夫の毎日のことですよね。
この認識があべこべなのが今の日本のように感じます。
情報が溢れています、モノも人口以上に溢れあまりまくっています。世界的にもなんでしょうが、日本はより顕著に感じます。私が住んでる地方都市広島ですら感じるのに大都会の人達はもっと感じてるだろうに?逆に解かり難いのかな?
情報社会といわれて久しい、そんな中で、選ぶことに疲れたのか飽きたのかめんどくさいのか、考えることをやめ、「多数決」「みんなやってるから」「昔からそうだから」に意思決定や行動が流れがちです。
人生を左右するような大きな判断の時でさえ、そうだったりしますよね。
しかし、ここで認識のあべこべがあるんじゃないでしょうか?
同じことを繰り返すことで何かが変わると信じる?思い込もうとしてるのかな?
右にならえで、皆が皆、同じようなことをいくら繰り返しても反復にしかならず、それは習慣となり、改善されず、腐敗が進み、やがて心も体も破綻する。前進してるかに見えてその実は錯角で、前進してないからですよね。
人、個人しかり、会社、団体、組織しかり、国さえもそんな感じ、いたるところで、そんな現象を見聞きしませんか?
「継続は力なり」の継続は、一日一日の試行錯誤の繰り返し、小さな失敗の繰り返し、けれど、昨日より今日、今日より明日と少しづつでも前進していくことを言ってる。
「継続は力なり」でやってるつもりで、「反復」してるから、ドンドン悪くなっていってんじゃないかな~と。
個人的な見解。
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私は少なからず「環境」を変えるための「継続」を始めています。
このブログでも少し触れましたが「大き目のプロジェクト」は「日本の教育環境」しいては「自分たちの将来」への裏切りを止めることに繋がると私は「感覚的」にはわかってんですけどね~。形にし、「実像」として生み出すために、人知れず「継続」の歩を進めています。
なにぶんメンバーも日本各地、海外在住、完全に無から生成なので、時間はかかるもんです。笑
ただ、日に日に、進行状況?表情というか、いろいろが変わっていく、楽しくてしょうがないです。
今月中には正式なプロジェクト名が決められると思います。(まだ名前すら決まってない 笑 だって今まで世の中に無いものを作り出そうってんだからね~笑)
継続は力なり。
この世にお披露目する時へ向けて、一歩一歩確かに進んでいます。
じゃあ、私はなぜそんなことやるのか?
もちろん家族含め自分たちに関わる全ての人達の将来のためです。
環境のせいにしてるばかりじゃなく、環境を変えるための継続は力なりを、子供にも伝えたいし、実際やってみせるしかできないと思ってるし。
日本の国が全体を通して、計らずもやってしまってることが、「将来への裏切り」ならば、私は全力で賛成できない。
なにより、将来を変えられることを未来は明るいことを証明しなくちゃね。
子供に資産的にも心情的にも負債、負担を押し付けてでも、今を生きる気。そんな気などさらさら無い。(今選挙やってる政治家さん達は何年もソレを政策としてやってきてんだけどね。仕組んだわけじゃなく、ま~いろいろ立場ってのがあるんでしょう。申し訳ないけど、今の日本は政治家という立場からでは変えられない状態にあると思います)
家族の命を守るために、避難経路も確保しつつ、やるんなら前のめりで倒れてやる。
結果、
私らの意志が国に喧嘩売る形になろうとも、やるんなら前のめりで倒れてやる。
子供が生れてくることを喜びで満たして迎えられない世なら、おもっきりケツを蹴り上げてやる。
何より子供が生れた時に、私は自分が生きる喜びを知ったのだから。
その瞬間を守るために死ねるのなら、ソレで良いのだと思う。
私の心の底にあるのは、きっと感謝なのだと信じている。
その想いが人に共通する誠であるのなら、このプロジェクトも実を結ぶような気がする。
やるだけやってみよう。
花見で酔っ払って昼寝したまどろみの中で、なんとなし心に浮かんでそう決めた。