毎年恒例の伝統ある夏祭り
「中津祇園」
まだか、まだかと
待っていた筈だったのに
気付いたら
思い出に変わっていました
美しくて
美味しくて
魅せてくれた
真夏の始まりでした
そうです
夏です!
花火です!!
お祭りです!!!
花火の写真は全て
自分で撮影したのですが
褒められた写真ではありません
雰囲気だけ観て頂きたくて
こんな“枠”の中に閉じ込めました
ご笑納くださいませ
肉類中心の居酒屋さんに
お願いしていたオードブル
それに、妻がこしらえた
サッパリ味のお野菜たちが
バランスをとってくれました
直ぐご近所にある
“日の出グリル”さんから
オードブルを持ち帰って
時々、花火を楽しみながら
娘さんも参加して
ワイワイガヤガヤ
聴いていますと
女性って、生活に関しての
話題が永遠に尽きないようで
それはそれで
聴いていて面白く
驚いたり、笑えたり、学べたり
突然、オイサンへの攻撃が
始まったりしまして、汗も出て
💦
でも、90歳の母の
お肉の食いっぷりに
喜んでいいのやら
呆れた方がいいのやら
・・・
中津祇園は、10万石の
城下町中津を代表する祭
疫病退散、無病息災を祈願します
約600年前に始まったと
云われる「中津祇園」
6/30に蓮の花の撮影に来た時に
祇園車の組み立てが始まっていました
7/25 明日からの賑わいを前にした
主会場となる中津城公園
練り込みの時は大賑わいとなりますが
祭りの前の静けさ、ですね
現在のような祇園車が
出されるようになったのは
約340年前からとのことで
これまでに、最多で
18台もの祇園車が出ていたそうです
「チキチンコンコン」の囃子とともに
芸能奉納のための舞台付き曳き車を
大人数で曳き回す、その姿は
江戸時代の大坂三郷地域で見られた
他車(だんじり)に多くの
共通点が見られるそうなのです
よろしければ❗️
賑やかな音がします❗️
この町の「祇園車」は
江戸時代に経済的交流のあった
関西圏域から瀬戸内海を通じて
伝播してきたとする説が
有力になっているそうですが
・
・
職場での、僕の右腕スタッフさんの
お嬢さんの舞踊
小さい頃から、祇園車の舞台で
艶やかに舞って来ましたが
今や受験生❗️
今年もご祝儀(おひねり)を
はずみますからね
天和3年(1683年)
京都の祇園にならって
美麗な車を出してはどうか、と言う
町民の発意に対して
当時の藩主
小笠原長胤(ながたね)が
美しい曳き車を関西から
取り寄せたのが
「祇園車」の始まりとも
言われているようです
老いも、若きも、赤ちゃんも
みんなみんな、夏の夜の一体感
結婚ホヤホヤの
スタッフご夫婦に出会いました
お祭りにお二人で
💕
三日間の夏祭り
今年もまた
存分に心に刻むことが出来ました
これまでに、何度も
傷ましい事故も起きましたが
それを乗り越えて
市民の心意気を表現してくれる
夏祭り「中津祇園」
デジタル化が浸透し
AIが跋扈する現在
人が人らしく
喜怒哀楽を煌めかせる
大事なひと時
中津城公園内では
勇猛な「練り込み」が行われます
舵取りに、最も重要なのは
前を引っ張る綱と後ろの舵取りの
呼吸を上手く合わせることだそうです
繋いでいけるだろうか
失わないで欲しい
この激情のほとばしりを❗️
生きることへの謳歌を❗️
関係者の皆さまには
心より感謝申しあげます
なあ、君❗️
何を見てる
祭りか? 未来か?
君はきっと
見つめられる
人になるよね
頼むよ