こんにちは。
今日も、トモの話をしたいと思います。
カテゴリーに沿うような、
宇宙人旦那の話がなかなかできず、
申し訳ありませんっ!
この話は、
トモが小学6年生の時のお話。
今から、6年前の出来事です。
その年の冬。
ソラの支援学校で付き添いをしていた
私の元に、電話がかかってきました。
あの担任の先生からでした。
「◯◯小学校の◯◯です。
トモくんが熱を出したので、
迎えに来て下さい。」
淡々と早口で事実だけを話す先生。
勢いでそのまま電話を切ってしまうのではないかと思い、
私も早口で、
「今、弟の学校に来ていますので、
そちらに伺うのは、1時間くらいかかります。
大丈夫でしょうか?」と聞きました。
私の問いに、
少し間を開け、
先生は、
「はい。今、保健室にいますので、
お迎えはそちらに直接行って下さい。では。」
と、また早口で話し電話を切りました。
私は慌てて、ソラの担任に事情を説明し、
今受けている授業が終わり次第、
下校することにしました。
どんなに急いで帰っても、
やはり、
1時間程かかってしまい、
慌てて、保健室へと向かいました。
「すみません!遅くなりました!」
保健室の扉を開けると、
トモが少し明るい顔で話をしている姿が目に入りました。
トモの前に座っていた保健の先生が、
立ち上がりながら、
「大丈夫ですよ。
トモくんから、『ママは弟の学校に行ってるから、たぶん、遅くなるよ。』って聞いてましたから。
その間、トモくんとたくさんお話が
できましたよ。
ね?トモくん?」と、朗らかに仰いました。
トモも体調が悪いのに、
なぜが、とても楽しそうで、
久しぶりに、そんな顔を見たなと思うような
落ち着いた様子でした。
トモが、帰る支度をしている時、
保健の先生が、
小さな声でこう言いました。
「お母さん。
トモくん、辛い想いをしているようですね。
もし、よろしかったら、
少しお話がしたいので、
後で、お電話してもいいですか?」
私は一瞬戸惑いましたが、
私もトモに聞こえないように、
「わかりました。よろしくお願いします。」と
応え、
支度の整ったトモと一緒に、
自宅へと帰りました。
夕方ごろ。
電話が鳴りました。
今日、トモと話した事を
私の耳にも入れておいた方がいいと思い
お電話しました。
とのことでした。
トモは、
突然、保健の先生に自分の話をし出したそうです。
あまり、自分の悩みを他人に話すことはなかったので、
私はそのこと自体が、とても驚き、
また、嬉しい気持ちにもなりました。
ソラが死ぬかもしれないと思い、
とても辛く悲しかったこと。
パパ(旦那)が、
交通事故に遭い、
どうなるかと心配だったこと。
(高速道路の出口で、追突され、車は大破しましたが、
旦那本人は、軽いむち打ち程度のケガでした^^;)
辛いという自分の気持ちを
上手く話すことができず、
モヤモヤしてしまい、
それを友だちに当たってしまって、
とても反省していること。
色んなことがあって、
学校で笑えなくなってしまったこと。
トモは、
担任の先生から受けていることは
詳しくは話さなかったようですが、
自分の痛みや苦しみを
保健室で吐き出せたようでした。
私は、トモが私以外の大人に、
気持ちを吐露できたことが
何より嬉しかったのです。
保健の先生には、
トモが担任の先生と上手くいっていないこと。
その事をずっと耐えていること。
を、私からお話ししました。
でも、
それを学校や担任には言わないで欲しいと
固く言われているので、
口外しないで欲しいとも伝えました。
保健の先生も、それを約束してくださり、
また、何かあったら、
いつでも保健室に来て欲しいと仰ってくださいました。
その日から卒業する日まで、
トモは、
辛いことや悔しいこと、
苦しいことやモヤモヤしていることがあると、
保健室へ赴き、
時間の許す限り、先生に話をしたようです。
保健の先生と話すことができるようになってから数ヵ月、
トモは、学校から泣いて帰ってくることはなくなりました。
私たちは、
大袈裟でなく、
保健の先生に救われたと思っています。
ちなみに、
卒業式の日のこと。
私は、担任の先生に、
お世話になった御礼と、
ご迷惑をおかけした謝罪をしたんです。
その時。
担任の先生は、
私が目の前にいて、
話をしているのにも関わらず、
顔を背け、
話が終わるや否や、
何も言わず、
その場を立ち去りました。
最後まで、
悲しい気持ちになった6年生の思い出です。