2022年の年明け、決めていた妊活の期日を迎え落胆していた私に一筋の光が差し込んだ。
すみちゃんも一緒に病院に行ってくれる
前回の記事にも書きましたが、今思えばなぜ自分だけでもさっさと病院に行かなかったのか。。![]()
避妊をしなければ何もしなくても期日までには自然に出来るだろうと、現実に目を背けて甘く考えていたんですね…![]()
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そして、ようやくすみちゃんの言葉で目を覚まし、
“そや!このまま納得できずに不完全燃焼で後悔したまま終わってしまうなんていやや!!
結果がどうであれ、病院に行って検査をしたら何か前に進めるかもしれへんし、他にもやれることはたくさんあるはずや!!
TRY EVERYTHING!!”

すみちゃんのオファーの翌日(フットワークが軽い夫婦)、私が“通いやすさ”と“不妊治療に詳しい”条件でネットで見つけた近所の産婦人科の門をたたいたのが2022年1月中旬のこと。
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その病院は、ひっそりとした住宅街に古くからある不妊専門の産婦人科のようで、門構えからして
“え?ホンマにここ??![]()
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”
と、昭和感満載のエモい病院だった。
ホームページはとても明るい配色であたらしめのクリニック感を醸し出していて、“人工授精の成功率日本一”をうたっていたが。。。
( ̄д ̄)ホンマカイナ
名前負けならぬ、ホームページ負けやん![]()
門構えからして不安だったが、中に入るとその不安が100倍増した。
・・・なんだここは?“昔の病院を再現した博物館”か??![]()
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観音開きのガラスの重い扉を押し開くと“ボタンを押してください”とボタンが一つ置いてあり、押してしばらく待つと年配の女性看護師の方が“はいは~い
”とくるシステム。
大昔はお産もとりあげていたのだろう、建物自体は普通の産院並みに大きいのだが、働いているのは先生とその年配の女性看護師と事務兼助手のベテラン女性スタッフの3名のみ。
何なら日によってはどちらかの女性スタッフさんがおらず先生と2人の日も多々あった。
とにかく静かだ。
そして極めつけに先生が。。。
超おじいちゃん!!!![]()
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いやもう年配とかいうレベルじゃなくて
めっちゃおじいちゃん![]()
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字書く手は震えてるし耳が遠いから大きな声でゆっくりはっきり言わないと聞き取れない。(これ仕事に支障あるレベルちゃうんか。。。)![]()
昭和の時代にはまだ今のような不妊クリニックが少なく、不妊治療の先駆けといった存在の先生がコツコツと人工授精を行ってきて、お産もとりあげて、第一線からは退いたがまだまだわしゃ働けるぞい!ってなもんで細々と続けているといった感じだった。
私にとっては通いやすさと検査さえできればどこでもよかったので不満はないのだが、、、
内診の時に震える手でクスコとか鉗子とかちゃんと器具使えるんかなという不安はあった
イタイノヤダ
とりあえず初日はすみちゃんと2人で来院し、
妊娠を望んでいること
タイミング法はすっとばしてほしいこと
顕微授精は考えていないこと
期間は6か月しか考えていないので急いで検査をどんどん進めてほしいこと
を伝えました。
一周期ももう無駄にしたくない。イツモジカンナイネン!![]()
そして初日は私の尿検査、超音波検査、血液検査(風疹抗体・肝炎・甲状腺)、おりもの検査をして終了。すみちゃんは4日禁欲をしてからでないと精液検査ができないとのことで後日出直すこととなった。
翌日電話で検査結果を確認するシステムだったので、病院の電話番号にかけたはずなのに
トゥルルルルル…ガチャ。
男性「はいはい」
MEG「あっ!?えっ!?
マチガエタカナ?こちら〇〇産婦人科ではないですか?」
男性「(聞いちゃいねぇ)どなた〜?」
MEG「![]()
(アレ?)×××(苗字)と申します」
男性「あ~ええ~と~~。。
ああ、はいはい。×××さんね。」
先生直(ちょく)かい!!!!![]()
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こうして私の突っ込みどころ満載の病院通いが始まった。

