ゲゲゲな毎日

ゲゲゲな毎日

妖怪を紹介したり水木ネタを書いたり・・のんきに・・・

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終戦記念日をむかえました。


まったく戦争を知らない僕ですが、

この歳になると以前に比べ、何故か思うものが出てきます。

何故だか感慨にひたってしまいます。


それはたぶん、人の生死の死の部分が自分の中で、

より現実を帯びてきているからだと思います。(僕は健康体)

若さ溢れる頃は自分が死ぬなんて、微塵を思っていませんでした。

しかし、30も半ばになった今、自分が生きている間に何ができるだろうと、

少しづつ考えるようになってきました。

気持ちが変化していきました。

死を知るからこそ生きがいあるわけだと感じてきたのです。


ですから、戦争について、特に第二次世界大戦の終戦記念日となれば、

以前に比べて心に響くものがあるのかなと思います。

人の歴史に戦いはつき物ですが、もともと今より人は露骨に生きていたと思うし。

国のためにと、自分も周囲の人も割り切って戦地へ出て行くその思い。

死が今の時代より、より近いところにあって人の生とは何かと、

たぶん人々は奥深いところで考えて生きていたのだと思います。

その時代を考えると以前には無い、虚無感が押し寄せてきます。


そんな時代を、水木先生は生き抜いてきました。



ゲゲゲな毎日
ラバウルに配属され、

ニューブリテン島の

生死をかけた経験が

今の水木漫画の原点とも

いえるのかと。

幼少の頃の

不思議な話、

民間伝承と

現実的な生死の体験が

今の水木漫画の

深さ、または浅さを

作り出しているのだと

思います。









とうてい僕らには体験できないものを水木先生はご自分の目で見てきたのです。


民間伝承や妖怪の存在自体が薄れていっているこの時代。

子供達の発想は、日々硬いものになっていっているような。

幼い頃から不思議な話を聞き、その中から想像をかきたてる。

現実的なものだけを教えていってもいけないような。

しっかりとした現実的な体験と、想像をかきたてた発想が

合い間ってこそ、深いみのあるものができる。

または、そういう人になれる。


このブログでは、そんなに大げさな事はできませんが、

少しづつ妖怪なんかを紹介していって、

そんな存在もあるのだと伝えていけたらと思っております。








私が妖怪を紹介したり水木ネタを書いたり・・・


のんびりいきたいと思います。



ゲゲゲな毎日
「ケンかはやめろ、腹が減るぞ」


うーん、僕らものんきにすごしたい。


妖怪を許せる世界がちょうどいい。


民間伝承のすばらしさ、

膨らむ発想力。


ノスタルジックは何も過去だけじゃない。

今現在にも存在する。


郷愁にも似た感覚を今の人の心に。


水木先生の言葉は、ひょっとしたら

僕らにちょうどいい。




でも、皆さんも知ってらっしゃる事実。


そんな水木さんにも、きびしい過去がある。

その経験を飲み込んだからこそ、あの大きさがある。


ゆるいと思われがちな水木先生の言葉にこんものがある。


「苦しいことから逃げてはいけない。ラクはいつだって出来る。」


そして、


「成功や栄誉や勝ち負けを目的に、ことを行ってはいけない。」


何より


「戦争で片腕を失っても絶望なんてしなかった。だって生きてるんだから。」


非常に力強い。

この大きさこそが水木作品の原点なのではないでしょうか?


このブログでは、そんな素晴らしさが少しでも伝われば幸いです。