徒然草
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今年、天国へ旅立った父。


今年、令和3年(2021年)8月25日に
父が肺炎のため急逝しました。前日の24日に
危篤になったものの、何とかバイタルも持ち直し
先生も私も皆ほっとした所でしたが翌日に‥。

我が家族は祖父母も母も真冬に亡くなってるので
父もまた、いつか召されるとしたら
きっと冬なんだろなと漠然と思っていただけに
真夏に逝ってしまうなんて本当に
思ってもみませんでした(T△T)

父は私が生まれてすぐ、指を数本失ってしまうという
事故に遭い、そこから統合失調症を発症しました。
かなり激しめの父の錯乱と狂暴さに
毎日恐怖を抱いてた日々でした。
鮮明に記憶に残ってるのは幼少期に蹴られたり
お皿を投げつけられたりしていた私と母の恐怖心。

そして小学校1年生のとき、家に帰るのが怖くて
連日放課後に残り、先生から「帰りなさい」
と何度言われても帰らずに、1人学校に残り
先生から追いかけ回されたことを
今も よく憶えています(^^。
小1にして帰宅拒否症(。^○^。)
あの頃は自分の気持ちを上手く伝える手段さえ分からなかったから、先生達を相当困らせた事でしょう。

どうして父が時々こんなに狂暴になるのか
ようやく理解し始めたのは恐らく12~13才の頃。

といっても狂暴さや激しさの顔を持つ反面、
それ以外の時の父は物凄く穏やかで優しくて
きっとこちら側が本来の父の性格なのだろうと
分かり始めたのもこの頃。

あるとき、手に止まっている蚊を父がじっと
見つめていたので「叩かんと??」と聞いたら
「かわいそうで叩けん」と言った事も^^。

薬のコントロールが上手くいってなくて
自分の幼少期は、父が病院に入院して
薬の調整をしていたという記憶もうっすらと。

同じように今年の夏も少し気性が激しくなり
施設のスタッフさんと病院と私で話し合い
薬の調整で3ヵ月ほど入院することが決まり
入院して僅か2週間ほどで、まさかの急逝でした。

でも父は入院する間際まで本当に元気で☆
夜は徘徊して施設の冷蔵庫を開けようとしてたり
私も時々オヤツの差し入れをしたり
優しいスタッフさんや病院の御方に恵まれてました。

父が介護施設に長期入所したのは
まだほんの数年前で
それまで数年は自宅介護でした。

当時仕事から帰ったら玄関で転んで血を流してたり
転んで口の中を切ったり、発熱で吐いたり
歯医者さんや内科医さんに父を3Fから抱えて
車に乗せて連れて行ったことも何度も^^。

月に1度の定期診察の時は予め介護タクシーさんを
予約できてるので介助して貰えるのですが
突発的な病気やケガの時に介護タクシーさんに電話をしてみても断られる事が殆んどでした。
それだけ介護が必要な高齢者の御方が多い
という訳なんですよね。

あるときはウ○チがオムツの脇から
とめどなく溢れ出したり(。^○^。)
当時は確かに精神的にキツイ部分もありましたが
ケアマネさんやショートステイの職員さんや
デイサービスの職員さんにも、どれだけ甘えて
どれだけ助けて頂いた事でしょう(T△T)

父はずっと田舎に住んでいたのですが
2012年に母が急逝してから暫くは
私の自宅と遠方にある田舎の施設のショートステイを
行ったり来たりでした。

実は生前母も持病があり、父も定期診察があるので
月に1度は県をまたいで父母を病院に
マイカーで連れて行く日々でした。
私は高速が苦手なので下道で田舎まで
5~6時間かけて帰り、そして実家に泊まり
翌日また1時間ほどかけて
父母を病院に診察に連れて行き
そしてまた県をまたいで自宅に帰るという日々を
もう何年も続けていました。

遠方なので大変と感じる時も当時は
確かにありましたが
振り返ってみれば、
1番贅沢な時間だったのかもしれませんT_T。
病院帰りに父と母と寄ったうどん屋さん
特に1人で外出できない父にとって
美味しいうどんや御寿司を食べれる
唯一の至福の時間だったことでしょう。
また運転が大好きな私にとっても
月に一度の大事なデトックスの時間だったような
気がします。

そして父と母を実家に送り届けてから
再び自宅のあった福岡や熊本に帰る日々でした。
積雪があり帰れないときは、箱いっぱいに
野菜や干物やとにかく色々な物を詰め込み
クール便で実家に送ってましたっけ。

母が脳出血で倒れてしまった(夜)日のお昼にも
「今日荷物送ったよ」と電話をしたら
「いいもの送ってくれた?(笑)」と母と笑いながら
冗談を言って話したのを憶えています。そして
いつもはあまり要求しない母なのに
「温泉に連れて行ってほしい」とも。
珍しいなあと思いつつも、積雪や凍結のため
私の運転技術では峠を越えれない時期なので
「また暖かくなってから春先に行こうね」と
返事したのでした。
まさかその日の夜に倒れてしまうなんて
夢にも思いませんでした…。

実家に帰ったとき、数日前に私の送った荷物が
開けられないまま部屋の隅にあった切なさは
忘れられません((T_T))

と、かなり長くなってしまいましたが
今ごろ父も、母や祖父母と再会を果たし
天国での生活に慣れた頃かな?なんて
思ったりしてます(*´◡`*)

父が亡くなった年(令和3年)の大晦日に
ブログに書き記しておこうと
つらつらと思いのままに綴らせて頂きました。

思い出はまだまだ山ほどありますが
また思い出した時につらつらと☆

動物が大好きだった父と母と
そして先代のニャンワン&祖父母達と
天国でゆっくり過ごせていますように…☆

令和3年12月31日(土)大晦日にて。

”グリーンブック”



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