祖母と最後にゆっくり話しができたのは、
約二年前の2020年の1月1日でした。
私のタイムラインで確認すると、祖母の入居する施設に33分滞在となっていました。
どんな話しをしたか殆ど覚えてはいませんが、
弟もたまに来てるんだよとにこにこ祖母が言っていたのは覚えています。
また来るねってその時はそのつもりで軽くバイバイして帰りました。
ですが、その後の新型コロナウイルスパンデミックで施設のある遠方実家へも帰省もできず、
仮に帰省ができていたとしても当然施設には入れず、
2年近く会えない間に祖母はみるみる弱り1ヶ月程前に老衰で旅立ってしまいました。
昨年の8月中旬くらいに、殆ど食事をとらなくなってしまったと母から電話がありました。
コロナ前は毎日施設へ通っていた母には、
そんな状態の祖母(母にとって実母)に会えない辛さは相当なものであったと思います。
9月中旬からはまったく食べられなくなり点滴へ。
コロナ感染者が減少し移動の制限も解けていた10月下旬に、生きているうちに会えるのは最後になるだろうと覚悟を決め、
姉と、コロナ災禍の中で産まれ祖母とは会えていなかった姉の子と3人で仙台へ行きました。
そこには一気に年老いて寝たきりになった祖母がいました。
看取りという事で面会は許されていましたが、
他県からの訪問者は直接会えない決まりで施設のエントランス内の窓ガラス越しにスピーカーを通して話しかけました。
初めの『おばあちゃん、私子だよ!』の声掛けに少しだけ反応してくれました。
それ以降は反応は殆どありませんでしたが、その後、直接の面会が許可されていた母が、
『昨日、私ちゃん達来てくれてんだって?』と話しかけたら『うんうん』と頷いてくれたらしいです。
その後、12月上旬に母と弟に見守られて旅立った祖母。
明るかった祖母。
コロナ前までは車椅子での生活でも明るく良く喋る祖母でした。
私の冗談に声を上げて笑ってくれていた祖母。
コロナパンデミックで母とも会えなくなり、
まるで浦島太郎の玉手箱を開けたように一気に老いてしまった祖母。
コロナじゃなかったら。
最後に手を握り会話を交わせていたであろう。
コロナじゃなかったら。
もう戻れない時間。
2020年の元旦にもう一度戻りたい。
想い浮かぶ祖母はいつも笑顔なのに、
寂しさだけが心をしめつける。
またいつか会えるのだろうか。
祖母と同じ場所へいける自信は私にはないけれど、
祖母がいる場所は穏やかであたたかく、
苦労の多い人生だった祖母が身体の苦痛から開放され、
安心して笑顔で過ごしている事を祈るばかり。
おばあちゃんにもたくさん愛され育った私は、
本当に幸せ者です。
ありがとう。


