父は4年前に突然亡くなりました。


JWどっぷりの母ですが、

父が倒れた時には連絡をしてくれたので、

息を引き取る時も、側で手を握っていることができました。


父はJWの活動のために、夜勤や新聞配達などで家族を養いました。


遊びが上手で、小さい頃は寝る前の布団の中での遊び時間が本当に大好きでした。


基本自分にも他人にも甘くて優しく、

人を笑わせるのが大好きで、

サッカーが上手で大好きで、

子どもから好かれるタイプでしたが…

不意にキレるスイッチが入ると、武闘派のような怖さもあるユニークな人でした照れ


私が排斥になり、実家を出て九州に行く日には、

「これで車中美味しいものでも食べて下さい。(父さんの小遣い)いつでも、気兼ねせず、帰っておいで」と手紙をくれた父…


JW的には忌避しなければいけない状況ですので、

「いつでも帰っておいで」とは言ってはいけなかったと思います。


それでもそう書いてくれた父の愛。

その手紙はいつ読み返しても涙が出ます。


手紙とお金は大切にしまっています。


父は私が原因で長老を降ろされ、

色々な特権からも遠ざかっていたようです。


そんな父が約10年ぶりに公開講演を果たした日、

心不全で倒れ、そのまま二週間ほどして帰らぬ人となりました。


倒れてからは脳死の状態でしたが、

声は必ず届くと信じて、

ありったけの感謝とお詫びの気持ちを伝えました。


今でもよく父の夢を見ます。

暑い日・寒い日・雨の日は、新聞配達をしていた父のことをよく思い出します。

手帳には父との写真を挟んでいます。


理不尽だと思っていたこと、私がバプテスマを受けることになる父の壮大な思い込みetc…色々ありますが、父のことは大好きです。


私は昨年子どもを産みましたが、父に会わせてあげたかった。父ならきっと 私の子だから と忌避することはなく、孫を膝の上にのせてたくさん可愛がってくれたと思います。


父の死後、若い長老たちが私に会いに来て、

「お父さん兄弟は『生きるにしても死ぬにしてもエホバのもの』という聖句がお好きだったとお母さん姉妹から聞きました。」と言われました。


この聖句、母が好きだったのは覚えてるんですが、父は本当にそうだったのかな?


我が家は父が最初にJWの教えに触れバプテスマを受けたのですが、何が魅力だったんだろう?


父の性格は 宗教の厳格な生き方 から程遠いところにあるはずなのに…


お父さん、どういう思いでJWになったの?

JWとして子どもを育てることをどう思っていた?

離れた私のことをどう思っていた?

お父さん、教えて。