そういえばこないだ告白読みましたよ。
映画は観てないよー。

深夜のマクドナルドで読んでいました。
なんでかは聞かないでね。


まず構成が面白かった!
章ごとに語り手が違う一人称形式で、読み続けていく程に新しい事実が分かったり、あ!これは本当はこういうことだったのにこの人はこう思ってるんだ!と登場人物一人一人に焦点を当てながら物語が進んでいく構成は素晴らしいと思う。

角田光代の「空中庭園」も、各章によって主役を変えることにより、登場する家族のそれぞれの視点が描写されていて、家族の間の見えない壁をうまく表現していたと思う。

アングルが変わることによって、ある登場人物が他の人にどう思われているかわかるし、また登場人物のキャラクターをより印象づけることができ、彼らの人間関係がわかりやすい。

一人の主役に感情移入しすぎず物語を群像劇として、全体的として捕らえやすい。
「告白」では森口が主人公(?)だけれども、別の登場人物にとっては他人に過ぎず、森口さえもひとつのファクターとして見ることができた。

こういう構成私は個人の好みとして好き何だけど、映画ではどうやって脚本とか構成描いたのかな?
読み終わったとき、「これを映画にするのは大変そうだ!」と思った。
またDVDとか出たら見たいですね。

②に続く!

いま実家ですよー

震災、原発、停電、混乱する東京を離れて大阪へ、ごー!!!


来年のゼミ原発のやつ取ろうか悩んでるー
チェルノブイリとかの原発事故についても調査したいし、リスク面だけじゃなくて原発をつくることによって地域に与える影響、国からの補助金だとか、反対運動とかも知りたいな…

今回のことで自分がどれだけ知識ないかわかった




今回の震災でもイソジンとか有害物質の雨とかのデマが流れましたね

口コミの力はすごいと思う。mixiとかTwitterとかyoutubeとかが発展して、マスメディア以外の個人が大衆に対して情報を発信することがしやすくなった。


情報を発信するマスメディアも個人もその情報について責任を取らなくてはいけないはずだ。
適当なことを言ってはいけない。
自分の予想や考えと事実とを明確にしなければならない。
自分が伝える情報を理解し把握したうえで伝えなきゃいけないはずだ
情報源が信頼できるものかどうかも考慮しなければいけないと思う

ネットの発達で情報が拡散しやすくなった分デマも回りやすくなった
例えば「今日までに1万8000人の人が亡くなった」ということをmixiなどで伝える時は、自分がどこでその情報を知ったのかも添えるべきだと思うし、情報源のリンクがはれるならはったほうがいいと思う
みんなでその情報が正しいかチェックできるし、正しいという証拠にもなる

~の話によると…、ていう情報は胡散臭い
専門家がテレビで発言したことならともかく、うちの知り合いの原発職員の話だと…とかは情報として信頼性に欠けてる
それを聞いた人は信じるかしないかは、各自の判断に任せるとしても、その不確かな情報を第三者に伝えるのは避けた方がいいと思う


情報を発信するときも受け取るときも、情報の取り扱いに注意をはらい、周りのひとにいらぬ不信感や混乱を与えないようにすべきだ




と言ってみるテスト。


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死んでませんよ私は!

こんだけ放置したらアクセス数0なってるかと思ったら、全然なってないじゃないかあ!?

みんな私のブログ見捨ててないのね…
(ρ_;)

これから更新がんばるるる。
あれ前もこんなこと言ってたっけ…?