現実世界は常に揺れ動いている。

人間の心も常に揺れ動いている。

これらは 物質に伴う心、マインドの状態で、真理の状態ではないからである。


この状態を三角形で表すと

三角形の底辺が二極で表される。

この底辺が現実、物質の状態である。


頂点の点は一元、神の世界、宇宙との統合である。



現実に起きているエネルギーをじっと感じる。

現実の現象に心を奪われることなくエネルギーをしっかりと感じ続ける。

エネルギーの観察者になるのである。


現実に起こる様々なイベントのほとんどは、アストラル体のエネルギーの現象化である。


この 現象を引き起こすアストラル体エネルギーだけを抽出する時、

エネルギーは本来のエネルギーの質量だけになり

エネルギーに付属していた物語が離れる。


要するに

本来のエネルギーに付属していたアストラル エネルギー(痛み、苦しみ、悲しみ、欲望等)と


エネルギー本体は別なのである。


エネルギー本体に、 アストラル 体のエネルギーが付属するとあれこれの物語現象を現実に創り出してしく。


このアストラルエネルギーは人間の低位のエゴである。


エネルギーに付属していた物語が離れてエネルギーの質量だけを感じるとき、


そこには善悪は存在しない。


エネルギーが存在しているだけである。



それはまるで

鉄と言う物質から

銃と言うモノを作った。

その銃と言うモノにまとわりつく概念、人々の感情を取り除き

色形にとらわれず、


鉄と言う物質だけをみるようなものである。


エネルギー本体は美しい。

純粋だからだろう。。。。


エネルギーはそれぞれが質量だけで存在しているが、

アストラルエネルギーが純粋なエネルギーと結合する時

人々の想念によって形態を形成する。

そして、人々は現象に現れるその形態をみて様々に判断する。


しかし、

エネルギーを純粋にエネルギーとして観る、観じる時

そこには善悪やエネルギーに付属していた感情も情緒も存在しない事がわかる。


このように エネルギーをエネルギー 質量として感じる 集中力と洞察力がある時


この世界で起きている現象をエネルギーとして捉えることができるようになってくる。


このエネルギーをエネルギーとして捉えるためには、集中力が必要である。


集中力を養うためには 瞑想がとても有効な ツールとなる。


エネルギーをエネルギーとして捉えることができると


エネルギーに付属していた様々な感情や現象が剥がれ落ちていく。

純粋に事象を感じられる。

観察できる。

低位のエゴに引っ張られない

いわゆる ジャッジメントがなくなってくるのである。


このジャッジメントがなくなっていく 過程が

三角形の底辺の大きな 二極から

三角形の頂点の一点(いわゆる 統合 .一元の世界)に向かって行く過程である。

三角形の二辺が徐々に上に上がれば この二極がだんだんと狭まってくるように、

一元に向かう 過程で、心の揺れが徐々に小さくなっていく。


三角形の頂点が中道であり 一元である。

一元に向かい 始める道程で一元 からの

無条件の愛、慈悲を感じる瞬間が訪れる。

上に向かえば 向かうほど、この愛に満たされる時間が増えてくるのである。


ありがとうございます。