やっと長い国家試験が終わり、勉強は一旦落ち着いて考え事に時間を割ける余裕ができた。

その考え事とはズバリばあちゃんのことだ。

ばあちゃんは藍那ってとこに住んでて俺の実家から車で20分くらいで小さい頃から兄貴と一緒によく泊まりに行ってた。
おかんは当時は割とスパルタで勉強ばっかりさせられてて、ゲームとかできなかった。

ばあちゃん家にはおっちゃん(おかんの兄)もいていっぱい欲しいもの買ってくれてこっそりゲームボーイも買ってもらったんよな。
兄貴はPlayStationを買ってもらっててばあちゃん家に泊まる度にこたつ入りながら兄貴と一緒にゲームしてっていう...その実家にいたら味わえない特別感が幸せだったし、ばあちゃん家に泊まるのは俺も兄貴も特大イベントみたいな感じだった。

そのままこたつで寝落ちして朝起きたら台所から光が差してて、ばあちゃんがパン焼いててくれたり紅茶作ってくれてたりして
寝ぼけた状態で台所に行ってばあちゃんの作ったパンや紅茶を召し上がってたのがめちゃくちゃ記憶に残ってる。
昼にはばあちゃんと一緒に鈴蘭台ってとこに買い物に行ったこともあれば、おっちゃんが兄貴と一緒にデパートのゲームセンターに連れていってくれて、5000円くらいお小遣いもらって兄貴はずっと格ゲーしてて俺はずっとクレーンゲームしてて、でかいぬいぐるみを毎回持って帰ったりしてた。
そっからばあちゃんちに戻ってまた兄貴とゲームしてるんだが...夜になると玄関が騒がしくなるわけ。
それはおかんが迎えにきた合図でその音が聞こえた瞬間慌てて兄貴と一緒にゲーム隠してってのをやってたなぁ。

小学校低学年くらいまではそんな感じだったと思う。
小学校高学年になってからはお受験があったし、中学校に入ってからはおかんもゲームについて何も言わなくなって、それくらいからかな。ばあちゃん家に泊まる特別感も消えて、泊まる文化もなくなったしまったのは。

正月は毎年ばあちゃんちに行ってたしたまにおかんについていって遊びに行く程度だった。
俺がちょうど前の大学に入った頃くらい(10年前くらい)から若干ばあちゃんの動きも悪くなってきた気がした。
ずっと畑仕事ばっかりしてたしめちゃくちゃ体力もあったばあちゃんがあんまり外に買い物に行ったりとかしなくなった。
そんときから嫌な予感がしたのかわからないけどばあちゃんの写真を残しとかなって当時の俺は思ったのだろうか、そん時の写真が自分のスマホに残ってる。
そこに写ってるばあちゃんはおかんがプレゼントした帽子を被ってゴディバのチョコを前にしてめっちゃ笑顔のばあちゃん。

そっから1年後くらいにあんまり動けんくなって病院に運ばれたって聞いて家族と見に行ったら、ベッドの上でばあちゃんが看護師に体勢を変えさせられてる度に痛い痛いって言っててめちゃ辛かった。
当時付き合ってた彼女とデート中にそのこと思い出して取り乱してしまったことも覚えてる。
それでもばあちゃんは復活して家にカムバックしたけど、体が万全ではないのかベッド生活が始まった。

そっから自分の中でいつかばあちゃんいなくなるんかなって思うようになって、会いに行く度にこっそりスマホでばあちゃんとの会話を録音するようにした。
でもそんな思いとは裏腹にばあちゃんはご飯はめっちゃ食うしケーキ持っていったら美味しいって食べてたしすげー元気やった。

3年前くらいから遊びに行って喋っても結構同じ質問が飛んでくるようになった。
でもそんときすでにばあちゃんは95歳くらいやからしゃーないかなって自分の中で納得して同じ質問にちょいちょいアレンジ加えて返事してた。

婆「なおちゃんは今医学部やな。前は教育学部やったかい?」→俺「違うで。工学部ってとこ」→婆「そうかそうか」

数秒後
婆「なおちゃんは今医学部やな。前は教育学部やったかい?」→俺「ちゃうよ、工学部の電気電子ってとこやねん」→婆「そうかそうか」

数秒後
婆「なおちゃ(ry

って言った具合に。
たまにしか遊びに行かないのでばあちゃん家に行った時は録音しながら積極的に会話することに努めてた。
ばあちゃんの口癖でめっちゃ好きだったのが、どこの方言かわからんけど
「はよエロなりよ(偉くなりよ)~」って言葉。
俺は偉くなれんかったけどエロくはなれてると思う。

おかんは毎日ご飯持っていったりでばあちゃんの家に行ってたから
事あるごとにばあちゃんが元気か確認してたんやけど去年の9月くらいから急に体調悪くなってきたみたいであんなにご飯いっぱい食べてたのにあんまり食べんくなってきたっておかんから言われた。

それで10月に見に行ったらばあちゃんはベッドに座って机にうつ伏せの状態でいて、「ばあちゃん大丈夫?」ってきいたら弱々しく手あげてて「大丈夫」って言ってたけど明らかに弱ってた。
それで帰るときに手振ってもばあちゃんめっちゃ辛そうに手振っててそんときにもう最後かもしれんって嫌な感じが頭よぎった。

そっから数日後くらいに病院運ばれて病院に行ったおかんからは肺に水が溜まってたみたいって教えてもらった。
確かにベットに横にならずに座ってたのも起座呼吸せなしんどかったんやと思う。

入院になってしまったけどコロナのせいで全くばあちゃんに面会することもできず、どうなってるかわからない日々が続いてた。
おかんが病院側から聞いたことをその都度教えてもらってた。
インフォームドコンセントのために先生から話があるってなって、おかんと兄貴と一緒に一度だけ夕方ごろに病院に行った。

先生が言うには
肺の水が酷すぎて、利尿薬を飲んでそしたらだいぶ楽になったけど次は腎臓のクレアチニン値が高くなってきて腎臓がかなり悪くなってきてるから透析も選択肢にある。
ということだった。

おかんもばあちゃんがこれ以上苦しむのが続くのは嫌ってわかってるし充分長生きしたからあとは自然に天寿を全うしてほしいという方向で話は終わった。
そのときも実際はコロナで患者に会えないって決まりやったけど
俺と兄貴まで来ているってことで、先生がわざわざベットごとばあちゃんを運び出して会わせてくれた。
ばあちゃんは意識もはっきりせんくて呼びかけても反応もあんまりなくてその状況が俺にはキツすぎた。

それから数ヶ月経って1/4に家族ラインでばあちゃんが危篤って報告を受けて
国試の勉強に追われてたけどそんなのはどうでもよくて車で急いで向かった。
けど運転の途中で息引き取ったっていうラインが入った。

ばあちゃんは入院してて、こういうコロナの状況とかあんまりわかってないから家族が面会にきてくれんかったのめちゃ寂しかったと思うし最後一緒にいてあげれんかったしもっといろんな話しとくべきやったって後悔した。
10月にばあちゃんが弱々しく手振ってるの見て、最後かもしれんって思ったはずやのになんもしてあげれんかったことに後悔した。

病院着いたらばあちゃんは静かに眠ってた。
次の日にお通やがあってその次の日に葬式があった。
お通やの時も葬式の時も棺桶に入って花に囲まれてるばあちゃんみて、
もうこの世には生きてないって思ったらめちゃくちゃ泣けてきた。

ちょうどその期間に模試も解かないといけなくてお通やとか葬式の休憩の合間とかに解いてメンタルもボロボロで無茶苦茶な点数を叩き出した。

ちゃんとばあちゃんの死を受け入れられたのは燃やされて骨になって骨壷に入れていく作業をした時やと思う。
その次の日からばあちゃんの事を考えると勉強が手につかないから、気持ちを切り替えてばあちゃんの事はしばらくの間、無理矢理にでも忘れることにした。

たまに思い出しそうになっても封じ込めて勉強に専念した。仮に落ちてばあちゃんのせいになっても嫌やしし、なんとしてでも受からなければいけなかったから。

それでつい先日国家試験もおわり、今は考えごとに時間を費やせることができたので書いてみた。これは何年後かに見返して当時のことを思い出すためでもある。

録音してたのも生前のばあちゃんの声を思い出すため。

鬼滅の刃で煉獄さんが「老いるからこそ死ぬからこそ、たまらなく愛おしく尊い」って言ってたけどその通りだと思う。

ばあちゃんは生前、「100歳なったらお医者さんになって診てな」って言ってきたけど結局医者になるところもみせれんかった。

来週に四十九日があるから完全にばあちゃんを天国に送り出してくる。
ばあちゃんよ、医者になったところを天国から見届けてくれい。