写真は、地元の駅にあるもの。
今まで特に気にせず通っていた場所に
こんなものがあったのだと
気づかせてくれたのは、
この本のおかげかもしれない。

高橋りりす『サバイバー・フェミニズム』。
日本の反性暴力運動の問題点を内部から告発しているような本。
性暴力を受けた側に「勇気を出して(裁判を、証言を、等)」
と言う風潮に対して、
自身がのぞんでそうする限りでなければ、
無理してそうする必要はないという。
そして、そのような裁判や証言が出来ない被害者を「勇気がない者」とみなしたり、
「裁判をおこせなかったから支援出来ない」という考えを批判する。

むしろ、そのような被害を受けても
生きてあること、
そのこと自体が「勇気」を持っていることなのだ、
サバイバーよ、これ以上「勇気を出すな」とりりすさんは言う。
同じ「勇気」という言葉で、
批判と同時に、サバイバーに対する
存在の絶対的な肯定をする巻末の
メッセージには、涙がでた。

また、本の中で印象的だったのは、
理路整然とした語りと感情的な語りに
優劣をつけるおかしさを指摘しているところ。
確かに、そういうところが
私が今までいた場所にもあったし、
(大学でも職場でも)
感情的な語りを特に女がしようものなら発言内容に対する何かしらの反応ではなく、
「ヒステリー」とかげで囁かれておわるようなことは何度もあった。
発言の内容よりも形式のほうを取られ、
ラベリングされてしまう理不尽。

と、いろいろ考えさせられたり
自分のこれまでを振り返って
「あ」と思うような発見があった。

本を読みながら、
りりすさんが運動に関わりながら受けた傷を、
私もどこかで誰かにしてしまっている(きた)んじゃないかと思う。
本の最初と最後にある、戯曲とメッセージが本当に素敵。
同時に、胸が痛む。