写真は一昨日の松島。

ちょっと黄昏てました。

穏やかな海、です。

一日も早く、きれいな松島に会いたい。


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あの日から2週間。
仕事は通常業務になりました。
わたしの仕事は、こういう時だからこそ、
たくさんの人が訪れる場所なので・・・。

今日は全体で2000人が訪れたそうです。
それだけ、大変な状況なのだと思います。
これからもっと、増え続けるのではないかと思うと
いつも以上に頑張らねばと・・・。

そんな仕事の合間をぬって
一昨日は被害の大きかった街、東松島に行ってきました。
航空自衛隊がある街、ブルーインパルスの街・・・
あの日、この道を通って石巻に向かいました。
帰りは、この道は既にありませんでした・・・。
なのに、自衛隊をはじめ、復旧に来てくださった皆様のおかげで
R45は渋滞することなく、東松島に続いていました。

朝6時に家を出て3時間並んでガソリンを入れ、
救援物資、おにぎり、パン、水などを車に積み込み
向かいました。

父親は始めわたしが行く事に対し
否定的な考えを持っていました。
「何もおまえが行かなくても良いのではないか」
という気持ち。

でも、母親はわたしを応援してくれ
救援物資のおにぎりは、わたしがガソリンを入れている間に
母が握ってくれました。

父親の心配してくれる気持ち。
母親の理解してくれる気持ち。
どちらも、ありがたいと思います。

途中の景色は本当に、言葉にできません。
知っている景色、見慣れた景色だっただけに
言葉がありませんでした。

国道は物資を運ぶ為にも
真っ先にきれいに通れるようにしたのだと思います。
でも、路肩には泥や瓦礫、車がまだまだ散乱しており
自衛隊をはじめ、たくさんの方が一生懸命に作業をされていました。
向かう最中に、岡山・兵庫、警視庁(東京)のパトカーをはじめ
たくさんの他見ナンバーの車を見かけました。

本当に、多くの方が来てくださって
復興へ向けて作業をして下さっていて
胸が熱くなりました。
本当に感謝の日々です。
一本道をそれるだけで
途端に、被災の爪あとが残る道になり
泥だらけの道を進んで行く先に目的地はありました。

そこに住んでいる人たちは
みんな頑張っていました。
笑顔でした。
お世話になっている方も、その家族も元気に
作業をしていました。

避難所もいっぱいで入ることが出来ない。
高齢で避難所にいけない。
子供が泣くと周りの迷惑になると思って
津波被害のあった家の、浸水しなかった2階部分で
生活をしている人たちに会ってきました。

近所にきゃべつやたまねぎなどの野菜を卸ているお宅があったらしく
道や庭先、車の中にまで泥だらけの野菜が落ちています。
また、泥もまだまだ水分?油分?を含んでおり
とても重く、長靴でも歩きにくい状況です。

お水や電気を含め、ライフラインは何一つ回復していない。
お店も開店していない
そんな状況の中でも、近所で助け合いながら
日々、自分の家を片付けている状況だそうです。

仙台中心部にいるとわからないこと。
たくさんあります。
並べばガソリンだって、食料だって手に入る状況になり
日々、それも改善されていっています。
でも、海岸線の街はまだまだなんです。

手を握り、話をし、あながら、あまり邪魔にならないように
長時間の滞在は遠慮し、
「またね」
と言って帰ってきました。
帰りの道は珍しくドリカムでした。

「きみにしか聞こえない この声は今でも
呼び続けてるよ 届くように 繋がるように
きみの名前を何度も
i'm callin' you, callin' your name」

きみにしか聞こえない / Dreams Come True
作詞:吉田美和 作曲:吉田美和/中村正人

あ・・・一件私信です・・・。
わたしが20年近く通っていた亘理のおすし屋さん。
「あら浜」の親方をはじめ、ご家族の安否が確認できました。
いつか・・・また・・・あのお寿司を食べに行きたいね。
いつか・・・大切な友にあのお寿司を食べさせたいな。

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