我が家では5羽の小鳥を飼い始めて3年になった。フィンチが2羽と、セキセインコが3羽。実は4歳になる息子に、何かペットをという夫に、いつも留守にもなりがち、おまけに狭いこの我が家で犬猫は困るといって反対していたけど、小鳥ならなんとか…といっていたらば、夫が「差し上げます」欄でまずフィンチを2羽ゲット。でもフィンチは手乗りにはならない小鳥だからと、またまた、「売ります」欄で、ブリーダーさんがそれなりにてなづけた幼鳥の広告を出しているのを発見し、私がもらってきたのが1羽目のセキセインコ。ブリーダーさんは、子供のペットにと思って…というと、1羽だけにしておいたほうがいい、別の鳥仲間がいると、人とは仲良しにならないから…というので、1羽だけを購入してもどった私に夫は、「1羽だけでは寂しい、もっと仲間をつくってあげないと…。」といって、たまたま、また差し上げます欄で、すでに大きくなった子供に見向きもされなくなったセキセインコのペア?を2羽もらってきたというのがこの鳥5羽となった経緯。
さて、5羽になってみたらば、やはりセキセインコは人間のお友達にはならなかったし、思ったより鳥の声はうるさかった。手乗りにならない小鳥は、やはりそんなに楽しくなかった…ということで、私が結局毎日のように世話をすることになった。
小鳥も、脳はそんなに大きくないけれど、実際きちんと毎日世話をしている人というのは見極めているものだ。ある朝起きてみて、やたらとやかましく鳴きたてる鳥たち。はて??と思いつつも朝食の準備をしたりしている。鳥小屋のそばを私以外の人が通ってもさして大きく鳴かないのに、私が小屋の近くを通ると、声が2倍になる。。はて・・??
そう思ってやっと手が空いたところ小屋をのぞくと、餌がちょっぴりしかなかった。
「あれあれ、ごめんね。」といいながら、餌を足しつつ、きちんと私を認識しているのがわかって面白かった。しかし認識されているといっても、現金なもので、だから私にとってもなついて、手にのって甘えてくるといったほどのことではない。お腹がおちついたらあっというまに私に語りかけてもこなくなるし。
そんな小鳥たちも見ているとかなり性格がまちまち。
フィンチは好奇心旺盛で、逃げるのも早いけど、意外に人になかなかなれないセキセインコよりも、お腹さえ空いているならば、餌を乗せた手にやってくる。
1羽目にブリーダーから購入したセキセインコ、白色のピカは性格がキツイ。個性が強く相手に喧嘩を吹っかける。おまけに一度は手乗りでならされたものの、我が家に来てからは鳥友達がいるので人には甘えたりは決してしないけれど、お腹が空いてるときには、昔手乗りだったことを思い出してか、我慢しきれず人の手にも乗って餌をとる。
かつてペアだったはずの水色のルナは多分メスなのだろうとおもうけれど、これがほんとに人にまったくなれない。お腹が空いていようがなんだろうがどうしたって人間がちらとでもそばにいれば決して近寄ってはこない。いつも世話してもらってる恩などなにも感じていないほどに少しでもケージに手をいれたら、恐れおののき逃げ回る。また、ペアだったと思われる緑色のチュチュとはおさらばしたのか、若鳥のピカと普段いい感じ。仲良しでお互い羽づくろいをしあったりしている。
ペアでもらってきたうちの緑色のチュチュは、おとなしい性格で、人にもずいぶん慣れている。お腹がすいていればまっさきに人の手の上にものって餌を食べるし、少し止まり木をなおしてやったり、水を変えてやったりするために手をケージに入れてもあまり動じることなく、止まり木におとなしくとまっている。いつも優しい目をしている気がしていた。これが多分オスと思われた。というのも、ルナを巡って?かなり一方的にピカから何度も追い払われ攻撃を受けていたから。
見ていたらなんとなく『お前、わかいもんがきたら俺をすてるんか??』と水色のルナをたまに悲しい顔でみているような気がした。
実はなんどもいじめられているような(止まり木にとまっていたらピカがやってきて追いやるので、逃げて別の場所に泊まる。。するとまたピカがやってきてまた追い払われるという具合)様子を見ては、この心優しげなチュチュを別のケージに入れてやったほうがよいのでは?とおもったことがなんどかあった。精神的ストレスがあるのか?別の鳥に比べて、羽が抜けることが多かったように思ったからだ。
でも、それはそれで一羽寂しく他のケージに入れられるのもかわいそうなのでは?という気もして、結局なにもしなかった。
夏になって、外がとても明るい。暖かい。南国に住むはずのインコたちにとっては、きっと外のがきもちよかろうと、(フィンチもオーストラリアの暖かいところの鳥と聞いてるし)天気が暖かであれば外に出す日々が続いていていた。でも昨日はたまたま気温もちょっと下がり、さらに自分自身もいろいろ用事でバタバタしていたので、ケージも外にださなかった。ちらと眺めたところ、チュチュは羽の中に顔をうずめて寝てばかりいるように思えた。
今朝、いいお天気だな、暖かだな、、とおもったので、ケージを外に出すことにした。
と、ケージの床にチュチュがころりと転がってるのが目にはいった。
死んでいた。
大慌てで拾い上げると、まだ体は柔らかで温かみもほんのり残っていた。
小鳥たちとは毎日餌をあげたり水を変えたりはするけれど、それほど大きなコミュニケーションはなかった。
犬や猫と違う。手乗りでもなかった。
でも、チュチュはその中でも一番まだ人いなれていて、おまけになんだかちょっとかわいそうな境遇に陥っている様子だった。羽がたくさん抜けたときにはかなり心配した。体を膨らませて、ずいぶん調子が悪そうに思えたからだ。そんなこんなで、ずっと調子が悪いんじゃないかとおもったりして、一番気にしていた小鳥がもういとも簡単に死んで転がっていた。
昨日ちらとケージをのぞいて、寝てばかりいたのを思いだした。
なにをしてやれただろう?何もできなかったかもしれない。
もうずっと慢性の病気だったのかもしれない。
でも、もっと気にかけてやっていたらば。。一体いつから死んでしまうほどに弱ってしまっていたのか?
餌を食べる行動をしなくなってどれくらいたっていたのだろう?いや、食べていたんだろうか?
もっと様子を見てやるべきだった。
手に餌を乗せて与えてみたらば食べたのだろうか??
もっと前からケージを分けてやろうかと思ったりしたのに、やってやればよかったのではなかったか??
ミレットという粟粒の穂が好きで、ケージに入れたら人をあまり恐れないから、真っ先に近くによってきて食べていたことを思い出し、ミレットをあげてみたらばよかった等といろいろに思った。
昔我が家では犬も猫も小鳥も金魚もほんとにいろいろかっていた。
それらが亡くなるたびに泣き、もっとああしてやればよかったこうしてやればよかったと、やらなかったことを後悔したものだ。
いまこの年になって、また息子のためになんとなくわが家にきたペットの鳥一羽のために、こんな思いをするとは思わなかった。
息子の1年生の教科書に、犬を失った子供の話が載っていた。
毎日犬に愛してるといい、毎日その犬と過ごしたこどもが、犬が死んだときに、「ぼくは後悔してないよ、だって毎日きみに愛してるって伝えたもの」というセリフが書いてあったのを思い出す。
今日、2羽だけになった残りのセキセインコたちをじっと眺めた。
2羽は、昨日までいた自分達の仲間がいなくなって少し探しているようにも見えた。
反対に、ずっと2羽の間にいた邪魔者がいなくなってすっきりせいせいしたようにも見えた。
せいせいしたように勝手に自分の目に映ったときには、まるで2羽がチュチュを殺したようにも思えた。
笑える。
1羽の鳥の死からの自分の様々な感傷。
そして、同時に、これらすべてはすべて尽きてしまった小鳥の命をもう二度と救うことができない、意味のないものでしかないのに。
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