半年前、父に言われた。
「お前のせいで、
どれだけ惨めな思いをしたかわかっているのか」
怒鳴られたわけでもない。
ただ、逃げ場のない言葉として、
そこに置かれた。
離婚したこと。
仕事を成し遂げられなかったこと。
そして、病気になったこと。
それらすべてで、
親は惨めな思いをしたのだと。
私は何も言えなかった。
言葉は胸の奥に沈み、
時間が経っても形を変えて残っている。
ときどき、考えてしまう。
もし、親より先に死んだら。
それは、どんな惨めさを残すのだろう。
残される母や妹、パートナーの
顔が浮かぶたび、私は思い至る。
私は、病気で死ぬわけには
いかないのだと。
それは勇気ではない。
前向きな決意でもない。
ただ、そうせざるを得ないという感覚。
だから私は、生きている。
胸を張れる理由があるわけじゃない。
ただ、生きてしまっている。
認めてほしいわけではない。
評価されたいわけでもない。
ただ、
「惨めな存在だ」と
自分で自分を呼び続けるのが、
もう苦しくなった。
変わりたいと思った。
劇的にではなく、静かに。
体調と折り合いをつけながら、
仕事に手を伸ばす。
怖さは消えない。
自信も、まだ持てない。
それでも、
何もしないまま
自分を嫌い続けるより、
小さく動くほうを選びたかった。
ただ、
「惨めだ」と言われたあとも、
病気を抱えたままでも、
私はまだ生きている。
そして今、
ほんの少しずつ、
自分の足で立ち直ろうとしている。
それは大きな希望じゃない。
でも、
今日より明日を
少しだけ信じてみようとする気持ちだ。
痛みも、強さも、棘もある。
それでも咲く薔薇のように、
私は生きていきたい。