mebaruのブログ
Amebaでブログを始めよう!

今日は春分の日

昼と夜の時間が等しくなる日、そしてこの日の前後1週間の彼岸の中日でもある。

私には「春季皇霊祭」の方が判りやすい。

戦前は休日ではなかったので、校庭で奉安殿に向けて「君が代」を斉唱したことを覚えている。

また、墓参りの日でもあるが、生憎今日は雨模様なので行くことを躊躇った方々も多かったたのでは。

 

 

 

 

情けないトリの夫たち

ちょっとしたことから「若いツバメ」の語源を調べることになり、調べていく過程で、トリの夫たちの情けない生態が判りましたので紹介したいと思います。「元始、女性は実に太陽であった。真正の人であった。 今、女性は月である。他に依って生き、他の光によって輝く、病人のやうな青白い顔の月である・・・」と言う有名な発刊の辞で知られる女流文芸誌「青鞜」を明治44年、25歳で創刊した平塚雷鳥(らいてふ)のもとに、岡本かの子、三ヶ島葭子、原阿佐緒、神近市子など錚々たる女流作家たちが彼女のサロンに集まってきましたが、その中に何人かの男性も居りました。

そして、その中に後にらいてふの夫となる若き天才画家、奥村博がおりました。この5歳年下の子供っぽい純情さを持つ寡黙で長身の青年に好意を抱いたらいてふは、当時としては破天荒の愛情表現をしたため彼女を取り巻く女の園に大きな波紋を広げ、らいてうを慕う女たちの嫉妬をかき立ててしまいました。このことに困惑した奥村博は「白鳥の集う池に舞い降りた燕は、結局、池の平和を乱すだけだった」といった趣旨の手紙を残して去りましたが、らいてうは「燕ならばきっとまた、季節がくれば飛んでくるでしょう」と返事したたため、「若いツバメ」の語源になったと言われております。実際、それから3年後の大正3年、らいてふ28歳の時、彼女のもとに戻ってきた奥村博と結婚しております。その時、女性を法的無能力者とする家族制度への怒りから、夫の家に入籍する婚姻届けを出さず、昭和46年(1971)85歳で永眠するまで、女性の性欲と生殖を分けて考え、女性解放、女性の参政権を訴え続けました。尚、この「若いツバメ」の奥村博は若くして天才画家とうたわれたのに、らいてふと結婚してからは、芽が出ないまま、妻らいてふに先だつこと7年前の昭和39年(1964)に他界しております。

このように、「若いツバメ」の本来の語源は判ったのですが、もうひとつ別な語源が有ることも判りました。日本のツバメの生態を研究しているある研究者によれば、雌ツバメはまず、巣作りの労をいとわない働き者の若い雄ツバメを夫にして巣作りをさせた上で交尾して雄を満足させるまではいいのですがその後が問題だと指摘しております。何故なら、この巣で受精した卵を調査したところ、夫の受精卵はせいぜい30%、残りはは別の父親だったことが判ったというのです。実は、このツバメの奥さんたちは夫が巣から離れている間に、気に入った雄が巣に近づいてくると巣の中に誘い込んで浮気する習性が有ると言われております。その研究者は「その別の父親は最初の夫よりはるかに健康な強いツバメだった」という研究データを紹介し、このツバメの奥さんの浮気はより強い種族を保存するための正当?な行為だったとしております。この点が人間の女性と違うようです。

つまり、「若いツバメ」は奥様たちの浮気の相手と言う意味になるわけで、むしろこの方が現在の「若いツバメ」の解釈に近いように思われます。ところで、オシドリは、日本では仲睦まじい夫婦の代名詞になっておりますが、とんでもないことで、奥さんの浮気が心配でたまらず、常に奥さんに付きまとっているだけのことで決して仲がいいわけではないからです。スズメも同様で、夫がいなくなった一瞬のスキをみて、雌は浮気するのですが、面白いのは、夫がすぐそのことに気付き、雌のお尻を突ついて、浮気相手の精子を全部出させるのです。

ニュージーランドに旅した時、ある家の奥さんが「私の夫はキーウイハズバンドです」と言いましたので、その訳を尋ねましたところ、キーウイは飛べない鳥で夫は奥さんを大事にすることで知られておりますが、ニュージーランドの夫たちは休みの日は庭の手入れなど家事をしてくれるので助かるとのことで、キーウイハズバンドと一般に呼ばれるようになったそうです。可哀想なヌイージーランドの夫たちです。私はツバメ、オシドリ、キーウイ、スズメのオスとして生まれなくて本当によかったと思います。