私事になるが、昨年末、私の母が入院した。

忘年会の席上、気心の知れた仲間とそんな話をしていた時のことだ。



親友Tがぼそっと言った。

「中村、親孝行はしといた方がいいよ…

『親孝行 したい時に 親はなし』ってね」



――Tは厳しい母親の元で育てられた。

記憶にある母の思い出は、怒られたことばかり。

そして四十路を越えた今も…



そんな母親の影響なのか、Tはとにかく女性に振り回される人生を歩んできた。

これまで何人もの恋人を作り、そのたびに人生の針路を大きく揺らしてもきた。

これは勝手な私の考えだが、恐らく、彼は多くの女性の中に「母親」を求め、

そのたびに裏切られてきたのかもしれない。



思い余ったTは、精神科医の診察を受けた。

「母親の愛情が必要な時期に、愛情が得られなかったからじゃないかな」

精神科医は仕事向きの穏やかな、機械的な笑顔でTに告げた。



その1週間後、Tと母親とがいつものように口論になった時のこと、

歯止めの利かなくなったTは母親に怒鳴った。

「俺がこうなったのは、お前のせいだ。

医者にも言われたよ。お前の愛情が足りなかったから、俺はこうなったんだ」



「お前こそ、何言ってるんだ。ふざけるんじゃない」

いつものように母親の反撃が始まった。

ただ、一つだけ違っていたのは、母が大粒の涙を流していたことだ。



「ふざけるんじゃない。今すぐ、その医者のところに連れて行け。

 私は言ってやるんだ。私がどんな気持ちでお前を育ててきたのか…」



――もういいじゃないか。

Tの心の奥で、そんな声が聞こえてきた。

心に愛情があっても、どう表現していいのか分からない人がいる。

怒り、怒鳴ること、お金やモノでしか愛情を表現できない人もいる。

もしかしたら母親も、同じように怒り、怒鳴られながら育てられてきたのかもしれない。



「母さん、ごめん。俺が言いすぎた」

母の涙にふれ、Tは思わず謝った。

それは、幼かった頃以来の、久しぶりの言葉だった。



その後のTの人生が変わったかというと、残念ながらそのままだ。

相変わらず女性に振り回され、遠回りばかりしている。

それでも、Tは以前と比べて変わった感じがするのは気のせいだろうか。




――私の母も先月、70歳になった。

温かくなったら、温泉旅行にでも連れて行ってやるか。












前回、高齢化が進む商店街の話をしたのだが

実は、私の商店街の近くには高校もある。



夕方、高校の下校時間ともなると、お年寄りに交じって
ミニスカート、化粧、ピアス姿の女子高生たちが闊歩しはじめる。
何とも不思議な光景が広がる。


商店街のはずれにある居酒屋で知り合ったC君は
今春、大学を卒業し、その高校に勤務している。


夏休み前のこと、彼から私に話しかけてきた。

――商店街の近くにある高校は、いわゆる底辺校だ。
授業開始時、廊下に座り込む生徒を教室に追い立てるのに五分。
教室には入ったものの、授業に参加するそぶりも見せない。
何を話しかけても反応のない、たった一人の授業……。
それは真っ直ぐに育ってきたC君には想像もできない
「現実」だったに違いない。


「この前なんか、クラスに貼ってある時間割の僕の名前全てに
 画びょうが押しつけてあったんですよ」


C君の顔は疲れ切っていた。
私は、ただただ励ますのが精いっぱいだった。


――つい先日、居酒屋でC君と再会した。
「肉屋さん、久しぶりです」と話しかけるその顔には
少しだけ明るさが戻っていた。


「クラスで『あなたの好きな言葉は』というアンケートを取ったんです。
 何が一番だったか分かりますか」


その答えは――「ありがとう」


手のつけられないクラス一番のワルも
アンケート用紙からはみ出すくらい大きな、そして汚い字で書いた。


「ありがとう」


そして『その言葉が好きな理由は』と書かれた欄には
「感謝の言葉に好きな理由もクソもあるか!!!」と。


人の話は聞かない。約束は守らない。平気で嘘をつく。
でも、かわいくて愛おしい悪ガキたち……。


C君はポそりと言った。
「そのアンケートを見た時に、初めて

 コイツらと徹底的に付き合ってやろうって思えたんですよ」



私はC君の健闘を心から祈らずにはいられなかった。
……頑張れ、C君。





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道端で出会った秋の花たち。


中村精肉店のカラッとメンチカツ


春の花、夏の花とはまた違った美しさがあるのですね。


「桜梅桃李」という言葉を実感しました。























様々な場所で高齢社会という言葉を聞く。

確かに、わが商店街の歩行者にも、ご高齢の方が目立ってきた。

そして私の店のお客さまも、私同様、着実に年を重ねている。


父の代からのお客さまであるAばあちゃんは80代。
明るくシャキシャキした性格は、古き下町の女性といった雰囲気だ。


Aばあちゃんには、長年連れ添った夫がいる。
10年前に脳梗塞で倒れ、寝たきりとなった。


「いくら私が器量良しの女だからって

じいさんをタダで寝かせておくわけにはいかないよ」


老人会、地域の寄り合い、サークル活動…
活動的なAばあちゃんは、家を空けることが多く、忙しい。
そんなAばあちゃんは、寝たきりの夫に、家の「電話番」をさせているのだ。


今では留守番電話機能のある電話機が当たり前の時代
あえて、黒電話にしたままで…。


「電話番」と言っても、電話を取ることはできない。


…電話が鳴る


夫は壁時計の時間を見て、ベルの回数を数える。

それを帰宅したAばあちゃんに報告する。

Aばあちゃんは、電話がかかってきた時間、鳴ったベルの回数から

誰からの電話だったかを推測する。


夫にとって、電話は社会と自分をつなぐ大切なものだ。
かかってきた時間とベルの回数を確認することで
自分が社会の一員として

誰かの役に立ち、生きていることを実感する。

夫にとって、かかってくる電話は「生きがい」そのものなのだ。


「今日も忙しいったらありゃしないわよ」
2人分の惣菜を買い物かごに入れ
Aばあちゃんは商店街でも数少なくなった電話ボックスへ
小走りで駆けていく。


――何のために?


それを聞くのは「野暮」というものだろう。
愛する夫のいる家へ

決して取られることのない電話のために…



Aばあちゃんの後ろ姿が、少女のように可憐に見えた。