だいぶ前にクジラ肉泥棒のグリーンピースの職員が保釈されたらしい。 | 肉団子閑居為不善

だいぶ前にクジラ肉泥棒のグリーンピースの職員が保釈されたらしい。

クジラ肉窃盗の咎で逮捕された二人、7月15日に保釈されたらしい。

グリーンピースのホームページに声明文が掲載されていた。

基本的には批判を真摯に受け止め反省するという内容だが、その後に事件を契機に捕鯨問題への議論が高まったことがあたかも事件を起こした事の功績のように書いているばかりか、今回のようなやり方以外のどんなやり方があったのか、などとうそぶいている辺り全く懲りていないようだ。

罪を認識して反省しているかどうかや再犯の恐れがあるかどうかが重要な判断ポイントになるというのに、こんな文章をさらすとはよほど執行猶予をつけてほしくないようだ。刑務所に入ったら日本政府の不当な弾圧だとでも訴えるつもりなのだろうが、そんな自己中心的な訴えはもう誰も聞かないだろう。

ところで話は変わるが、なぜこの話題を思い出したかというと、屋根裏部屋というブログの「裁判員制度ってヤバイような気がする」というエントリーを読んだからだ。論旨としては法律の意味をよく理解せずに半可通な誤った意見がネットでみられる(カナダde日本語 「グリーンピース職員の即時釈放を」のコメント欄参照
)ので、こんなのが裁判員になったら皮相的な事実関係と情緒的な判断でさっさと有罪になっちゃうだろうから裁判員制度は問題だという話だ。

肉団子は法律家ではないけれど、裁判員制度とは一種の民主制だと思うのだ。つまり、市民の間からサンプルとして抽出された裁判員が民意の代表として、罪であるかどうかを判断するのだ。捕鯨反対が憎いという見解の裁判員ばかりで構成されたり、あるいは窃盗までやるのはやりすぎだという考えでもいいのだが、そういう見解の裁判員が集まって多数派を構成するということが重要だ。それはすなわち日本の民意の縮図であって、それで断罪される方が一般常識からみておかしいわけで、反省するべきであるということではないだろうか。

もちろん、ドイツにおけるナチズムに見るように多数意見である「普通」が常に正しいわけではない。非常に独創的かつ先進的な発想に基づく行為で未来には評価されるべき行為が断罪される危うさもある。しかし、裁判員を説得することが弁護人には許されているし、裁判員を説得できた他所の訴訟ではグリーンピースが勝利を得ていることも忘れてはいけないだろう。ひょっとしたら裏で買収されたり脅されているかもしれない裁判官の判断によるよりも、市民の常識による方がましな判決になるかもしれない...とは考えないのかな。

それとも、無知蒙昧なる一般大衆には我々の高邁なる理想は理解できないとでも思っているのかな?それでは非信者を人間扱いしないどこかのカルト宗教と変わりない。