今日という日は、
11年前には、言わずもがな、東日本大震災が起こった日であり、
14年前には、極めて私的には、2月生まれのちーとちゃんが
ようやく我が家での生活を始められた記念日でもあります。
 
そんな今日という日に、
今、地球上のとある北の地で起こっていることは、
にわかには信じがたくて、
各地の大津波はもちろん、
福島で原発事故が起こったときの衝撃と同じぐらい
衝撃的なんだけども、
 
なんというか、
母は悲しい。
 
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本当に何が背後にあっての、今なのか、は
日本のメディアではほとんど報道されていないと思う。
原発事故のときと同じ。
 
武力による暴力などという無駄な理由で
人が傷つき 亡くなっていることは、本当の理由がどうであれ、
許されることではないのは確か。
 
でも、過去数十年にわたるグローバリゼーションの進展の中で、
国境なんてあってないような感覚になっていたのに、
コロナで突如として国境と国家という存在が前面に再浮上して
自由な往来もできなくなり、
それだけでも十分すぎるほど国家というゾンビみたいな存在に
ぎょっとしていたというのに、
そこへきて今回の事態。
 
いわゆる、国連を中心とした国際主義とか、
そこに参加している国家とか。。。
そして国家の暴走の前に無力な国際主義という関係性とか。。。
それでも協調をあきらめちゃいけないと思う気持ちとか。
なんというか、もう時代遅れだなぁと思っていた、
国際関係学部にいた頃の学びの世界に
一瞬にして引きずり戻されてしまったようで、
正直、相当困惑している。
 
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私がアメリカに留学したのはまさに冷戦終結直後のこと。
今でいう、ザ・トランプ支持の(つまり、よそ者には冷たい)
小さな田舎町の小さな大学での生活を支え合ったのは、
東欧諸国からの難民家族の子弟・子女だった。
 
その友人たちの多くは、いわゆる今、まさに激中の国というよりは
ウクライナの人たちが逃げ込んでいる国々の出身者たちだった。
(正しくは、当時「ソ連から来た」という人たちもいたのだけれど、
彼らが今でいうどの国から来たのか を聞けるほど、あるいは
聞いても理解できるほど 私の知識も視野も広くはなかった。。。)
 
彼らの家族(主に父親)は当然、冷戦末期の社会主義国において
民主派だったからこそ、迫害され、難民として逃げてきた人たち...
そう思っていたけれど、というかそれが私の理解の限界で、
おそらくそれで大きくな間違いはないのだろうけれど、
実は、本当の彼らのことを何も知らなかったのではないか と
今更ながら、思ってしまう。
 
今の自分だからこそ、そして今の時代だからこそ
色んな疑問がわき、それを簡単に調べることができる。
当時書かれた論文なんかも電子化されてて読むことができる。
ついでに、友人たちの名前で検索なんかできちゃって
追われたはずの祖国に戻っていることがわかったりもする。
(いい時代なのか、やな時代なのか、悩ましい)
 
すると、
あの頃の友人たち(とその家族)は、
本当はどんな立場で祖国を追われたのだろう…
とか
そこに写っている友人の顔写真が、なんというか、
私が知ってる友人のちょっと陰のある感じとは違っていることに
友人はあの時の家族の暗さをどんな思いで支えてきたのだろう…
とか、
本当の自分じゃないときの友人というのは本当の友人なのか…
と思ってしまったり
 
また、
とある夏休みに祖国を知りたいと帰国(というのか?)して
アメリカに再帰国(?)してきたら
人が変わったように民族主義を訴えるようになっていた…
という別の友人を思い出し、
今更ながらその友人の祖国の歴史なんかを紐解いてみると、
そこには今の今まで知らなかった差別の歴史があったと知り、
とすると、
あのとき彼はアジア人に対してどんな思いに変わったのだろう…
とか、
なんともあの頃の自分にはよぎりもしなかった疑問が
あれこれ頭をもたげてくる。
 
当然、当時の彼らの痛みは新しすぎて、そんなにつっこんだ話を
そうそう訊ける雰囲気ではなかったんだけど、
だからあのくらいの無知さでよかったのかもしれないけど、
いずれにしても、今それぞれ祖国に戻っている彼らは
この混乱の中でどうしているのだろう…と
若かりし頃の彼らの顔が頭をよぎる。
 
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朝から少しずつこの記事を書き溜めた 今日という日に、

「ドキュランド」でロシア軍のシリア空爆について放映していた。

反政府側の中心者となった医師とジャーナリストの夫婦による

ドキュメントの中では

未来は私たちの手の中にはなかった。。。

と言っていた。

 

実際にそうなのかもしれない。

いつも無力さに苛まれる。

 

グローバリゼーションで世界が踊らされていた中、

国境とか国家はなくなったようでいて、見えにくくされているだけで

その実 国家や、それらを取り巻く利権構造は

何も変わっていなかった。。。

変えられていたのは、踊らされて、盲目になっていた自分。

ぬるま湯につかって、見ているつもりになっていただけで

全く真実が見えていなかった自分。

いや、それも以前から何も変わっていないのかもしれない。

 

どこまで無知で無力なのか、とやるせなくなるけれど。

 

だけど、それでも。

 

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もう一つ、今日という日に強く思うことは
武力行使がなんであろうとダメなように
原発もなんであろうとダメだ、ということ。
 
リスク社会におけるテロの標的になり得る、
なんて言われていたけど、
こんな形でそれが立証されてしまい、
皮肉にもEU諸国のエネルギー政策が原発回帰に
再転換せざるを得ない なんて話もきこえるけれど、
そんな標的になってしまうバケモノをのさばらせておくことは、
それこそ将来世代への冒とくだ、と、
改めて
もっと地球にも どんな人にも 将来世代にもやさしいエネルギーを実現していかなかれば、
それは私たち市民にかかっているのだ、と
心に誓う今日という日。
 
心が燃えない、なんて言っている暇はない。
 
写真は、7年前に同じ決意を書いた 「再稼働の日に」 から。。。
 
今日はこのストップに両義を込めてクローバー