川のそばに住むようになって十年余り。

夏になると土手に生い茂る葛は、日常の風景である。子供の頃、足から川に飛び込む時にはこの葉を口にくわえれば鼻から水が入らないと年上のいとこに教わった。

いとこ達と我先に岩を高くよじ登っては淵に豪快に飛び込んだ楽しさは、忘れられない。

今は子どもの川遊びにもライフジャケットが欠かせない時代になったが、昭和の子どもはもう少しタフだった。


今日は彼岸の入り。

土曜で半ドンの仕事を済ませた後、墓掃除に出かける。

盆に立てたシキミがとっくに枯れているだろうと気になりながら、今日まで延ばし延ばしになっていた。

区画が整い管理された墓地ではなく、集落の家々の墓が集まった昔ながらの墓地だから、草が生い茂ろうと花が枯れていようと、その家の者が来るまで荒れたままである。

案の定、我が家の墓にたどり着くまでの細道を葛が我が物顔で覆い尽くしていた。

そこで久しぶりに葛の花を見かけた。

朝顔、萩、葛と目に染みる鮮やかな紫の花を咲かせる秋草は多い。

この酷暑の初秋でさえ、この紫を目にすると一服の涼しい風に出会ったような気がする。

すっくと立って咲く葛の花の回りは確かに秋だった。


先祖代々の墓に息子が入ったのは今年の1月のこと。戒名と享年が刻まれた墓標をそっと撫でる。

二十歳と書かれるとつい大人をイメージしてしまうものだが、享年は数え年で、息子は十代、我が家ではまだ子ども子どもした末っ子だった。

先祖代々とは言え祖父母は健在だから、誰一人知った人のない墓の中で息子は眠っていることになる。

この地方では墓前にシキミを供える習慣で、生花は供えない。

彩りの少ない墓前に葛の花が咲いていることが、何だか少しありがたかった。