●2015年9月、妊娠発覚☆
検査薬から1週間ほど待って、みおと一緒に産婦人科へ。やはり妊娠でした!!
みお出産後、流産、死産をしているので慎重にみていこうと言われます。
●2015年10月初め、大量出血
自宅にて、みおとお風呂に入った後に大量の出血。下着もズボンも血まみれで、仕事が終わって片付け中の旦那さんをみおが呼んでくれて、3人で病院へ。そのまま入院。前回と同じく絨毛膜下血腫による切迫流産のため絶対安静。その日から部屋のトイレに行く以外寝たきりの生活に。結局、約1ヶ月の入院でした。
当時3歳のみおは、前年にも同じような事があったので言わなくても状況を理解していて、余計に心が痛みました。毎日病室に来てくれても私はほぼ動けないし、悪阻で話すのすらツライ日もあり、母として何もしてやれない悔しさと、そばにいられず寂しい思いをさせているなぁと、それだけが辛かったです。
●2015年11月、退院
出血がほぼ止まり、血腫もずいぶん小さくなった為、退院の許可が出ました。
自宅安静で1週間ごとに診察に通いました。
入院の時と同じく、母と妹が交代で身の回りやみおのお世話に通ってくれました。
本当に助かった~!
●2016年お正月、自宅でのんびり
お正月は家族でのんびりゆっくり、おせちを食べて過ごしました。
貴重な連休、いつもならあちこち出回っているので、こんなお正月は今までもこの先もきっとないだろうなぁ…
年末には安静生活は解除されていましたが、前回の事もあり実家に挨拶に行く以外は大事をとって大人しくしてました。
●2015年1月10日、破水→搬送
日曜日、お昼ご飯前にトイレに行った時に違和感が!!何かが出た感じ。
また出血かと思い急いで確認したけど血は付いておらず。
尿漏れ!?と思い念のため新しいナプキンを付けてみます。
トイレから出て少し歩くと、またサラ~っと出た感じが。
少し嫌な予感がしつつも、そうじゃないと無理やり言いきかせ、安心したい自分がいました。
旦那さんは仕事中でしたが、母が来ていたので「ちょっと横になるね」と言ってベッドへ。
横になっても時々少しずつ何かが出ている感じ。この時にはもう破水だと確信していましたが、隣の部屋にいるみお、母、仕事中の旦那さん、周りの人達をまたガッカリさせてしまう、心配させてしまう、迷惑をかけてしまうという気持ちが強くてすぐに受け入れられませんでした。
ですが数分後にはダラダラと沢山に出るようになり、母に伝え産婦人科へ連絡。
母の運転でみおと3人、私はバスタオルを腰に何枚か巻いて向かいました。
揺れないように慎重に運転してもらい15分後、着く頃にはもうビッショリでした。
診察は全く知らない先生、助産師さんもよりによってあまり話した事のない人(前回も含め3ヶ月くらい入院しているので、だいたいの助産師さんが顔と名前を覚えてくれていたのですが、この方だけはあまりかかわりがなく…)で余計不安になりました。
エコー、内診では先生は無言のまま。時々助産師さんと小声で話していてその顔はかなり強ばってました。
やっぱりまたダメなのかな…
お願いだから助かって…
診察が終わり、いよいよ説明になりました。
「破水しています。かなり厳しいです。羊水がない状態ですが今はまだ赤ちゃんの心拍が確認できます。とりあえず設備が整っていて、今からすぐ受け入れてもらえる病院を探します。別室で横になってお待ち下さい。」とのこと。
ベッドのある部屋に移動して待っている間、今度は腹痛。トイレに行きたいけど、ただの腹痛なのか陣痛につながる痛みなのか判断が付かず、第一いまお腹に力を入れるのは怖い。
その時ちょうど違う助産師さんが体温計を持って来たので聞くと、やはり今は我慢した方がいいと言われました。
何分待ったか覚えてはないけど、受け入れてくれる病院が見つかったと助産師さんが知らせてくれました。しかも5分もかからない大学病院。
「今から救急車が来ますからね!」と言われ寝たまま待ちました。
みおには救急搬送される姿は見せない方がいいだろうと思い、母とみおは別(母の車)で先に大学病院に向かう事になりました。
●搬送後
大人になってからは付き添い以外で乗ったのは初めてだった救急車。
問診を受けながらあっという間に到着。
先生達が慣れた感じで、しかし急ぎぎみに診察。
そして、破水して羊水がない状態ということ、今生まれてしまえば、助からない又は重度の障害が残る可能性が高いことを聞きました。
赤ちゃんがこのまま元気であれば、1日でも長くお腹の中にいさせてあげる事が大事。赤ちゃんは500グラムないし逆子の状態なので、まずは24週を目標にこの状態をキープしましょう!!
産婦人科では600グラムを越えていると聞いて少しだけ安心していたのに…
測る人でそんなにも違うのかとビックリしました。
付き添ってくれた母も処置室に呼ばれて一緒に説明を聞きました。みおは中に入れず、扉の外で助産師さんが相手をしてくれてると聞きました。私に負けない位の人見知り&緊張しいのみおが強ばった顔で固まっている姿が頭に浮かびました。
産婦人科と違って「病院」って感じの雰囲気に余計に緊張しただろうなぁ。
そして搬送前の産婦人科で私が最後に「今から違う病院に行くけ、向こうでまた会おうね~バイバイ」と別れたきり、結局私に会えないなんて…辛かっただろうな。
私も子供に会えないのは予想外の状況でビックリでした。
助産師さんに「ここは子供さんの立ち入りはできません。入院するお部屋にも入れないので、しばらくは会えない事になりますね。」と言われた時には思わず涙が出そうになりました。
妊娠を少しでも長く継続させるため、陣痛を抑制する点滴を24時間打ち続ける事になりました。他にも赤ちゃんの為や母体の為に必要な点滴や注射などが沢山。
搬送されてどのくらい経ったのかは全く分からなかったけど、少し落ち着いてから部屋に案内されました。
母とみおは帰宅。
私はとにかくベッドの上で安静でした。
点滴の副作用で、動悸、息切れ、ほてり、手の震えなどが出て眠れそうにもなく…
飲み物はペットボトルが1本あったけど、テレビは専用のテレビカードを買わないと見れなくて、助産師さんに頼むのも申し訳ないし、見たい気分でもなくて、シーンとした部屋でひたすらじっとして過ごしました。ただこの日の夜の事は正直あまり記憶になくて、夜仕事がおわってたぶん旦那さんが飲み物と着替えを届けてくれた…はず!?
先生が来て今後の事とかお話してくれたり、助産師さんが改めて今までの妊娠の経過やらを聞きに来たり、夜中もアイスノンを替えてくれたり、わりと人の出入りが多かったように思います。
みおの写メを見たいけど、見たら色んな気持ちが湧いてきて泣いてしまうと思ってなかなか見れなかったです。。。
入院2日目からはまた書きます
