nico2みどり

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更年期女性のための美容・健康オタク

みどりママこと星野みどりです




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今でこそ

心身ともに健康で

美味しく食べて呑んで

楽しい毎日を送っている私ですが


過去は

ストレスからくる22キロ体重増加


家族の長い闘病生活の付き添いで

自分に目が向かなくて

色んな病気になったり。。


人生過去1大きく育ちました


決して

順風満帆ではありませんでした


 幼少期のころ



生まれ 群馬県伊勢崎市


家族構成 両親、自分 母方のおばあは別居

幼少期 すごーくおっとり

「ここに座っててね」

と言われたら一日すわっていられる


好きな曲は「ゾウさん」

をゆーーっくり歌う子



育った環境が独特


母が妊娠中から産後まで育児ノイローゼ

おっぱいが全くでず


おばあが毎日

家に来て私を育ててくれていた 


母は家に引きこもり、育児放棄状態


保育園くらいの時「おかあさーん♡」

って手を広げて駆け寄ったら

母は両手を後ろに回して黙っていた。

キョトン」としているわたしをおばあが抱っこしてくれた

抱っこしてもらえた心地好さはあったが

今一つ心からうれしく感じる感覚

がなかったことを覚えている


小学生

相変わらずおっとり。

とても仲の良いお友達ができて

お友達のお家で手作りの「ホットケーキ」が出て

「よそのおうちのおやつはお母さんの手作りなんだ」と知って驚いた


「ホットケーキ」はお店で食べるものだと思っていたから


高学年

冬の学校帰り、陽が沈む頃、自宅が近づいてくると「ドキドキ」してしまった

「デンキがついているのか、いないのか」

「カーテンがしてあるのか、していないのか」」


カーテンがしてあってデンキがついていない日は

「母がどん底のうつ」

うちに帰ってもテレビも電気もつけられない状態で

真っ暗の中で過ごさなければいけないのが

とても辛かった


「カーテンが空いていて、玄関の鍵がしまっている日」は

「母が躁状態でタクシーを1日貸切で買い物三昧の状態」


一反150万もする大島紬を2反も買ってしまったり

ヴィトンのバッグを棚の端から端まで買ってしまったり…

それが一度や二度ではなかった



 中高生のころ

バレーボール部に入部。

一所懸命練習していたが、母は大反対。

他の子たちは親が送迎したりお弁当を作ってくれたりする中、自分は自転車で移動、お弁当も自分で作って持って行った。


この頃母の自殺未遂が何度も繰り返された。

中学1年生の時には可愛がってくれていたおばあが他界。

父はひたすら仕事人間。決して低収入ではなかったが、母が躁状態の時に「散財」して

うつ状態で「入院」するため、常にお金に困っていた


母方のおばは「不憫な子」と見てくれて、とても可愛がってくれた。

七五三や成人式などの手配は母に変わって叔母が面倒を見てくれていた


おばあと叔母が

愛をたくさんくれたお陰で大きく道を外すことなく、ここまで生きてこられたのかな、

と思っている。



 社会人になって

高校卒業就職、
18歳もう少しで19歳の時、
農薬を飲んで自殺未遂をはかる母
農薬で口と口まわりがとけてただれた顔を今でも忘れない

日曜日で私がお勤めがお休み
自宅にいたので私の部屋に来て助けを求める
救急車で病院に
即ICUで治療が始まる

会社勤務中の父に電話をしても
しっかり勤務時間まで働き
仕事を終えてから病院に来たことをきっかけに
ネグレクトだと感じた
冷え切った家族だと思えた

母の病院付き添いのため会社を辞めた
母の看病と父の生活を担うことになった

半月後私の19歳お誕生日の時に
退職した職場の方達が来てくれて
高価なプレゼントを病室まで届けてくれた

母の口が爛れた姿を見せてしまったことと
会社を辞めた後でも
みんながプレゼントを用意してくれたことに
うれしい気持ちと
ふたつの気持ちが
同時にでてきて複雑な心境だった
けれど
感謝の気持ちがいっぱいで
今でも忘れない

母はこの未遂をきっかけに
自殺を考えることは少なくなったが
相変わらずの躁鬱は重度となっていく

 結婚・子育て


結婚を約束した彼がいたが

バイク仲間とツーリングに行く約束をして

私を迎えに来てくれる最中

交通事故にあい即死

バイク仲間が迎えに来て

病院に連れて行かれるが病室に入れず

腰を抜かしてしまい立つことができなかった


塞ぎこんでいた私を

亡くなった彼のお兄さんが

お兄さんの親友と私を誘って

食事に連れていってくれた


それから親しくなり

亡くなった彼のお墓参りの送迎を毎月してくれた

そのお兄さんの親友が今の私の主人

一年以上隣で優しく寄り添ってくれた主人には感謝してます♡


26才で長男を出産

お里帰りはしたものの母は鬱状態

実家にいた方が大変で自宅に戻る


この思いをしたから

次男の出産はお里帰りはしなかったが

その時、母は鬱状態


自宅に一人置いておけず

父が仕事に行く前に母を私の自宅に送ってから

父は出勤


そこから日中は

重度の鬱の母・長男(3才)・新生児の次男の生活

夜は

仕事からそのまま私の自宅に帰る父と私の家族4人と躁鬱の母の生活

大変!の一言。

で済ませたくないくらい大変でした

毎月母の精神科医に受診して

大量の薬を処方され

定期的に血液検査

検査結果で数値が上がりすぎると

薬の処方は止まり

益々症状は悪化←躁鬱


結果

主治医から言われた言葉は

「精神障害者手帳の発行手続き」

をしましょう


意味がわからなかったが

言われるままに手続きをしたら


精神障害者一級手帳が発行された


それからは

一般的な生活はできず

精神病院に入院。生涯退院することはできない。

と告げられた

次男をおんぶして

毎日面会に行く生活がはじまった


最後は

誤嚥性肺炎で亡くなり

看取ることはできなかった

15年以上の入院生活でした



 健康オタクの道へ


母のことを恨んで憎んで

時には小馬鹿な態度をとったりしたけれど


育児ノイローゼからはじまり

最後は重度の躁鬱病

これも

薬漬けが原因なんだろう。と感じ


沢山勉強して

お陰さまでだいぶオタクとなりました(笑)


「DNA遺伝子検査」

「腸内フローラ検査」

「腟内フローラ検査」

の仕事をはじめて


DNA検査でその人の生まれもった体質を読み取り予防方法を提案(美肌・ダイエット・運動方法)


腸内フローラからその人の腸内の菌を読み取り

ネガティブ思考からポジティブ思考へ

ヤセ体質等々の提案


腟内フローラから腟内の菌を読み取り

婦人系の悩み改善の提案


をしながら

一番身近な他人♡として


親には心配かけたくないから言えない

同性にはプライドがあって言えない

異性には話してもわかってもらえない


私の母のようにメンタルへのダメージを抱える家族の気持ち、、etc.


等々。

人にはなかなか話せないことを話せるような

隣で寄り添うこともしながら

サポートをしています




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