社会人になるのに向けてちょっとずつ部屋を片付けている。
生活感の薄い、かつ快適な部屋にしたい。

大学生活には案外思い出が無かったような気がしているので、そんなに大学時代の物は残らなさそうだ。
いや大学時代にはそれなりに色んなことがあったんだけど、大学での生活自体にはあまり思い出が無い気がするのだ。
サークル、勉強、就活はそれなり。バイトと実習は結構頑張ったかな。

大学に限らず今までを振り返ってみると、部活とか趣味的なものをメインでする集まりについてものすごく熱中!!っていうのはあまりなかったかも。
逆に生徒会とか何かの委員とか、何か仕事的なものをやる目的の集まりには胸アツな思い出が…

うん、バイトの思い出の比重が意外に高いな。
そういえば先日、バイトで私が受け持っていた生徒全員の進学が無事決定したという知らせを聞いた。喜ばしい限り。とても嬉しい。
誰かの人生の岐路に何かしら大きく関わるというのは責任重大だけど、すごくやりがいがある。
大変な時もあるけど良いバイトだった。


これからは大人相手な生活なんだなあ。


ここに来て、やる気スイッチが失踪した。



そういえば、先日無事に仙台から関東へ帰還した友人と飲んだ。
仙台市内も普通にライフライン停止。風呂にも入れず、ろうそくの灯の中、菓子を食べ続ける生活だったそうだ。
色々話をきいたが、「害のある善意って本当にあるんだなって実感した」というのが一番印象的だった。


最近色々考える。


寝る。

東日本地震の発生から丸二日経った。


色々思っていることをツイッターで小出しにしたいと思いつつも

災害情報などを円滑にまわすことの妨げになってはいけないかなとも思うので、こちらの方でまとめて書いておこう。


地震発生当時わたしはサークルの卒業ライブがあったので都内杉並区の地下にあるライブハウスに滞在。

最初揺れ始めたとき、友人たちと「あ、地震だね」などと悠長に構えていたものの、だんだん揺れが強くなり、おや?これは・・・?と思った瞬間に、ライブハウスの人やサークルの人の「上へ出て下さい!!!」という強い呼びかけ。そしてみんなが出口に集まった時に大きな揺れが来て、ワッと騒ぎに。さらに上へ出ようとしたら目の前にあるビルの二階や三階部分の窓にヒビ、そして割れてガラス片が落下。そんなにたくさん割れたり落ちてきたりしたわけじゃなかったが、あれはちょっとヒヤっとした・・・


そんなこんなで寒い中近所の公園にサークルの人々で避難。近所の人たちや防災頭巾をかぶった子どもたちも見られた。待ってる間にあいふぉんユーザーのサークル員から、宮城の方で震度7らしいときかされ、驚愕。宮城や岩手に実家のあるサークル員が急いで連絡を取るもなかなか電話もメールもつながらず。

そうこうしている間に都内でも東京タワーが曲がった、お台場で火事、壁崩壊、といった情報が入ってくるなかで、ふと丸の内のビルの上の方で働いている自分の母のことに思い至り急いでメール。一応電話してみるも勿論つながらず。父も、北関東や福島で営業をすることが多く心配だったので急いでメール、そして電話するもやはりつながらず。

そして、仙台にいる高校時代からとても親しくしている友人にメールや電話をしまくるものの連絡一切取れず。


結局卒業ライブは中止。いや、延期なのか・・・何にしろその日のライブは取りやめに。

とかやってる間にも不安すぎたので親に電話をかけ続けていたら父と連絡が取れる!AU同士だったからか・・・神!

私「もしもし!!!」父「おおーどうした」

父は全然冷静でした。

私「そっち大丈夫だった?今どこ?」父「今日たまたま成瀬の方だったから全然大丈夫だったよ」私「よかったーーー!お母さんと連絡とれた?」父「いや、でもCメールで『今日はそれぞれご飯食べてから帰宅しよう』って連絡きたから大丈夫みたいだよ」私「よかったーーーー!!!」

というやりとりをして終了。

それぞれご飯食べてから帰宅しようって日常的すぎるやりとりだなと思いつつホッとする。



その後電車などが一切動いていなかったためみな楽器を持ちながら立ち往生。とりあえず高円寺駅や中野駅へ徒歩移動し、飲み屋などで待機。しかし電車は一向に動く気配が無く、結局その近くに住んでいるサークル員の家にそれぞれ分散し泊まることに。

中野駅でバス待ちの超長蛇の列を横目にしながら、友人宅へ。

泊まるつもりでいたものの、ツイッターで友人の「西武線うごいてる!!」というつぶやきを目撃。

まじか?!と思い色々情報を集めているうちに、西武線が復旧し終日運転をするとの情報が入る。そして西武線へたどりつき無事夜中の2時くらいに帰宅。

さらにツイッターにて仙台の友人が「わたしは大丈夫です!」というつぶやきをしていてめちゃくちゃホッとする。本当によかった・・・。



という一日でした。

サークル員宅では、家の家具の引き出しが全開だったとか食器が割れてただとか冷蔵庫が移動していたなどといった被害が出ていたようでしたが、うちはほぼ無傷でした。というかあの中で埼玉のうちの地域は震度4だったみたいな話をきいて、安定しすぎだろ埼玉wwwとなりましたが、近い所でも食器が散乱するなどあったみたいなので、たまたまなのだと思います。


そして個人的には一番母親とのメールのやりとりが印象的でした。

母「とりあえず丸の内から池袋まで歩いています。タクシー全然つかまらず」私「そうなのか!気をつけて。なんか池袋駅封鎖されてるみたいな情報もあるから注意してね」

母「池袋駅全然タクシーつかまらないので椎名町の方まで歩きます」私「おつかれさま・・・タクシー全然つかまらないよね。本当気をつけて」

母「明日人間ドッグがなければ丸の内の方止まっちゃったんだけどね・・・意地でも帰ります」


この状況において人間ドッグかよ!!!!!帰る動機それかよ!!!!!

と全力で突っ込みつつも、

無事だった地域の人間は、できるだけ普通に生活をして、ちゃんと経済を動かさなきゃいけないよなあということに思い至った。

こんなに広範囲に、しかも甚大な被害が出ているならば、

直接的支援は勿論だけれども、こうして普通に暮らして日本経済をなんとか維持させていくことも間接的支援として必要だよなと思った。


と思いつつも、津波が畑や街をどんどん飲み込んでいく様子や、それを見て大泣きする子どもの様子、原発での爆発、そして夜中に定期的に来ていた緊急地震速報の音などで不安な気持ちが続き、昨日何もする気が起きなかった。あの緊急地震速報の音本当に恐ろしい音だと思う。考えた人最強。

一日経ってなんとか安定してきて、まだ外に出る気にはなれずにいるが、とにかく何かしようとおもってとりあえず部屋の片づけなど進めている。



被災地はどうなっているのだろう。夕方、夜、となるたびに不安になる。


自分にできることはなんだろうと考えると、やはりできるのはさっきも書いた、普段通りに暮らすということに尽きるのだと思う。あとは募金、節電、献血あたりだろうか。


落ち着いたら、仙台の友人に何が必要かをきいてみよう。


2月はなかなか怒涛の日々を送った!

詳細はまた後日ということで

いまは来週にあるサークルの卒業ライブに向けて練習中なうです。

事変5曲と林檎1曲のベースをひたすら練習しているが
久しぶりのベースでこの選曲はさすがにリアルに詰んでるだろ……;;;´д`)
と思いつつも、曲自体好きなものばかりだし、なにより師匠のベースラインが大好きなのでいくらでも練習できる。練習しまくっててふと気づいたら何時間も経ってるくらい。

やっぱりベース好きだなあ。
ささやかに味付けしてるだけに見えてバンドの根幹を左右しちゃう感じとか
時々良い具合に目立っちゃったりとか
身体中に響く感じとか!
こう考えると、そういえばベースの立ち位置とか役割ってわたし自身の目指してるものに近いかも。



はふー

こんなに集中して何かをするのが久しぶりすぎて脳が疲れているのか、常に眠い。

はふー

寝よう。