自分自身の悲しみの根源に辿り着いた時
無意識的に強烈な不安や動悸に襲われることがある。
それは自分が避けたいと思っている状況に直面した時や、
過去の悲しみや未完了の感情を辿っているときにしばしば起こる。
一般的な人は顕在意識で理由のわからない不安や動悸に襲われることはないのだろうか。
否、襲われていることは度々ある。
コンプレックスが刺激された時、信条に背く状況が生まれた時や、
女性ならPMSの時などだろう。
現に感情の起伏の変化を目にしているではないか。
だが私は感情の起伏を好まない。
感情の起伏を表出されたものを感じて私自身は度々傷ついてしまう。
それは私が感情表現が苦手であり、人に私の感情をわかってもらうことを諦めていたからだろう。
親に感情表現を行うことが恥ずかしくてたまらない。
強い抵抗を感じる。
なぜなら親に対して感情表現をしたら攻撃されてしまうと思っているからだ。
攻撃されることがとても辛い。嫌だ。
そして親は私の感情よりも親自身の感情を優先するだろう、私は見てもらえないだろうという諦めと悲しみがある。
本当は私自身の個人的欲求を親に見て、わかってもらいたかったのだ。
書いていくうちにわかる自身の深層心理、玉ねぎの皮を剥くかのように
確信に迫っていけるこの執筆中は他のどの快感よりも一番気持ちいい。
では、今親に見てもらいたいのかというと、決して親である必要性は感じていない。
ただ、他の誰かでもいいから私の感情を曝け出せる人がいたらいいのに。
こう思い続けている。
これが実現すれば、私の心も平穏に帰すだろう。
対等な立場である恋人がいることが恐らく一番いい。
お互いをある程度理解できる、分かり合える恋人が。
お互いを深く理解し、安心感を感じることの価値を
ここにきて初めて私は理解できた。
それまでの私は恋愛は自身の不完全さを見つけるための道具として扱い、
勝った負けた、意識の階層や戦いの中で人間関係を築いていた。
無情の愛を学びたい。
ここに2022年3月の今現在の私でようやく辿り着いた。
無情の愛を体系的に学べるコアエッセンスヒーリング講座には必ず申し込もうと思う。
それが世間的に証明されているものであろうがなかろうが、私自身の真理を手に入れることが出来るならなんだっていい。
私はアート作品であり、誰一人として被ることのない、唯一無二の存在であることを私は知っている。