せっかく念願のブログを始めたんだから、あれもこれもと書きたいことがたくさんあるのに、書いてる時間がないということに始めてから気がついた。
ブログ書いてる暇があるなら執筆や取材に時間を使いたい……ってなる、物書きの悲しい性。。笑
なので今後もこちらの更新はあくまで気が向いたときかつ時間に余裕のあるときになりそうです。
まあ16時までの仕事に転職してなお毎日「時間が足りない」と嘆いている現状、更新頻度はお察しになりそうだけどね……。
* * *
ところで自分は日本という国があまり好きじゃない。
この国のいいところ、好きなところもまったくないわけではないんだけど、なんというか水が合わない。愛郷心はあるけど愛国心はない、と言えばいいのかな。
自分のふるさとのことはとても好きだし、誇りを持っている。でもやっぱり日本という国は好きじゃない。政治やマスメディアの在り方、国民性、他の先進国に比べて教育や福祉といった面の発展・充実が遅れているところ、などなど。
かと言って、それじゃあ他の先進国の政治や国民性や社会福祉について言うほど詳しいのかと言われたら全然そんなことはなくて、だからどこがどう嫌いとか、改善していくためにはどうしていけばいいのかとか、突っ込んだ話をするには浅学にも程があるので差し控えるけども。
個人的に一番納得いかないなあと感じているのが宗教観。
正月には初詣に行き、バレンタインに何故かチョコを贈り合って、お盆にはお墓参り、だけどハロウィンも馬鹿騒ぎする、そしてクリスマスを祝うという、あまりにもカオスすぎる宗教的イベントの数々……。
もちろん現代に生きるほとんどの人が、それが元は宗教行事だなんてことは知らず、ただの季節のイベントという認識でいるからこそなんだろうけど。
なんというか、そのイベントの起源も知らなければ知ろうともしない姿勢も嫌いだし、宗教というものに対してあまりにも無知で無関心すぎる国民性が恥ずかしくて恥ずかしくて、常々「日本って変な国だな」と思ってた。
だけど海外では、特定の宗教を持っていないことは軽蔑の対象になる。
日本人の多くは宗教というものを何かとても怪しげで、非科学的なオカルトと思っているのかなと感じる。要は霊感商法みたいな、詐欺に近いモノというイメージなのかな、と。だから近づきたがらないし、宗教なんかに騙されるやつは馬鹿だと嘲笑う人までいる。
でも本来宗教というものは哲学で、何らかの宗教に帰依するということは「自分はその哲学を人生の指針として保持する」という意思表示だと個人的には思っている。
つまり宗教を持つということは「こういう生き方をしたい」という信念を表明することであって、だからこそ宗教を持たない人は奇異の目で見られる。「この人にはどう生きたいとか、最終的に何を為したいとか、そういう信念も哲学も何にもないのか」と。
もちろん無宗教=無学ではないし、特定の宗教を持っていなくとも自分なりの信念を持って生きている人は大勢いる。だから無宗教だというだけで人を差別したり蔑んだりするのも間違ってると思う。
ただ宗教とは何なのかということを根本的に理解して、それでもなお無宗教を貫くのと、最初から学ぶ姿勢も見せずに無知のままそっぽを向くのとでは全然違うんじゃないかなと。そんなことを感じながら生きてきた。
だけど海の外では太古の時代から、宗教が引き金となった醜い争いが古今東西で繰り広げられていて、紀元前から現代に至るまで未だに解決の目処が立っていない。最近ニュースで大々的に取り上げられているアフガニスタンの問題もそうだし、中東問題がいつまでもゴタついてる理由もそう。
ついでに言えば宗教というものが一部の特権階級の金稼ぎの道具として利用されてきたこともまた事実で、そういう側面を思えば、日本人が宗教というものに対して不信感と嫌悪感を示し、アレルギー反応が出るのも一方では理解できる。
日本はほぼ統一民族国家と言ってよく、歴史上、宗教問題が発端となった大きな争いとは無縁だった。もちろん島原・天草の乱みたいな小競り合いは時々あったけど、十字軍遠征みたいな国同士の戦争に発展するようなことはなかったし、これには大国の干渉を受けづらかった島国という地政的な理由もあったのだと思う。
だから余計に、たかが宗教観の違いで殺し合う大陸の人々の行動が理解できないし、民族問題というのも想像がつきにくい。日本にも部落差別問題とか、アイヌ・琉球民族への迫害とか、似たような問題がまったくないわけではないんだけど、やっぱりとても小規模で、民族同士の殺し合いに発展するようなことは未だかつてなかったからね。
だけど最近、Hoi4実況動画にハマったのをきっかけに、ようやくWW2前後の近代史の重要性に気づいて少しずつ勉強を始めてみて。
なんか、日本の歴史的・地政的特質が偶然生み出した宗教への無関心は、ある意味この国の強みであり天恵かもなという考えがちょっとだけ生まれた。
特に最近はインドの独立までの軌跡について勉強していたんだけど、イスラム教とヒンドゥー教の対立によりなかなか独立が実現せず、ひたすらイギリスのいいように利用されて苦しんだインドの人々の歴史を知れば知るほど「とりあえず宗教の違いなんてどうでもいいからさっさと協力し合ってイギリスを追い出しなさいよ」と言いたくなってしまった。
本当に日本で生活していると、宗教の違いが何故「相手が生きていることが許せない」というレベルの憎しみや殺意にまで発展するのか理解に苦しむ。別にイスラム教徒だろうがヒンドゥー教徒だろうが、お互いに自分の信じたいものを信じてればいいんじゃないの? でもって自分の信じるものを否定されたくないんなら、自分も相手を否定しなければ済むだけの話なんじゃないの? と思ってしまう。
ま、それができたら最初から誰も苦労しないよって話なんだけど。
宗教がどうとか関係なく、そもそも人間ってそういうものじゃんと言われればそれまでで。自分と違う考えを持つ他人を受け入れたり、許すのって難しかったりするんだよね。口で言うのは簡単だけど。自分と違う考え=自分を否定されていると感じる人も世の中には多いから。
でも宗教って本来、人がいろんな苦しみを乗り越えて、少しでも幸せを感じるために発明されたものであって、歴史を勉強すればするほど、それを理由に差別し合ったり殺し合ったりすることの無意味さや虚しさを痛感せずにはいられない。
要は宗教って科学と同じなんだよな。本当は人や社会を豊かにするために生み出されたものなのに、一方で核兵器のような大量殺戮兵器を生み出してしまったりする。つまり人間が人間である以上、宗教も科学も絶対に悪用するやつが現れて、いつか人類が滅亡する日まで、永遠にこの問題は解決されないのかもしれないとさえ思う。
ただ以前どこかで、それぞれ違う宗派に属するムスリムの留学生ふたりが、日本の居酒屋で一緒に酒を飲みながら「日本にいると祖国に帰るのが憂鬱になる。ここでは僕らが殺し合う必要はないし、周りにいる日本人の誰も、僕らを宗派によって差別したりしない。もうずっと日本に住んでいたい」と話していた、というようなエピソードを聞いた。
あくまで人伝に聞いた話だから、どこまでが本当なのかは分からないけど、近代史を掘り下げて勉強してみると改めて、ムスリムたちの零した本音の重さに胸が詰まる。そして同時にこう思う。日本には宗教的緩衝地帯としての役割を担える歴史的・文化的背景があり、日本人が宗教に関して無知で無関心であることは、場合によっては大きな美徳でもあるのだと。
近年、日本では労働人口確保のための移民の受け入れや、それに関わる企業の在り方なんかが問題になっているけれど。少なくとも外国人を広く受け入れられる最低限の土壌は日本にはあると思う。日本人が持つ人種や宗教というものへの鈍感さは、国外から出稼ぎに来る人々にとっては救いに映るかも。
ただ外国人労働力を企業が買い叩いたり、住民が多国籍になることで地域の治安が悪化したり、なんて問題なんかもあるから、これもそう簡単な話ではないんだけどね……。
実は自分も母親がある宗教の熱狂的な信仰者だ。
今はそれほどではないが、家庭が荒れていたときにはそれはもう狂信と言えるレベルのハマり方で、子どもである自分たちに信教の自由はなかった。母親が信じたいものを子どもたちも信じるよう強要され、少しでも嫌がったり、否定的な意見を口にしようものなら「死ね!!!!!! 地獄に落ちろ!!!!!!!」と鬼の形相で恫喝された。
自分はこれによって宗教というものに非常な不信感を抱いた。教義に従わない者には人権さえ認めないのが宗教なのかと。仮にそうなのだとしたら、母親が信奉しているものは絶対に間違っている、それは信じれば信じるほど人を不幸にするものだ、と。
だけどよくよく調べてみると、その宗派の教えは至極まっとう、人を差別するような教えはどこにもなく、ただ自分も他者も幸せになるためには、社会を豊かにするためには、平和を実現するためにはどうすればいいか、そういう哲学的な思想をひたすらに追及するものだった。
つまりそれを母親が自分にとって都合のいいように解釈し、捩じ曲げて、自分こそが絶対的に正しい存在だと主張するためのナイフとして振り回していただけだったのだ。おかしかったのは宗教ではなく母だった。人間として完全に狂っていた。
でも母が狂っていたおかげで、自分は宗教というものに興味を持ち、勉強し、そのいい面も悪い面も理解できるようになった。日本の無宗教というものが、世界的に見ればとても奇怪で恥ずかしいものだと理解する一方で、今は寛容さを生む恵まれた要素なのだとも理解している。
だからこそ今回、インド近代史を勉強していてとてももどかしい気持ちになってしまい、こんなことをここで吐き出しているわけだけど。笑
まだまだ学ぶべきことは多い。あまりにも多い。
物書きとしていつも感じていることだけど、改めて、痛いほどにそう思う。どれだけ勉強しても自分はまだまだ無知で、無知のまま一生を終えるんだろうなと。
あー、もどかしい。全知全能までは望まないから、せめて全知の存在になりたい。もっともっと色んなことを理解するために、色んなことを知りたい。知識って手に入れば手に入れるほど渇いていくよね。何かひとつを知るごとに自分の無知と浅慮を痛感するから。
* * *
ところで全然関係ないけど、今週、左肩に福毛が生えているのを見つけた。縁起がよくてちょっとうれしい。
今までも顔や腹に生えてたことがあったけど、今度は腕かあ。何でも福毛が腕~肩に生えたときは仕事運が上がるらしい。
迷信かもしれないけど、たとえ根拠のないオカルトでも、前向きな気持ちにしてくれるものなら積極的に信じてみよう、が自分のモットー。というか、それが自分にとっての宗教、かな。笑
というわけで、創作の方で何か成果が上がるといいな~~~~。
自分は現在役所に勤めていて、所属している部署はなかなかホワイトだと思っている。今まで民間のハズレ企業ばかりを点々としてきた身としては、待遇面での不満は特にないし、残業も年度末前後の繁忙期にちょろっと発生するだけなので、かなり理想的な職場だ。
だけど直属の上司がちょっとめんどくさい人で、決して悪い人ではないんだけど、神経質で融通が効かない。
このペーパーレスの時代に「俺は紙じゃなきゃ嫌だ」と言い張り、市民の代表として省エネや資源の節約に積極的に取り組みましょう、という市の方針を完全に無視。せっかく電子での申請や決裁のシステムが整ってるのに、何でも紙で提出させたがる。
おかげで彼には不経済的かつ非効率的な人だなあという印象があり。まだ43歳と若いのに、ひと昔前の頭の堅い公務員のイメージそのものだ。
で、最近うちの部署では市民の世帯構成や年間所得を一斉調査し、前年度の状況と相違がないかチェックするという作業をやっている。
自分の担当は約3000世帯で、各市区町村に登録されている住民票や所得の情報をマイナンバーを使って一括照会し、返ってきた照会結果はすべて紙で出力。これを同じく紙で提出させた市民の申告と付き合わせ、1世帯ずつ手作業でチェックする。虚偽の申告は出されてないかとか、所得状況に大きな変化はないかとか。
個人的にはこの時点で「いや何のためのマイナンバーだよ、市民にも電子で申告してもらって照会結果との突き合わせも自動化しなよ、それでエラーが返ってきた世帯と電子申告できない世帯だけ手作業で調査すればいいじゃない、時間と資源の無駄にもほどがあるよ」という感想しかないんだけど、それは言っても詮がないので脇に置くとして。
問題はそのチェック作業を自分→上司のダブルチェック体制でやっていることにある。いや、数が数だけに間違いがないようダブルチェックは大事だし、この体制自体には何も異論はないんだけど。
ただ、上司が本当に神経質なのがめんどくさくてめんどくさくて、ここ最近とにかく辟易している。だって、働いているはずなのに所得が0で上がってくる人を見つけるたびに「世帯主はこの家族について被用者だと申告してきている。なのに所得が0というのはおかしい。再調査!」と命じてくるのだ。
いや、その人どう見ても育休中! 子どもの生年月日見て!
もうとにかくこの繰り返し。何度「恐らく育休中だからですよ」と回答しても「いや、万が一所得があったら困るから」と聞く耳を持たない。
税務署が確定申告を元に登録したデータを引っ張ってきてるのに万が一も何もないと思うのは自分だけ?
確定申告の内容が嘘でこいつ脱税してるかも、って意味で言ってるなら、それはもはや税務署の仕事であって自分には調べようがないし。
そもそもマイナンバーや課税地の登録誤りなら、情報の不一致により照会が成立しないのでシステムがエラーを返してくる。だから何かの間違いで所得が0で上がってくる、ということはまずあり得ない。
なのに育休中と思われる女性の所得が0で上がってきているのを見つけるたびに「再調査!」「再調査!」「再調査!」「再調査!」
自分も2人の子持ちなのに、育休に理解がないのか何なのか……たかが子どもひとり育てるのに丸々1~3年も休むやつなんてそうそういるはずがない、という頭なのだろうか?
というよりはまあ、単純に機械を信用してないのかなとは思うけど。
あと、自分が配属されて間もない頃に、前任者が残してくれたマニュアルのとおりに業務をこなしていたら、そのマニュアルの内容に一部だけ誤りがあって。
けど新米の自分にはその誤りに気づく術などあるはずもなく、ひたすらマニュアルに忠実に仕事をした。そしたらあとになって間違いが判明し、上司から「なんでこうなったのか」と事情を訊かれ。
なんでと言われましても、マニュアルがそうなってたから……と答えるしかなかったわけだけど、そしたら上司は「マニュアルが間違ってることだってあり得るんだから、分からないことがあったならその時点で周りに訊け。責任転嫁するな」と激怒。
いや、周りに訊けも何も、自分の担当業務が分かる人、前任者も含めて退職やら異動やらで全員いなくなったのに誰に訊けと……?
そもそも配属2ヶ月目の自分が「このマニュアル、本当に合ってる?」なんて疑問を抱き、担当外の諸先輩方に質問をするなんて発想に至れるはずなくない?
実際、誰に訊いても「いや、君の担当業務には携わったことがないから分からない」って答えしか返ってこないし。責任転嫁とかじゃなくて、ただ事実を述べただけなのに……。
それでもとにかく上司はお怒りで、その事件以来、どうも自分は「使えないやつ」「信用できないやつ」「独断で仕事をするやつ」というレッテルを貼られてしまったように感じる。
だから余計に、彼は自分のやることに細かくケチをつけたがるのかもしれない。たった一度の失敗だけで「こいつならやりかねない」と常に疑いの目を向けられてるんだとしたら、正直甚だ心外だけど。
で、とにかく仕方がないから再調査を命じられる度に該当者のマイナンバーを調べ、住民票を調べ、課税地を調べ、回答結果が得られるまで丸1日かかる所得の照会をしなければならない。現状、初回の照会結果が正しい確率は100%であるにもかかわらず。
これがもうとにかく無駄な作業としか思えなくて、毎日地味にイライライライラ。システムが間違いのないように全部やってくれたことを、今度は人力で全部やるとか二度手間どころの話じゃない。ましてや育休中で一時的に働いていないだけと分かりきってるのに。
果たしてこれ、今月中に全世帯のチェック終わるんだろうか?
無駄な再調査に時間を取られて肝心の作業がなかなか進まない。
月末はコロナワクチンの2回目接種がある兼ね合いで、2日も休み取ってるしな……はあ。。
(ついでに)
・隣の係の係長は自分の席の電話が鳴ればすぐに取って応対するのに、この上司は90%の確率で無視し、一旦部下に取らせてから取り次ぎさせるのも謎。
・他に電話取れそうな人が島にいない場合でも結構な確率で無視して、離席中の人が慌てて戻ってくるか、隣の係の誰かが代理応答してくれるまで待つのも謎。
・「分からないことがあるなら訊け」と言われたので、不明点があれば逐一この上司に尋ねに行ってるんだけど「俺に訊かれても分からないから近い業務をやってる他の部署に訊いて」とか「自分で法令調べて判断して」としか答えてもらえないのも謎。
自分は既に2回新人賞を受賞して本を出しているけれど、未だに自分の実力というものに自信がない。
まあ、それはこれまでの人生で一度も書いたことがないジャンルに挑み、まぐれで書籍化と相成った1冊目(つまり商業処女作)へのネットでの書評が散々で、完全に自信を喪失したというのもひとつの原因ではあるのだけど。
確かに私の作品を面白い、よい作品だ、と言ってくれる人たちはいる。だけど第三者からどれだけ「面白い」と評されても、自分はその評価を信じ切れない。いや、これ言うほど面白いか?と、自分の作品なのに疑ってしまうのだ。
もちろんクオリティに関しては手を抜いてるつもりはないし、作品を書くこと自体は純粋に楽しい。でもいざ作者である自分を切り離し、読者としての目線に立って自作を俯瞰してみると、あれこれと構成上の欠点が浮かび上がって見えたりする。すると途端に「あ、この作品はダメだ」と失望する気持ちが湧いてしまい、なかなか心から「この作品は面白い」と信じられなくなってしまう。
書いてるときは楽しいのに、読者目線に立つとつまらないと感じる。この自己矛盾に今日も苦しんでいる。いや、作家を志す者としては、自作の欠点を客観的に挙げられるというのは良いことなのかもしれないけどね……HSP特有の完璧主義の弊害というか、自分への理想が高すぎるのかな?
だけど自作を信じられないという心理状態は結構苦しいもので、常に自分への猜疑心に駆られながら執筆を続けなければならない。
本当にこのままこの作品を書き続ける意味あるの?
本当に面白いと思ってる?
読者のウケもよくないし、さっさと打ち切りにして次に行った方がいいんじゃない?
などなど、いつも囁きかけてくるネガティヴな自分と戦いながら書き続ける作業にはいつまで経っても慣れそうにない。しんどい。
こういうとき、アシスタント持ちの漫画家さんや、何人かのチームで制作作業ができる同人サークル、または大勢の人々が相互に関わり合ってひとつの作品を創り上げる映画やドラマ、アニメといったジャンルにいるクリエイターさんがとても羨ましくなる。
小説を書く、という行為は他の創作に比べてとても孤独だ。小説投稿サイトなどに作品を投げて読者の意見や反応を窺うことはできるけど、結局作品を創り上げられるのは自分ひとり。成功も失敗も全部自分で背負わなければならない。喜びも落胆も誰かと分かち合えないって寂しいよね。誰かと一緒なら喜びは2倍になり、悲しみは半分になるものなのに。
もちろん商業化すれば担当編集がつくし、いざ刊行となれば営業部の方々の助力も得られるので、ひとりじゃない!という心強さがあるんだけど。
アマチュアのうちはこの孤独と戦いながら書き続けなければいけないんだよな。プロなんか目指さず、あくまで趣味として書いてるだけならここまで苦しむ必要もないんだろうけど。生憎自分はやっぱり書くことを仕事にしたい。社会不適合者すぎて、心身共に健全な人たちと同じように生きることはできないと、社会に出て痛感したから。
毎日朝同じ時間に起きて、仕事に行って、お金を稼ぐためだけに退屈なルーチンをこなして帰ってきてメシ食って寝る。そんな生活を死ぬまで続けるのか、と考えると絶望的な気持ちしか湧かない。そこに自分の生きる理由を見出せない。だから当たり前に働くということがとても苦痛で、どれだけ環境に恵まれた職場に就職できたとしても、毎朝ベッドの上で「仕事に行きたくない」と動けなくなってしまう。
世の中にはブラック企業に苦しめられながら必死で働いてる人たちだっているのに、贅沢だね。
でも、だからこそ自分のような人間はさっさと社会から隠遁して、ホワイトな仕事を必要としている人に今いる席を譲った方がいい。……なんて考えが脳裏をよぎるから、余計に焦って自分を追い詰めてしまうのかもしらんけど。
とにかく、ただ楽しいだけでは続かない現実がそこにある。
まあ、それでもなお机に囓りついて書き続けているのは、どんなにつらくても苦しくても孤独でも、やっぱり小説を書くことが好きだからなんだけどね……。
結局、書き続ける秘訣はそれに限る。大事なのはただ「好き」であること。
今日も今日とて自作への不信感に駆られて、このままでいいのか?と自問してくる自分と取っ組み合ってるわけだけど。
いいか悪いかは結果が出るまで書いてみないと分からない。怖いのは思ったような成果が上がらなかったとき、その作品を書くために費やした時間が全部無駄になってしまうことなんだけど。。
でも、だからこそ今日までの努力を無駄にしたくないのなら、一歩でも成果に近づけるよう最善を尽くして書くしかない。ここで投げ出したらそれこそ挑戦のすべてが無駄になる。
さっさと投げ出して楽になりたい気持ちと、成果を求める気持ちとの間で揺さぶられ、ひどい船酔いみたいな感情に悩まされながら。
それでも今日も書く。まずは来月の二次選考を突破しないとな……。
はじめまして、夜猫と申します。
前々からブログ的なものを始めたいな~とうっすら思っていたのですが、なかなかふんぎりがつかずにいました。というのも、いざ始めてみたところで三日坊主の自分では続かないことが分かっていたから。。
だけど続かなかったら続かなかったでまあいいか、と割り切って、感情の赴くままに始めてみました。とても他愛もないことばかり、ひとりごとのように書き綴るブログになると思います。至らないところも多々あるかと思いますが、よろしくお願いいたします。
* * *
さて、日付が変わって今日は終戦記念日。
実は最近、ゆっくり実況者のポランさんの影響でHearts of Iron IV(以下Hoi4)の動画を漁るのにハマッている。言わずと知れた第二次世界大戦の世界を舞台にした戦争シュミレーションゲーム。
別に8月の原爆の日や終戦の日を意識して見始めたわけではないんだけど、前回ポランチャンネルで上がった第二次ゆっくり実況者大戦の動画がいたく面白かったので、最近新たに始まった第三次ゆっくり実況者大戦も覗いてみたのがきっかけ。おかげで終戦の日に向き合う気持ちが以前よりも引き締まった。
実は大学では歴史学を専攻していたくせに、自分は近代史がとても苦手。特に世界大戦前後は事件や登場国家・人物が多すぎて全然覚えられなかった。元々史学科に進んだのは古代・中世東洋史がやりたかったからだしね。
だから、実はHoi4というゲームについてはもっと前から知っていたんだけど、知識がないので楽しめない、ということでスルーしていた。だけど上述のとおり、第三次ゆっくり実況者大戦で気になって見始めたら、これがなかなか面白くて。
相変わらず知識はほとんどないけれど、ポランさんやアイザックさんが上げているストーリー風味のHoi4なら雰囲気だけでも楽しめる、ということで追いかけ始めたら見事にハマッてしまった。おふたりがHoi4動画を上げるきっかけを作ったというグルッペンさんの動画も全部見た。完全なる沼ムーブである(笑)
いや、そもそもWW2の知識がほとんどない人間でも楽しめてしまうほど面白い動画を作ってしまうゆっくり実況者さんたちがすごすぎるって話なんだけど。
物書きとして見習いたいと思う構成や演出が多々あって、一視聴者として楽しみながら勉強にもなった。何より胸打たれたのは、WW2の時代を駆け抜けた人々へのリスペクトを表しつつ、戦争ゲームを最大限に楽しみながら、しかし同時に戦争の悲惨さや虚しさを伝えるという内容の素晴らしさ。
というか、自分もゆっくり動画を作っていたことがあるから分かるんだけど、あれって簡単なテキスト読み上げ動画を作るだけでも大変なのに。それを凝った編集や演出までつけて、おまけにストーリーも自分で考え、ゲームのプレイ動画と融合させて世に出すという離れ業をやってのける彼らは本当にすごい。WW2周りの知識量も半端じゃないし。本当に動画を作るのが好きで、情熱がなければ絶対に続かないことをやってのけてる彼らを心から尊敬します。
自分もまたゆっくり動画作りたいなあという思いはありつつも、制作環境が整っていないのと、そんな時間はどこにもないという現実にぶつかり続けていつまで経っても実現しない(笑)
動画作ってる暇があったら小説書けって話だしね。はい。
早く3冊目の商業本出したいなあ。プロの小説家を名乗れるのは商業で3冊出してから。と、故・松智洋先生が講演会でおっしゃっていたので。流行りのジャンルや世間のニーズを完全無視したものしか書けない自分のような人間でも、努力と情熱次第でプロになれるってことを証明したい。他の誰でもない、自分自身に。
そういや、自分が小説を書くのは「三度の飯より創作が好きだから」という理由が半分と「自分の書いた小説で誰かに勇気や希望を届けられたら嬉しいから」という理由が半分なんだけど。
今日、自分のことをすごく憎んでいて「おめえのやること為すこと全部否定してやるぜ」モードに入っている嶋村さん(仮名)という人が、こんなツイートをいいねしていた。
Octopus3@amrita_biblion
「誰かの役に立ちたい、それはとても尊い考えですが、志した瞬間から奴隷となる。役立つかどうかを決めるのはあなたではない。他者だからです。承認欲が高まり遠からず精神が詰む。そんな時はこのジジイの言葉を思い出してね」 あの世の先生へ! 思いがけなくお盆の供養が実現しました。ありがたや😌
2021年08月14日 13:40
まあ、このツイートをされた方に罪はないし、恩師さんの言っていることも一理あるとは思うんだけど。
そもそも創作って小説でも漫画でも映画でも「あなたのために創りましたよ!! さあ感動して下さい!!!!!!」って気持ちの押しつけで続けられるものではないと思う。
少なくとも自分はそう。確かに自分の創作物が誰かの心に届けばいいなとは思ってるけど、受け取るか受け取らないかは受け手次第であって「なんで私の素晴らしい創作物に感動しないんだ!!」なんていかれぽんちなことを言うつもりは毛頭ない。ここで言われてる「承認欲」って、たぶんそういうことだよね?
確かにそんな承認欲だけで創作を続けていたら、絶対に途中で挫折するか、自分を認めてくれない世間を恨む憎悪と嫉妬の塊になってしまうと思う。
でもクリエイターの根幹にあるものって、やっぱり突き詰めれば「創作が好きだから」だと思うんだよな。だから「誰かの役に立ちたい」という気持ちだけで小説を書いてる人間なんてそうそういない気がする。
嶋村さんは自分が常々「誰かの心に灯をともせるような作品を書きたい」と言っていたのを知っているから、それを嘲笑いたくてこういうツイートを引っ張ってくるんだろうけど。
少なくとも、自分みたいな底辺を生きてる人間でも、他人を踏みつけることでしか自尊心を満たせない人よりはマシかな。
他にも複垢工作でせっせと人の作品の評価を貶めたり、HSPやアダルトチルドレンの特徴を挙げて「こいつらは頭がおかしいメンヘラ」と言ってるようなツイートをいいねしまくったり。この人、そんなやり方でしか人と向き合えないのかな……?
前々から友人がいないことを「どうせ他人はいつか裏切るから、最初からひとりの方がマシ」と言ってたけど。あれも友人ができない自分を誤魔化すための、精一杯の強がりだったんだなあと今になって思う。
もう40過ぎてて子どももいるんだしさ。大人になろうぜ……。
とりあえず、自分はやっぱりこの言葉を信じてる。
〝太陽がないときには、それを創造することが芸術家の役割である〟──ロマン・ロラン

