幹事の紹介も終わり、あとは自己紹介タイムしつつ、歓談開始!


自己紹介はちょっと失敗したねー。

皆さん必死に話をしており、人の自己紹介を聞くどころではない。。。


多少想像はしていたけど。。。皆さん話したいだろうから催しはすまい決めたのだけど、何か無いとさえんなーと思って、自己紹介を組み込んでみた。


クラスごとに座っている席配置もグチャグチャになってきて、司会のさくらさんは、てんてこまい。

だけど、うまいことはしょってくれたり、適当に自己紹介あててくれるなどして、なんとかなった。


13時から16時までの3時間は、本当会話の嵐で、てんやわんや。。。


こういう光景は初めて見た!ぐらいあちことで、いろんな話が飛び交い、話にはいったり、また別の人と話したり。


僕も結構多くの人と話したが、短い時間しか話せず中身は薄かったなー。


だって、3時間180分で、150人ぐらいと挨拶はしたので1人1分ぐらいですから(*_*;


皆さん料理もほとんど食べず。。。お酒も意外と飲まず。。。


美味しい料理ではありましたが。。。もっと料理の料金落としておいてもよかったかもなーとちょっとだけ反省(*_*;


しかし、メールしかやりとりしていなかった多くの方とも少しでも話せたし、僕としては良かったなー。


裏方では、のん&りんコンビが、当分お金の計算に悪戦苦闘中。。。


同窓会楽しむことできなかっただろうなーゴメンね(*_*)


僕は、皆さんからお預かりした会費200万円ぐらいあって、鞄にいれっぱなしでまずいなーと思って、途中でホテルに清算しにいったり、十時さんを授乳できるお部屋に案内したり、当日遅れてくるエギ君と連絡とったりなど、ドタバタしてはいましたが、楽しめました。


なんせ、会う人会う人から「ありがとね」とか「お疲れさん。」とかねぎらってもらって、いろんなトラブルを予想していたが、大丈夫そうだなーと安心してきた。


そして16時終了時間が迫って、2次会参加者をさらに募った。


なんと、168名中、130名が2次会に残ってくれることに!!


その人数には驚きつつ嬉しかった(^^♪

いよいよ会場にほとんどの参加者が到着して、同窓会開始時刻の13時!


だけど、会場ザワザワ&遅れてくると連絡あった方も数人いたので5分ほど待ってもらって開始!


さくらさんの名司会で会場はいい雰囲気でスタート!

最初はチャーミーの挨拶ではじまった。

チャーミーが、「はげとデブ・・・がほとんど・・・」みたいな下品なこと言っているのは聞いたけど、その後受付の方でりん、のんコンビとお金のこと確認したり、遅れてくる人と連絡とっていたので挨拶聞けず。。。


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ちなみに、この最初に挨拶して乾杯するのもチャーミーの案。

チャーミーは、挨拶とかやりたがっていなかったけど(>_<)無理やり頼んだ。


乾杯の前に、先生の紹介やらクラス幹事の紹介やら予定していたけど、それで30分ぐらいかかりそうで、「結婚式じゃないんだから」と早めに乾杯しようとチャーミーの案で決めた。


ほんま、意外といい案を出すんよね、奴は。


チャーミーとは、当日の朝会場でちょっと会話


俺「挨拶の言葉準備した?」

チャ「ここへ来ながら考えて、一人でしゃべってみたけど、一つも笑いをとれんかった」


と言っていた。


1月~チャーミーと話し合いながらいろいろ話しながら、準備してきたけど、一度ももめること無く互いの意見を尊重しながらすすめることができたな。


これって、簡単そうで結構難しい。。。

仕事ならどちらが上とか、主催者とかハッキリ決まっているけど、同窓会では当然ながら同級生ということでお互い対等。


やっぱり高校生から友達関係続いているだけあって阿吽の呼吸とまではいわないが、お互いのツボを心得ているのだろう。


会場ではチャーミーの挨拶でちょっとした笑いが起きつつ、僕らは受付でドタバタ。。。


のん、りんコンビのお二人にも会場にはいって同窓会楽しんでもらいたいが、お二人はお金を一生懸命あわせてくれている。


僕が「適当でえーよ、少々あわなくても大丈夫からか」って言っても


二人は「いや、完全に合わないと気が済まない」って感じで


一生懸命やってくれている。


そんなやりとりをしていると、会場では次の先生のご紹介にはいっていた。


4人の先生が壇上にあがってくれて、挨拶してくれている。


さくらさんが、「短めにお願いします!」って上手いこと言ってくれてたが結構いい感じで結婚式さながらにスピーチしてくださる先生もいた。


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その先生のスピーチもほとんど聴くこと出来ないまま、また受付に戻る。


次はクラス幹事の紹介。


「やばい、吉村まだ来ていない!」


12:50にあれ吉村いないなって気づいて電話したら


「ゴメン、今から行く」って(*_*;


あいつの遅刻癖は20歳から知ってるし、冗談で「同窓会はさすがに遅刻せんじゃろう」って話してたのに。。。。


まあ寝る子は育つ、睡眠は健康の証っていうからしょうがいないよね。



オイオイ!!えーわけないじゃん!!!


クラス幹事としてお前も頑張ってきたのに、ちゃんと紹介ぐらいさせー!


って思いつつ、先生の挨拶も終わり、クラス幹事紹介タイムに。


吉村は依然到着していないが、のん&りんコンビに会場にはいるようお願いして、お金を鞄に一時預かりつつ、僕も会場にはいって、紹介タイムにはいった。


壇上にあがったクラス幹事各位は輝いてたなー。


僕は司会のさくらさんのポジションで1組の秋山君から順々にご紹介。


前に出たら、同級生の皆さん楽しそうな笑顔で、もう談笑が始まっていた。


前に出てみると沢山の同級生に圧倒されつつ、でもきらきらした雰囲気でリラックスしながら紹介。


実は、僕も前の日ぐらいからどう紹介しようって頭で考えてたけど、チャーミー同様、全然笑いがとれそうにない・・・(*_*;とちょっと危機感をもっていたが、まあ場の雰囲気でなんとなく微笑ましく紹介ができた気がする。


若干失礼な発言もしたが、クラス幹事各位には本当お世話になった気持ちが自分にあったので、気にせずエピソードをいろいろご紹介。


クラス幹事のご紹介も終えて、さくらさんの会場内でのお願い事項など説明を終えて、いざ同窓会スタート!


さくらさんの衣装は、この雰囲気で誰も驚くことなく(*_*)いい感じで溶け込んでいる。

会場でのお願いなど、半分ぐらいの人が聞いておらず、すでに談笑が始まった。


ここからは、ルッコラさんが上手いこと言ってたと思うが「競走馬のごとく」皆さん、我先に友達をつかまえて、どんどん話す光景が!


僕も、一応連絡やりとりした手前、皆さんと挨拶したいなーと話しかけてまわった。


僕の太りっぷりにひかれつつ、160人ぐらいとは挨拶できた。

意外に男性陣は、なんとなく挨拶できない人もいた。。。女性の方が話しやすいなと思いつつ。


まあ、ホテルの会場内はお酒や食事どころではなく、皆が競走馬のごとく、同級生と話しこむ光景が目に入った。




同窓会のこと、ドンドン忘れてきた(>_<)ので、早めに書き残しておこうと思う。


当日の朝、9時にのんちゃんこと野中さんと、りんちゃんこと林さんと自分の事務所で待ち合わせした。


お金のこと、お釣りのこと、出欠確認のことなど、打合せした。


二人には準備段階からだいぶお世話になった。


当日も、お金のことを委ねるので、きっと同窓会は楽しめないだろうと思いつつ、お願いしたら快諾してくれた。


そして、10時ごろには一緒に阪急ホテルに向かった。


その道中、僕が「林さん」とか「野中さん」とか、さんづけで呼ぶので、お二人から親しみが感じないなどの指摘を受けまして(*_*;それから「のんちゃん、りんちゃん」と呼ぶことに。


高校時代あんまり話したことないし、女友達が少ない僕からすると、愛称で呼ぶのはちょっと勇気がいったが、最近はだいぶ慣れてきた(^^)


そして阪急ホテルに10時半ごろには到着して準備開始。


お二人はちゃきちゃき動いてくれる。

名札を渡しやすいように並べてくれたり、お金のことも、出欠のことも、ほかのクラス幹事と役割分担をしつつ仕切ってくれている。



11時すぎると、久保君やチャーミーなどクラス幹事も続々集まってくれて、準備がすすむ。


12:15~受付開始だったけど、11:45ぐらいには準備完了してたな。

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ホテルのスタッフの方々も、お願いしていたことをちゃんと準備してくださり、いろいろ気配りいただいて、滞りなく準備完了。

久保君のつくってくれたパネルもイーゼルを忘れたけどホテルの方がちゃんと準備してくれた。



でもなんかソワソワする。。。なんか漏れてないかなあーと心配になる。


正直、同窓会楽しみであるし、不安が大きい(*_*)


楽しむ人も多いだろうが、嫌な思いをする人やトラブルが起きたら本末転倒、同窓会などやらなければよかったと後悔したくない。。。


そんな不安を抱えつつ、12:15。


ドンドン懐かしい顔が登場!騒がしくなるロビー!ロビーにあふれる人。


4階全体を貸し切りにしておいて良かったーと思いつつ。


続く。


多田さんから皆さんへお礼のメッセージ伝えてほしいということでしたので、こちらに掲載させていただきます。

↓↓↓


「みんなからのメッセージを読んで、本当に嬉し涙がでました。」


「チビがいるので、なかなかスムーズにいきませんが、少しずつでも前進していきたいと思います」


「関東であるプチ同窓会や、次回の呉での同窓会出席を目標に頑張ります」




いろいろ書いてもらっていましたが、割愛して掲載させていただきました。



嬉し涙って・・・、こちらが嬉しくなりますね。


同窓会に是非行きたい!って書かれていたので、次早めにやって、皆さんで力づけていきましょう!





多田さんと別れ新幹線「はやて」に飛び乗り、仙台へ!

仙台へ着いたら早速レンタカー屋へ。レンタカー屋では車さえも選べないぐらい、利用者急増らしい。

翌日も同じレンタカー屋で聞いたら、震災後、毎日車が無くなるほど利用者急増とのこと。


まずは、同級生の岡ちゃんが住んでいる名取市が仙台から近く被災状況がひどいと聞いていたので、名取市に向かう。

仙台市からは車で30分も走れば名取市に到着。

川沿いに海へと向かう。


海へ1Kぐらい近づいたところぐらいから、景色が変わってきた。

津波の被害がちょっとずつ見えてくる。

そして、海から500メートルぐらいのところに近づくと、一緒に乗ってた吉村とともに「あーあ」という言葉しかでてこない。

車や船が田んぼにあり、家も1階なにも無い・・・。


名取市から仙台市の海沿いをずーっと車で走らせていると、海沿い一帯は、松の防風林や公園になっており、津波を想定した街づくりされていたのがよく分かった。


だけど、その想定を大きく越えた津波により、防風林はぐちゃぐちゃになり、この松の上に車がひっかかっていたという話しも聞いたらぞっとする。。。


そのまま、日本3景の松島まで約100キロぐらい車を走らせる。海沿いの道は、すでにがれき処分場があちこちにあり、車や松、がれきが積み上げられ、そこらじゅうで作業が続いている。


日本3景のはずの松島も、寂しい雰囲気。景色を楽しむ気分も出ない。

だが、松島のある一帯は、海沿いに家はあるものの、松島のおかげか、津波被害がほとんどない。

松島からはずれた海に面した場所は、ほんの100メートルちがうだけで、大変な被害で人が住めない状況。


今回、実際被災地に行ってみて、「ちょっとの差が大きな差」になっていることに気づく。

ニュースだけ見ていると、あたかも海沿いの市全体が壊滅状態にある想像していたが、津波被害による壊滅は海沿いの500メートル地域のみに限られている。

当然、地震による被害もあるが、建物の倒壊などはほとんど見られず、海沿いの津波被害によるものが震災の爪痕として残る。


ちょっと不謹慎かもしれないが・・・、海から1キロぐらい離れたスーパーは通常営業しており、パチンコ屋も車が一杯入っているのに、驚いた(*_*;

ちょっと500メートル先の海沿いは人さえも住めず苦しんでおられるだろうに・・・、その500メートル先では普段の生活が繰り広げられている。


当然ながら近隣でも助け合いはあるのだろうが(>_<)

このほんの100メートルぐらいの差で大きな差がもたらされていることに、いろいろな想像が浮かぶ。


松島あたりまで車を走らせたら、夕方になったので、ホテルに帰ることにした。


そのホテルへの帰り途、朝メールをしていた岡ちゃんから電話があり、会うこととなった。

場所は「中町モール」。そんな個別名称言われても、皆さん知らんよね?


20分後には会えた。

岡ちゃんは被災地のことを話すとすぐ涙目になってくる。幸い山側なので被害はなかったとのことだが、海側の被害状況を考えると、自分ごとのように捉えるのだろう。


確かに、海辺の小学校はボロボロになっていた。あの小学校の子供さんはどうなったんだろう?岡ちゃんに聞くことすらできず。


被災された方の話をしていると、岡ちゃん泣きだしてまともに話せそうにないので、たわいもない話をして別れた。

今度、帰省したら呉で会おうねと約束して!


その後、僕の趣味(球撞き)つながりで、仙台のビリヤード場に行った。

友人が連絡してくれており、沢山の人が待っていてくれて球撞いて、そのあと、ビリヤード場でご飯作ってくれて、地酒やら飲ませてもらいながらお話沢山できた。


「今日、被災地みるために名取から松島まで行ったんですが、明日はどのあたりまで行ったらいいと思います?」

と聞いたら


皆さんからは意外な言葉が。。。



皆さん口をそろえて、「もういいんじゃないですか?」って感じ。。。


「気仙沼とかも行ってみようと思うんですが?」と聞いても、

「行かないほうがいいんじゃない」的な返事。


僕ら2人もその意味合いは、なんとなくわかっていた。


被災地の雰囲気を見ただけでなんとなく十分な気がしていた。


被災のひどい地域を見ても、それは単なる見物。。。

被災のひどい地域を探して見物するなど、失礼な話にちがいない。


被災地の雰囲気を見てくれるのはありがたいけど、被災地を見物されるのは、被災者にとっては失礼はなはなしい話だ。


結局、翌日もレンタカーを借りたものの、石巻ともう一度名取を目に焼き付けて、「もういいよねー」と吉村と言いながら、早めに切り上げて帰ることにした。



今回の旅で、感じたのは

●「ちょっとの差によるギャップ」



●被災地見るより被災者の話しを聞くべき



●「宛」の重要性


今回は、岡ちゃんがいるので名取市、球撞き仲間がいるので仙台など、行く宛があったので、いろいろ行くことができた。


吉村と二人、行く宛がなければどこに行って良いか分からなかった。


「宛」とは、言いかえれば人との「つながり」。


「縁」の大事さ。


皆さんも想像してほしい。


もし、被災地見に行くとしても、話せる人がいなければ、きっと寂しいというか、なんとも虚しい旅になりませんか??



今回、多田さんや岡ちゃん、球撞きつながりの人たちからいろいろ被災の話を聞けたことが、一番リアリティあり、僕らの身につまされた。


きっと被災地を見るだけでは、実感わかないまま、ただの見物に終わっていたにちがいない。

ただの見物を被災者は求めていないし、はなはだ失礼な話だ。


お互いが「行く宛て」になり、当てにしてもらいながら生きていくのがいいな。


それは被災地だからとかではなく、呉や広島にいてもそう。


会う宛て、行く宛てが無いって寂しいよな。


一人は楽しいって人もいるし、俺みたいに付き合いの悪い人もいるが、それでもずーっと一人ってのは寂しいもんだし、宛がないってのは、人生損している。


親兄弟、親戚、仕事つながり、きってもきれないつながりってものあるけど、高校時代のつながりってのも大事にすべきことに同窓会通じて気づき始めた。


なんせ、自分で初めて選んだ進路という路が高校。

その後、就職、結婚、趣味など、自分でいろいろ選択しながら皆さん進んでいると思うが、その始めが高校だったように思う。


僕も中学生から宮原高校に行こうと自分の意思で選択し、決めて勉強もした。


その自分が選択した道で出会った仲間は、お互い「宛であり当て」にすべき仲にちがいない。



同級生各位、今後も、お互いが気楽に、何の気負いもなく、

「宛てであり、当てに」される人であり続けたいものですね!

よろしくお願いいたします。m(__)m



追記

東京で和也に電話したら、東京ですでに同級生と2回会って、今度関東でプチ同窓会するらしい。あいつも同級生中毒にかかっているな(*^_^*)


一昨日の8月31日11時に大宮駅の新幹線口で待ち合わせした。


多田さんとは、多くのほかの同級生と同様に高校時代一度も話したことは無い。。。(*_*)が、このお見舞い金をお渡しする日時の調整えなどで、この1週間で何度か電話をした。


印象としては、堅実でちゃんとして方だなーって感じです。


1週間ぐらい前から多田さんへのメッセージを同級生にお願いして、50件ぐらいいただいていたので、その文面から多田さんの、おとなしいけど、人柄の良さも感じていた。


そして、8月31日、前日から東京入りしていて、朝9時にホテルを出発して、待ち合わせの大宮駅に向かう。


今回の訪問は一人ではない。同級生の吉村君を無理やり連れてきた。



僕の広島→東京の往復旅費は、同窓会幹事と相談の上、今回の同窓会費用から賄わせてもらうこととしたが、吉村君は自腹。。。(僕と折半して払ったけど。)仕事も無理やり休ませて、一緒に行った。


僕「吉村ー、多田さんとも会いたいじゃろう?し、被災地も一回見たいじゃろう?」


吉「うーん、そうじゃねー」


僕「了解、じゃー30日~2日まで仕事休みとってね。よろしく」



この会話で決定!


なんせ、一人では新幹線退屈だし寂しがり屋だからね(自己中)(>_<)


って、理由だけでなく、多田さんとは1年の時同じクラスになってしゃべったことあるって言ってたしね。




そして、当日、東京を9時ごろ出て大宮には10時すぎには到着。


多田さんと会った後に、被災地訪問することにしていたので、12時ぐらいの新幹線のチケットをとっておいた。

仙台まで一番早い東北新幹線の「はやて」は全車指定席だから。



多田さんとはあまり長くしゃべれそうにないだろうけど、あまり時間とりすぎて、小さいお子さんがおられると聞いてたし、ご迷惑にもなってはいけんだろうから、それぐらいの時間の新幹線とることにした。



10:30ごろ多田さんから連絡あって、迷いながらも大宮駅で会えた!


ベビーカーを押しながら、1歳?のミクちゃんを背負いつつ、ちょっと疲れた表情の中、恐縮してくれながら、何度も「ありがとね」とか言ってもらいながら喫茶店に入った。


それから、多田さんの状況を聞いた。


まるで初対面とは思えないぐらい、お互いリラックスして、本音で沢山話した。


満員の喫茶店で、多分この2時間で話した量は誰にも負けないだろうってぐらい。


途中で、お子さんのことを心配して、隣のおばちゃんがかわるがわる子供をあやしてくれている。

なんとなく、被災・・・・がどうのこうのと話が聞こえたのかもしれない。東京人はいつも思うが、皆親切だ!



多田さんとの密度の濃い話をダイジェストで書くとこんな感じ


・お父さんの自衛隊の仕事の関係で高校時代呉に住んでいた

・それ以外、呉に縁もなく、お父さんも地元の北海道で生活

・被災するまでは、ご主人の関係で福島県の郡山市に住む

・被災して5日後?ぐらいに3号機が爆発するのを見て、すぐに引っ越しを決めた

・お子さんは1歳と5歳

・震災では、家の中は無茶苦茶になったが、住める状況にある

・福島原発からの距離はおよそ70キロ

・指定避難地域外のため、国からお金は一切出ず

・だが子供が白血病にかかったらという恐怖心から移住を決めた

・東京の親戚の家に一時避難の後、埼玉県の春日部市にアパート借りて、二人のお子さんと生活

・ご主人は仕事のために、地元に残り、週末に会う生活

・二重生活のため、とにかくお金がかかる。。。

・実家がクマが出没するような北海道の奥地のため、実家に帰ることもできず

・高校の同級生とは実家が呉にも無く少なくなっていた



そのような大変な状況を聞きつつ、高校の同級生から暖かいメールを沢山もらうなどして、大変喜ばれていた。


して同級生~のメッセージもお渡しして感動してました。


育児で大変そうなので、一人一人への返信はしなくていいですよと念をおしておきましたので、皆さんへの返信は無いかもしれませんが、心は伝わっています。


多分、話すのがそんなに得意ではない多田さんも、本当沢山話をしてくれた。



僕が持参したのは

・皆さんからお預かりしたお見舞い金

・メッセージ(50枚ぐらい)

・ついでにコロチャンのブログ打ちだして

・広島の土産&メロンパン少し

※メロンパン中塩君はまた送るそうだが話のネタに

・同級生の写真、同窓会での写真

・同窓会グッズ一式



僕は多田さんとお会いしたその日も、翌日も被災地にも行きましたが、人とのつながりの大事さを実感しました。


多田さんとは2時間弱のお話でしたが、今後もなんらか同級生に呼びかけつつ、微力ながら役立っていきたいと思った。


多くの同級生がそう思っているにちがいない。



もし、自分が多田さんの状況だったら?


多分、金銭的にも精神的にも苦悩に苛まされる日々。


まわりに知人はおらず、実家は遠い北海道。頼れる親戚もいない。


同級生が頼りになってもいいのではないとかと思う。


このお見舞い金を渡して終わりではなく、これから何かもっとちゃんとした手助けを同級生とともに考え実行していきたいと思った。


被災地もまわったり、被災地でもいろいろ話を聞いたが、多田さんとの話が一番印象に残った。


そして、漠然とした義援金や支援ではなく、手助けすべき人が目の前にいるので、僕らは具体的に何かすべきだし、できると思う。


また皆さんに呼びかけますのでご協力よろしくお願いいたします。


これは、多田さんに限ったことではなく、今後も突発的な災難が誰しも起こりえます。

そんな時、頼りになるのは親戚だけでしょうか?同級生も頼ってもらっていいし、役立つべきだと思うのはきっと僕だけではないと思う。


今回の多田さんとのお話や被災地訪問を通じて、「縁」の大事さを僕自身も身に凍みることになった。「円」ばかり追いかけてきた自己中人間(>_<)の俺も少しは、変わらないといけない。



新幹線の時間も迫って、喫茶店を出た。

多田さんとおとなしいお子さんと分かれる時、「また会う!」という確信を持ちつつ、分かれた。


がらにもなく握手もした。

抱擁を交わしたいぐらいの気分だったが、さすがにそれはお互い。。。(*_*)


多田さんは恐縮しっぱなしで、「ありがとね」とか「皆さんによろしく伝えてね」とか俺らを気づかってばかり。


だいぶ歩いて多くに人混みにまみれて、振り返ってみたら、多田さん子供おんぶしながら、喫茶店の前で立ちすくんで俺らを見送ってくれていた。

僕は、多田さんの人柄あふれるそんな姿を見ても、照れて手を振ることもなく、「俺らが見送らんといけんのに・・・、えー人じゃねー」と思いつつ。。。

再会を心に誓いながら新幹線のホームに向けて歩いた。


今回を通じて、心がだいぶ成長したように思うし、8月31日は僕にとって転機になるように思った。


多田さんから皆さんへのお礼のメッセージもいただいておりますので、またブログに掲載しますね。



追記

mixiメンバーからどうだったか書いてーってことだったので、ストーリーチックに書き始めたが、すぐに挫折してダイジェスト化!

まあ、ボチボチ書きますね。





さっき多田ちゃんと会ってお見舞い金渡し短い時間だが沢山しゃべった

元気づけに行くはずが俺が元気もらった( i_i)

今新幹線で被災地に向かう車中魂が静かにふつふつと燃えている

俺頑張れって涙が目から出ず魂から湧き出るように

ほんま広島おる俺らは頑張らんといけん

多田ピーに次会う時胸張って会うぞ

追記
美空ちゃん可愛かった
同級生各位なは会ったとき多田親子のナイスな写真見せますね
一人は寂しいので無理やり仕事やすませて連れてきた同級生爆睡中
無理やり仕事やすませて連れてきた同級生爆睡中

今日は朝から忙しい。。。


朝から庶務をすませて、沢山のお客さんにメール入れて、11時半にお客さんのところ行って、13時に戻ってきて、14時には東京へ出発!!


たいした仕事してないとはいえ、1週間分の仕事ほおりだして、東京~東北へ行くのですから。

しかもパソコン持たず、お客さんからの連絡を断ちつつ。。。(*_*)



会社の朝礼にて「東京でいろいろ視察する」とか「一回は被災地行かないといけん」とか偉そうにいかにも正統的に言ってるけど、社員各位は「業績悪いって言いながら、何してんの?」って思われているかもしれないというより、思わないほうがおかしい。


そんな葛藤を抱えつつ、忙しい朝。1分でも無駄にしたくないこの朝に。




THE MAN of
    Taisoh-Fuku
  ~体操服の男 2011~



本日公開のこのドラマを観てしまった。。。



今日公開ってのは知ってたので、どんなこと書いてるか朝からソワソワ。。。



ドタバタしながら、ちょっとの時間で読んでやろうってサイト見始めたら


30分かかったーーー。。。(>_<)


一人で笑いながら、時折不覚にも涙が出てしまったー(>_<)



本日ほかに紹介したネタはあったし、さらっと紹介ぐらいの予定だったのに、自然と紹介に力がはいった。



この夏、同級生にとって同窓会というか40歳を考えさせる作品!



THE MAN of
    Taisoh-Fuku
  ~体操服の男 2011~

http://ameblo.jp/h163k56/

是非、一番古い記事から読むことをおススメします!




PS

同級生のメッセージをプリントアウトしつつ、このブログもプリントアウトして、多田さんに持っていこうとして、せっせと会社のプリンターで出力中(*_*;

プリントアウトしたら40枚ぐらいになった(>_<)事務員さんが、気を利かせてもってきてくれたが、何これって感じ・・・で気まずいが(*_* ;タダチャン喜ぶかなー(*^_^*)


行ってきまーす!