*mini-mini Mary's Diary*
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July 1st.

今年のJuly 1stも雨…
というか強風雨☔️

今年はコロナウイルスのせいで
世界が大きく変わってしまったけど
悲しいことも沢山あれば
見つめ直すことも沢山あって
きっと私達に必要な時間だったのだと思う。
この多くの悲しみや困難を
今後プラスに変えていけるよう
一人一人が考えていかなければならないね。



さて。
自粛期間中、
そして梅雨真っ只中で
なかなか夏を感じられない
今日この頃だけど


家での楽しみが増えて
かなり充実している♡


今日は嬉しいNEWSもあったし…✨
ひーくん、おかえりなさい!
これからまた9人揃っている姿が見れるのは
本当に楽しみだ🥰
沼にハマってしまったからには
どっぷりハマろう。うん。(笑)


そんなこんなで
今年も夏が始まるよー🌻


明日晴れたらあの海へ行こう
昨日流した涙の痛みも
優しさに変えて♫



移植して丸4年

今日はご報告も兼ねて
かなーり長くなりますが、
こんな状況だから伝えたいこともあり
投稿させていただきました。


2016年4月20日に人生二度目の骨髄移植をしてから
なんと丸4年が経ちました。

始めに、今の体調はというと
とても良好で、定期検診も半年に一度に。
数値も、この病気になって以来初めて
全ての値が標準値に入っていました!!

健康な人と同じ数値というのは
今まで有り得ないことだったので
私にとっては本当に凄いことなのです。

後遺症のようなものもあり
通院はこれからも続きますが
通う回数も少なくなっています。

その為、10代の頃から特定疾患患者として
毎年申請をし、補助を受けていましたが
今回はその限度額に満たないということで
申請許可が下りませんでした。
とても喜ばしい事なのですが、
15年以上受けていたのでなんだか寂しいような…。(笑)
いや、本当に良かったです。


14歳の時に再生不良性貧血ということが発覚し、
数値は徐々に悪くなる一方でしたが
自分の身体は既に慣れてしまっていて
息苦しいけれどスポーツもできましたし、
階段も上り下りできていました。
ずっと服薬で乗り切っていましたが
20歳になってすぐの頃、
病状は中等症⇒重症になってしまい
いつ白血病になってもおかしくない状態に。
早めの入院・手術を勧められましたが
20歳の成人式はどうしても
長年大切に伸ばしてきた地毛を結って出たくて
無理を言ってお式が終わってから入院。

私は幸いにも妹と骨髄の型が全て一致し
妹がドナーとなり骨髄移植をしました。
経過もとても良好でしたが、
移植から2年が経とうとした頃に再発。
また大量の服薬と頻繁にある通院・輸血を繰り返し
なんとか生活ができていました。

定期的に輸血をしないと息苦しい状態だったけれど
それでも自分のやりたいことを優先し、
色々な方のサポートもありカナダへ留学。
今考えると恐ろしい。絶対しない。(笑)
自分の身体がちゃんとわかっていて
「あ、そろそろ歩けなくなるな…」という
ギリギリのタイミングで病院へ行き、輸血。
向こうだと保険が利かないから頻繁にはできないので
自分の身体が辛くなってきて
周囲から「顔色悪いよ?」と言われるのが
自分の中でのタイミングでした。(笑)
帰国後に思ったのは
まだ飛行機に乗れる状態のうちに一時帰国して
日本で治療を受けた方が安かったのでは…と。
まぁ過ぎてしまったものはしょうがない。(笑)

完全帰国してから二度目の骨髄移植。
最初はあの治療をもう一度するということ、
そしてもう一度妹から骨髄液をもらうということに
とてもとても悩みました。
一度目はポジティブに考えて、
経験して良かった、自分が選ばれたのだと
思うようにしていました。
でも再発し、先生に二度目の移植を勧められた時は、
もう一度あの苦しい治療をして
髪も全て抜け落ちて
妹にもまた大量の骨髄液を採取してもらわなければならない。
そこまでして私に生きる価値はあるのか、
なぜ私なのだろう…とも考えてしまいました。

妹になかなか打ち明けられずにいたら
何故か妹の方から
「最近体調どうなの?もう一回移植するとか言うなら早くしてね!
私もいつまでここにいるかわからないし♫」
と言ってきて、そこで打ち明けたような気がします。
何か察するものがあったのかな?
ドキッとしたのを覚えています。

そして4年前、二度目の骨髄移植。
二度目は違う方法で骨髄液採取、移植をしました。
20歳の頃に担当して下さった看護師さんも
半数くらい在籍してらして
本当にウェルカムな雰囲気で
安心して闘病生活ができました。
家族や友人も沢山お見舞いに来てくれたり
メールやSNSで励まして見守って下さったり
多くの人の支えがあって乗り越えられました。

こういった経験をして今思うのは
やはり、病気になったのが周りの大切な人達でなく
私で良かったなということ。

母の存在がとても大きな励みと強みになったこと。
母はどんなに辛い治療も前向きに臨んでいたけど、
早かれ遅かれ、家族を残して自分が先に逝くことをわかっていたと思う。
だけど、私は治る病気だから、弱音は吐けない。
モチベーションを高く保てたのだと思います。

そして自分が病気をしたことで
前より優しい気持ちになれた気がします。
誰だって経験しないとわからないこと、沢山あります。
個人でしかわからない痛み、苦しみも沢山。
それを信じたり、理解しようという気持ち。

あ、あとは自分の髪があるって素晴らしいということ!!
(こればっかりは斎藤さんには申し訳ないけど…ぺっ✌️笑)
普通に歩いたりスポーツができることの幸せ。
食事制限のない幸せ。
働ける幸せ。
何気ない日常が当たり前でない人が
世の中には沢山いるということ。


私の場合、多くの輸血と妹からの骨髄移植で
生き延びることができました。
献血を行ってくれる方、支援している企業など
感謝しきれません。
ドナー登録をして下さっている方も
とても勇気ある素晴らしい行動だと思います。
だからといって、していない人がどうこうということではなく、
献血だって大量の血を抜かれるのは普通に嫌だし、
ましてや注射自体好きな人、いないですよね?
ドナーも、100%無事というわけではありません。
骨髄採取には色々方法はありますが
全身麻酔で手術室に入り、
太い注射針を何回も骨髄に刺し採取する。
術後は骨髄に違和感や痛みを伴うし、
世界で10件にも満たないけれどドナーの死亡例もあります。
こんな話をしたらドナーになんてなりたくないって
思ってしまうのが普通だとは思うけれど、
ドナーによって助かる命があるのも事実。
私もその一人。生かされた人間です。

私は受容者なので
今後ドナーや献血などはできないそうですが
こうして公表することによって
何かの形で小さなことでも役に立てたらと思います。
貧血のことや移植のことでもいいし、
同じ病気でなくても、長期入院のことや
病気によって髪が無くなってしまうこと、
私が何かお伝えすることで
少し気が楽になったり、
全く未知だった事が少し理解できたり、
0やマイナスが少し上がればいいなと思います。

水泳の池江璃花子選手や
アナウンサーの笠井信輔アナのことも
人事には思えず、経過などを閲覧していましたが
どちらも無事に退院できたようで良かったです。

今コロナウイルス感染拡大によって
世界は凄いことになっているけど、
私もこれが2年以上前に起きていたら…
と思うとゾッとします。
間違いなくいち早く感染していただろうなと。
今治療を受けられている方、妊娠中の方、
入院している方においては
不安でたまらない日々だと思います。
只でさえ毎日不規則な生活で忙しく働いている
多くの医療従事者の方たちも
不安と闘いながら奮闘されていると思います。
そんな中、健康な私達にできることと言えば
不要不急の外出を控えたり
3密を避けたり
市外・県外へ出て行かないことだったりと、
これって、息苦しくはあるけど
難しいことではありませんよね?
我慢できることですよね?
家族や友達にも会いたくてたまらないけど
その大好きな人たちを守るために
お互いが我慢して今は会わない。

こんなGWは私も皆さんも人生初だと思うけど
ここを我慢しないと、夏季休暇もクリスマスも
もしかしたら来年のお正月もないかもしれません。
一人ができる小さなことを
皆でやりましょう!!
一日でも早く、皆様と元気な姿で
再会できますように…✨

長々と書いてしまいましたが
ほぼ完治した時に
皆様に今までの感謝を伝えたいと
前々から思っていましたので
特定疾患認定が解除されたこのタイミングで
報告させていただきました。
本当に長い間付き合ってきた病気。
家族・友人・職場・病院の先生や看護師さん、
本当に多くの人に助けてもらいながら
見守っていただきながら
ここまで生きてこられました。
本当にありがとうございました。
ほぼ完治とはいえ、まだ通院はありますが
自分の身体と向き合って過ごしていきます。
私も皆様から受けた恩を、
また誰かに返してしけるように…。
Pay it forward✨

July 1st.

今年のJuly 1st.もあいにくの雨です。


一昨年、去年の記事を読み返したら
どちらも仕事の転機のようでした。
そして今年も。
やっと夢を掴み、東京での新生活。
相変わらず、仕事で悩む日々。


この職に就きたくて
努力した日々、手放したもの、
沢山の人の協力と応援…


沢山の思いを抱いていざ働き出したけど、
「私がどうしても就きたくて拘ってたものって、これだったのか…?」
と思ってしまう瞬間も度々。
(こんなことを思うだなんて、本当に予想外。)


今まで出会ってきた人と
職場の環境が良過ぎたのか、
それとも今回が悪過ぎなのか、
きっと両方。
私にとっては新鮮過ぎて
未だに受け入れられない部分も沢山あるし
悲しくなってくるけど、
今は踏ん張りどき。
仕事もまだ覚えられてないから、
独り立ちしたら見えてくる景色も違うだろう。


環境や人にも、入社時に比べたら馴染めてきて、
彼女たちの良さも少しずつ理解できてきたから
少しは気持ちが楽になってきた頃。
この職場に就いたのが
この歳で良かったと思う。
もっと若かったら、術を知らずに負のループだっただろう…。


先が見えない毎日だけど
只々努力し続けよう。
そうしたらきっと、
どういう結果になっても納得できるはず。


明日晴れたらあの海へ行こう
昨日流した涙の痛みも
優しさに変えて♫




Mari♡
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