人と人とは結ばれている。それを望もうと望むまいと、その存在を思い出すことさえしたくない相手とであっても。
人を裁く者は自分が裁かれる。相手を裁くことによって、自分の生きる力は確実に蝕まれる。相手の心臓にナイフを突き立てたつもりが、血が吹き出ていたのは、実は自分の心臓であった。そんな風に、人と人との関係は出来ている。これは逃れようとも逃れられない、客観的で厳粛な法である。
神は存在であり、存在の肯定である。一人の人間の存在は、神によって絶対的に肯定されている(にもかかわらず、この神に対して自らを閉ざし、神を否むこと、否み続けることが罪であり、また罪に対する裁きである。人間の真の幸福とは神ご自身に他ならないのだから、これは厳しい裁きである)。その肯定は、私たち人間によるあらゆる相対的判断を凌駕する。誰かを憎みながら神に祈ることはできない。
自分が根底から癒されるためには、人を肯定しなければならない。罪は斥けるが罪人はゆるさなければならない。それが神に倣うことである。実に困難なことである。
