お久しぶりです。
前回の投稿からかなり時間が経ってしまいました。
長らく投稿できなかったのには色々理由がありまして、
最大の理由は生活の一部だけを切り取ることに疲れたという事です。
ブログではなかなか全てをさらけ出すことはできません。
ましてや私のように一人日本を離れ、勝手に海外に飛び出した身としては
日本にいる親や親戚、友人に心配をかけてはいけないと問題をあえて報告しなかったというのもあります。
言わなければ、知らなければ済む事、または時が解決して後から笑い話にすればいい、と考えてもいました。
でも時は解決することもなく、問題から逃れることもなく、
残念な報告をしなければならない時がやってきんだと思います。
離婚することになりました。2月から既に別居しています。
離婚の話が出たのが去年の11月、弁護士をつけずに調停離婚という選択をした私達は
2月初旬には全ての調停を終え、今は裁判所に提出する書類を専門の方に制作してもらっているところです。
調停人の見解では離婚が正式に成立するのは早くて年明けくらいになるのではないか、との事です。
夫婦間に溝ができ始めたのは彼が医療退職をせねばならなくなった頃からです。
そこに持ち家を手放した時期と重なったこともあり、彼の精神状態も病んでいました。
色々言いたい事もあったのですが、今は言うべきではない、と口を閉ざしたのも間違いだったのかもしれません。
夫婦だしいずれ時が来ればわかりあえる、なんていうのは日本人の考え方。
実際は時が過ぎれば記憶は都合のいいようにすり替わり、過去の出来事の話し合いなんて何の意味も持ちませんでした。
まぁお互いの記憶が違っているわけですから無理もありません。
小さかった溝はいつしか修復しようのない大きなひび割れとなり、完全に崩壊してしまいました。
文化の違いも大きかったと思います。
子供が生まれて家族としての幸せを求めた私と、いつもでも夫婦でありたかった彼。
何度も言われたのですがきちんと向き合わなかった自分の非でもあります。
夫婦のあり方だけでなく、教育に関する考え方もずれていました。
男女平等社会のアメリカで妻にも経済力を求める彼にどれだけきっちり家事をこなしたところで
そんなものは求めていないと言われました。努力を認められないことが悲しかったです。
昨年10月末にホリデーカード用の写真を撮り、一緒にカードを作り注文しました。
その1週間後に突如離婚を宣告されました。
10月20日に16回目の結婚記念日を祝ったところでまさに晴天の霹靂といった感じでした。
彼は転職してから上司とうまくいっておらず、3度目の昇進チャンスを逃した頃で会社を辞めたがってはいました。
でも専業主婦の私は『じゃあ辞めれば?』と簡単に言ってあげることもできず、
彼の不満が最高潮に達していたのかもしれません。
たまたま行った出張先で元上司と再会し意気投合してしまったのが最後、戻ってきたその日に離婚を切り出されました。
元上司は白人でバリバリのキャリアウーマン。全く私とは真逆の人です。
アメリカでは片方が裁判所に届出を出すと嫌が応無しに離婚手続きは始まってしまいます。
子供にとって親がもめているのは一番の悪影響ですし、彼は全く話し合う気もなかったので合意しました。
それからというもの好き勝手に外泊する、挙句には娘まで一緒に連れて遊びに行ってしまう。
そんなおかしな状況で娘を育てるのには悪影響でしかないと思い、家を出る事にしました。
そして私が出て行ったその日に彼女が引っ越してきて同じ家で暮らしています。
次の日の娘のピアノの発表会には二人揃ってやってきました。
もう何が普通なのか分かりません。ただ私は二人の感覚にはついていけない、ただそれだけです。
因みにアメリカには慰謝料と言うものがありません。
持ってる財産・負債を綺麗に折半して終わりです。
ただ私の場合専業主婦だったので彼には当面の生活費を出す義務があり、教育費と共に貰っています。
本来なら10年ほど彼には私に生活費を払う義務があるのですが、いくら払うかで揉めました。
というのも専業主婦名目で支払いを請求すると彼の負担額が多くなるからです。
彼の主張は私が持っている資格を活かした仕事についた場合で貰える給料を想定した上で支払い額を決めるというものでした。
しかしこの地でワイナリーはなく、ワイン関連の仕事となるとどうしても夜や週末に働かなくてはならず
娘の面倒を見ることができません。日中できる仕事も探してみましたがとても満足いくような給料ではなく、
彼からの生活補助がなくなった場合生活苦に陥るのが目に見えていました。
なので思い切って学校に戻り、新たにレントゲン技師の資格を取ることにしました。
すると納得いかないのは彼です。自分にまた私を学校に行かせる義務はない、と。
なので折り合いをつかせるために最初の2年間は必要最低限な生活費を全額払ってもらう。
そしてその後2年間は半額、計4年経つと一切支払い義務を無くす、ということで合意しました。
傍目から見ると不利な条件かもしれません。しかし元妻への扶養義務というのは法的効力はなく、
元夫が支払えないとなると途絶えてしまう可能性もあります。
金銭感覚が無いに等しい彼の性格を思うと、長くもらう約束よりも短期集中でもらう方が私にとっては得策なのです。
レントゲン技師取得までに計画当初よりも時間がかかることが発覚し、4年後の経済面に不安はありますが
長い目で考えると時間がかかってもアメリカで自立していくには必要な資格です。
今後学校の奨学金制度や政府の母子家庭補助制度などを調べ、学生期間を乗り切れたらな、と思います。
親権はこちらでは双方の親が平等に持つのが一般的です。
子供には可哀相ですが両方の家を行き来しなくてはいけません。
なので近くに住む必要があり、私が娘を連れて日本に帰ることも許されません。
それ以前にアメリカで生まれ育った娘は日本で住む事を嫌がっているのでそれは選択外なんですが…。
今は父親の家で月火、私と水木そして金土日は隔週交互に行き来するという生活です。
幸か不幸か離婚大国アメリカ、周りにも親が離婚をしている家庭がちらほらあるので娘は既に今の生活を受け入れてます。
学校にもカウンセラーがいて週に一回お世話になっていたのですが、そこでも同じ境遇の友達ができたようです。
ただ時に普通の家族が欲しかった、と泣かれてとても辛いです。
しかし結婚生活を続けられなかった事は私の責任でもありますし、そこは真摯に受け止めなくてはいけないと思います。
普通に明るく元気に振舞っていても無理をさせているのは分かっているので自分も頑張らねば、とも思います。
昨年ホリデーカードを送る事に相当悩みました。
出来上がったのが届いた時にはすでに離婚の話が出ていたからです。
彼はどうせ離婚成立するまで時間がかかるんだから出してしまえばいい、と言いました。
私としては今まで出してた分、急に出さないと心配されるかな?と思い、悩んだ挙句出した次第です。
結果騙すような形になってしまってすみません。
素敵な写真だね、と言われると心が痛かったです。
別居から早4ヶ月、新しい生活にも慣れました。
不安とともに戻った学生生活もなんとか1学期乗り切ることができました。
この投稿を読んで色々心配かけるかもしれませんが私は大丈夫です。
報告が遅れてしまった事、心からお詫び申し上げます。
先月依頼して写真家の方に娘との写真を撮ってもらいました。
今まで娘の写真ばかりで自分との写真が無かったのでこれから定期的に少しづつ写真を残していこうと思います。
長文読んでいただき有難うございました。
うどん






