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カンレキライダーにしてナナハンライダーです。

 

本日のタイトルはバイクではなく陸上自衛隊、実はカンレキライダーは1981年(昭和61年)ー1983年(昭和63年)まで、多感な青春時代を陸上自衛隊で過ごしました。

当時はバブル前でしたが、就職にも進学にも困ることはなく、求人は幾らでもある時代でしたが、国家公務員であるというステータスと自衛官という響きに憧れて入隊しました。

 

最初は善通寺駐屯地で前期教育を3か月、110教育大隊所属でした。ここでは自衛官としての基礎教練と体力錬成に主眼が置かれ、四国4県から集まった若者が根性を叩き直される場所です。

駐屯地の裏手に香色山という標高156mの山を一気に駆け上がる<香色山徒競争>という競技会があり、歴代最高記録から遅れる事45秒で完走したのを覚えてます。これはキツかった~

現在は110教育大隊は松山駐屯地に移駐しています。現在の新隊員は香色山競技会を知らないでしょうね。それとももっとキツイ競技会に代わっていたりして。

 

3か月の前期教育が終了すると、次の3か月は後期教育として各職種に分かれ全国の駐屯地へ配属になります。各職種は自分で希望することができ、カンレキライダーは高射特科を選択しました。高射特科はミサイルの部隊と聞き、何となくカッコいいかと思ったのです。他の同期は善通寺第15通科連隊と、北方の国防が重視されていた関係で北海道の戦車特科に多くの仲間が配属になったように記憶しています。

 

善通寺からは3名が後期教育の部隊となる兵庫県の青野ヶ原駐屯地に向け旅立ちました。国鉄で高松ー宇高連絡船ー宇野ー岡山と乗り継いで、岡山から姫路までは新幹線こだま号に乗って移動、カンレキライダーはこの時初めて新幹線に乗って感動したのを覚えています。そう81年当時はまだ国鉄です。JRはこの5年後くらいか。。

 

姫路駅からは更に10名くらいの新隊員が合流し、ローカル線で青野ヶ原駅まで移動しました。当時は木造の小さな駅舎で周りはたんぼだらけ、民家もなく寂しい場所で不安になったのを覚えています。そこに幌付きのトラックが迎えに来て、全員後部荷台席に乗せられ、小高い山方面へ向けて15分程移動、どんな山の中へ連れていかれるのか、恐らく全員が不安と恐怖に打ちひしがれていたと思います。

 

そしてトラックが駐屯地の入り口に停車、全員下車して警衛所に挨拶、そして駐屯地の中を見てみると・・・・・・

おっー!!なんて綺麗な駐屯地だー! そう青野ヶ原駐屯地は開設して7年目の新しい駐屯地だったのです。開設から7年の間に各施設や訓練場が整備され、我々が到着した少し前が完成形だったようです。アスファルトの道路は黒く光り、芝生はゴルフ場かと思うほど綺麗に整備され、隊舎はホテル並みの綺麗さ、各車両もピカピカです。前任地の善通寺は歴史ある駐屯地だったためかなり古い印象でしたが、ここは別世界です。浴場も今のスーパー銭湯並みです。先輩隊員曰く、ここ青野ヶ原駐屯地が陸自の中で最も綺麗で新しい駐屯地だという事でした。他の部隊へ配属となった同期の中には歴史ある駐屯地に配属になり、老朽化した隊舎や装備に辟易したという話も聞いたので、青野ヶ原駐屯地を選択して正解だったと思います。

 

第八高射特科群309高射中隊に所属しておりました。他の高射中隊は改編されて存続していますが、309高射中隊は2012年に廃止になったようです。309中隊OBのコミュニティ情報をご存じの方いらっしゃいましたら情報お願いしたいです。

 

ここで1任期2年を過ごし、社会人としての常識や教養、酒たばこの類、その他諸々の社会で生きていくための勉強ができたと思っています。除隊したあとは地元企業に就職し40年が過ぎようとしていますが、この自衛隊の2年間は自分にとって誇りであり、その後の自信になったように思います。還暦を迎え人生の出発点ともいえる青野ヶ原駐屯地47周年記念行事に参加して、40年ぶりの感慨に浸ってきました。

 

 

まずはJR青野ヶ原駅へ。ここが自衛隊スタートの地です。

さすがに40年前の木造駅舎ではなく今風のモダンな建物になっていました。

 

しかしホームから見える景色はその当時とあまり変わりないような・・・

 

 

そして小野市役所、おー!めちゃくちゃ綺麗になってます。

 

なにやらモニュメント的なオシャレな看板まで!

カンレキライダーはここの市民会館で成人式をしました。自衛官の制服で10名くらいで参加したと思います。皆な晴れ着やスーツの中で恥ずかしかったのを覚えています。ついでに言うと除隊した翌年まで小野市へ住民税を納めておりました。このモニュメントにもすこーし貢献したか??

 

 

いよいよ駐屯地へ

おぉー懐かしの青野ヶ原駐屯地、記念行事開催で派手な飾りつけです。おそらく隊員手作りでしょう。

 

警衛所、ここは昔と変わってませんでした。

警衛と消防隊を1か月くらい勤務したように思います。駐屯地全域を徒歩か自転車で警衛していました。夜中にタヌキかキツネの獣類がセンサーに反応し、侵入警報が鳴って何度か出動した事も、他にも泥酔した隊員をタクシーから下ろし隊舎まで運んだ事や、反○の方や借金取りを追い返した事もありました。いい想い出です。

 

警衛所の横にはホークミサイルが展示してあります。これは改良ホーク1型でしょうか。

現在では中SAM部隊になりましたが、陸自ではまだ改良ホーク部隊が残っていると聞きました。いずれ全ての部隊が中SAMに入れ替わり、ホークミサイルが退役する時が来ると思うと少し寂しい気がします。

 

後方から、これもカッコいいですね。

カンレキライダーの役割はLC(ロンチャークルー)というミサイルの発射機を設置する役割でした。発射機を設置しスペードという固定具を打ち込んで、発電機ジェネレーターから手首ほどの太さのあるパワーケーブルを繋ぎ、同じくらい太いデーターケーブルを指揮所と繋ぐまでが仕事です。演習ではこれを展開し撤去して移動、また展開を繰り返します。敵に察知されないようにするために日夜訓練していました。

 

このミサイルを発射するにはレーダー一式を展開する必要があります。

PARパルス捕捉レーダー、CW捕捉レーダー、RORレンジオンリーレーダー、HPIハイパワーイルミネーターレーダー、BCC指揮所、発電機ジェネレーター、ミサイルを運搬装填するパレット、40年経ってもまだ覚えています。レーダー要員はFC(ファイアークルー)と呼ばれていましたね。

 

横から。これもカッコいいです!

 

 

ここからは記念行事の様子をリポートします。

 

第八高射特科群長 兼 青野ヶ原駐屯地指令の部隊観閲です。ここで一番偉い人です。女性の司令官ですが、現在の自衛隊では珍しい事では無いでしょう。世界を見れば軍隊だけでなく政治の世界も女性首相や閣僚が普通ですから、ようやく日本もこれに近づいたという事かもしれません。

実際の戦場では性別による絶対的な体力差はあるかもしれませんが、冷静な判断力や決断という場面では女性の方が肝が据わっているように思います。会社でも女性上司のチームの方が成績が良かったりしますし・・

 

部隊整列

 

国旗入場、第三音楽隊の演奏で厳かに、全員起立です。

 

観閲官に敬礼!

 

格闘展示①武器を持つ敵を制圧

 

格闘展示②

 

模擬戦闘訓練展示

中SAM部隊ですので実際にミサイルを発射する事はできません。他の駐屯地の記念行事と比べると地味です。そのため近隣の駐屯地から応援にきた部隊が演出に花を添えます。

 

FH70 155mm榴弾砲 姫路駐屯地からの応援?

大迫力すごい爆音です。10発くらい派手に打ってます。

 

敵侵略部隊を制圧し訓練展示終了です。

これが訓練だけに留まり実戦が無いように願いたいです。災害派遣やPKO活動で注目が集まりますが、自分達でこの国を守るという自衛隊本来の役割は非常に重要な抑止力です。国民の皆さまのご理解とご支援、そして自衛隊の活動を担保する早急な法整備をお願いしたいです。

 

 

バイクのブログですのでレアな1枚を、こちらです。

 

陸自警務隊が採用しているヤマハMT-03白バイです。XJR400やCB400SFからMT-03に切り替えが進んでいるようです。一般道ではまず見かけないレアなバイクですね。

装備品展示ではNo1の人気ぶりでしたー。

 

では、また。

 

カンレキライダーにしてナナハンライダー