NYで毎年夏に行われている「モーストリー モーツァルト」という音楽祭のオープニングナイトガラコンサートに行ってきました!
もう今年でNY在住10年になるというのに、一回もこの音楽祭に行ったことがなく、「いつか行きたいね」と話していたんですが、今年は、あのスーパーレッジェーロテノール、ローレンス・ブラウンリーがモーツァルトを歌うというので、まだ彼を生で聴いたことないし、「あのフローレスを超える!」という声も耳に入っておりましたので(芸術での比較ほど当てにならないものはないんですけどね)、これは聴かねばということで行って参りました。
毎年夏に訪れる「クラシック音楽の禁断症状」の緩和という意味も少なからずありまして。。。(笑)
今回最も印象に残ったのは、オケ!!!これ、モーストリーモーツァルト音楽祭用のオケなんですけど、すごく良いオケです!
相当良いですね。メトロポリタンオペラのオケと遜色ないくらい完成度の高いオケだと思います。ま、今回はモーツァルトのみのプログラムでしたけど、このレベルなら他の作曲家、例えばベートーヴェン初期とかシューベルトとか!聴きたくなりましたよ。(実際音楽祭でこれからモーツァルト以外にも色々演奏してくれるみたいです)
何がいいかって、音を丁寧に出していて、雑なところがなく、ということは、まず、それに耐え得る音を鳴らす技術を各楽団員が持っているということで、かつ、それをまとめ上げる指揮者が素晴らしいということですね。
クレッシェンドやデミュニエンドの処理とか、ピアノでのレガートとか、音の切り方とか、オケ全体がピタッと合っていて、弾いている演奏者も中には楽しそうにスマイルな人もいて、聴いている方も、楽しくなりました。音楽がモーツァルトですしね!
一緒に行った妻は「オケ、ピチピチとした魚ちゃんだったね~」と言っておりました。これ、妻がよく使う褒め言葉です(笑)。
それでお目当てのブラウンリーなんですが、実力者です、はい。凄いです。間違いないですね。
さて、どう凄いのかという点でメンタルスキル的に印象に残ったことは、彼の「集中の仕方」ですね、やはり。
このブラウンリーや、今回モーツァルトピアノ協奏曲20番を弾いたネルソン・フレイレ(彼は仕事人!ていう感じ)もそうだったですし、この前聴いた海老彰子氏もそうです。
そのような一流の音楽家は、皆「集中のディレクション」を持っていると私は思っています。
それがプレッシャーのかかる舞台の上での生命線であり、そのディレクションの中を通して音楽を出す感じがして、ディレクションというか芯というべきか、それとも軸というべきか、そういう柱みたいなものがしっかりしていると感じます。
ブラウンリーは特に声楽家で身体が楽器ですので、首が「良い感じで」座っているというのでしょうか、身体全体を使って「集中のディレクション」を作っている、そんな印象を持ちました。
さて、何を集めて方向付けさせているのでしょう。
もちろんまずは自分の意識ですが、エネルギー(歌手の場合は息/呼吸)も同じ方向性になっていると感じます。
その集められた意識とエネルギーのディレクションを使って音楽する、もっと言ってしまえば、あなた自身が音楽しているというよりは、その「ディレクションが音楽する」という感じに近いと思います。
もしそうならば「ディレクションが音楽する」ことができるようになるまで練習するというのが一つの目安になりますよね。「曲が身体に入る」というのはこういうことをいうのではないかと。
演奏するための、自分の意識とエネルギーのディレクション(方向性)が、初めのうちは「暴れ馬」みたいに扱うのが難しいけれども(子供は皆そんな感じですよね!)、徐々にそういう意識を持って練習するうちに「スプリンター」に変貌していき曲を思いのままに扱えるのかもしれません。
今回のブラウンリー、最初の第一声からしばらく声が固かったのですが(大抵の歌手は普通そうですよね)、それ以降どんどん良くなっていったということは、「スプリンター」まで仕上げている自分のディレクションに絶対の信頼を置いており(これが自信なんだと思います)、そのディレクションが温まるまで、いつもと同じように意識とエネルギー(息)を流しながら待っていたということを意味しているのではないかと思っているのです。
本番で実際にお客が入ると、リハとは違う響きやそれ以外にも色々といつもと違う感覚を持つことは多いですが、今回のブラウンリーのように、初めのうち声が出ていなくても決して慌てないということは、いつもと変わらず意識とエネルギーを収束させて向かわせているところ(スペース?ライン?)があるということであり、それを私はディレクションという方向性なのではないかと思っているのですが、どうでしょうか。
ブラウンリーの場合、前に軽く手を合わせて、左サイドにいる指揮者と前方を交互に見ながら小さな振り子のような動きを伴って歌っていましたが、その身体の動きになるというのは、軸が縦にあるということであり、彼の意識とエネルギーの集中ディレクションも縦にあるのではと感じました。

