真っ青な秋空。
叔母の野辺送りにふさわしいお天気です。
昨日はギリギリまで、叔母の人生を投影するスライドショーを作っていました。
この写真は、私が1番いいなと思った写真です。
真っ赤なサマーセーター、華やかなスカート、そして高価な帽子。
農家の家に生まれ、一生を同じ町で過ごした人にしては、とてもおしゃれでかわいい人でした。
親族は8時半に集合し、お寺さんにお経をあげて頂いた後に、火葬場に移動します。
途中、叔父と叔母が切り盛りしていたお寿司屋さんの前に立ち寄り。
ご近所の人たちが既に集合していて、叔母と最後のお別れをしてくださいます。
火葬場に到着し、またお経。
1時間半ほど控え室で待ちながら、みんなで叔母と、数年前に亡くなった叔父の思い出話。
出会った当時、叔母は公務員でした。
そして叔父は早くに父親を無くし、私の父をはじめ、弟妹達を育てるために、一日も早く一人前になろうと、中学校卒業するとすぐに修行に出て、板前になったのです。
お堅い人と結婚するだろうと思っていた叔母の家族は、大反対をしたそうです。
それを乗り切って数年後、寿司屋の女将さんになり、車の免許を取って、出前を担当していました。
45年間一生懸命働いてきました。
私の母も、長年一緒に働いていたこともあって、私は叔父や叔母、そして私の母の頑張りを目の当たりに育ってきたのです。
だからグレたりすることもなく、大人に囲まれて、守られて、安心していろいろなことに挑戦できるようになりました。
叔父と叔母の存在、そしてお寿司屋さんでお手伝いをさせられた事は、私の中で大きなプラスとして役立っています。
火葬場から戻り、午後から葬儀が始まりました。
このご時世なので、近親者のみで執り行いますと、新聞に掲載されたのですが、親しくしていただいたご近所の方数名にお越し頂きました。
この町で生まれ育った叔母と、長年お付き合いがあった方々ばかり。
同じ位な年回りにもかかわらず、わざわざ足を運んでいただき、感謝しかありません。
何度もお経を唱えていただき、初七日法要もついでに済ませ、体がお香で包まれた頃に、すべての葬儀が終りました
続いて葬祭センターの2階で御斎(おとき)です。
昔は、冷えた天ぷらや、ありきたりの小鉢が並んだ精進落としですが、最近はこんな素敵な盛り付けをされるのですね。
喪主を務めた従兄弟が、大盤振る舞いをしてくれました。
さすがあの叔父と叔母の息子です。
お葬式等では珍しく、ローストビーフが出てきたのは嬉しかったです。
叔母が亡くなったと聞いて居ても立っても居られず、お通夜の時にはやせ細った姿を見て悲しみ、出棺の前に棺桶を花で埋め尽くした時には涙したものですが、御斎の時には「良いお葬式だったね」と言えるほど心が落ち着いていました。
お通夜からお葬式で悲しみの段階を踏むことで、少しずつ心が癒されていくのだなぁと感じます。
お経を無心で、何度も聞くことは、亡くなった方を送り出す心の準備をする事になるのでしょうか。
生まれた時から、カトリックの家で育った私の主人も、仏教の法要を興味深げに体験していました。
こういう時に、「私は信じているものが違うから」と拒否するようなことなく、家族として積極的に参列してくれるのはありがたいと思います。
これまで何回かお葬式に参列した事はありましたが、叔母のお葬式は最後「楽しい」と言う気持ちにすらなりました。
不謹慎のようですが、天国の叔母はきっと「みんなが集まって、楽しく飲んで食べてくれて嬉しい!」と思ってくれているに違いありません。
そんな叔母でした。
親族とは、来年一周忌で会おうと約束して、別れました。
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