今の時代
発信者となって自分の生活や趣味を発信する人が増えている。
私もそのひとりとして感じたことを
文字だからこそ。書いてみたいと思う。
先に伝えておくが
自分の精神状態がしんどい訳でもなく
私は今とても楽しい。ということを理解した上で読んでほしい。
結論から言うと
発信者を生かすも殺すも
それを観ている視聴者、閲覧者だと感じた。
当たり前のことを言っているのかもしれないが
発信者として認められるのも
フォロワーさん、視聴者さんがあってこそ。
認められたということは
観てる側も「観たい」「興味がある」という事。
なのに
観てる中で少しでも気になることがあれば
潰しにかかる勢いで攻撃をしてくることがある。
それに耐えれない発信者は発信を辞めてしまう。
色んな想いや目標をもって行っていた行為を
自分の中に湧いた一瞬のモヤモヤをぶつけることで
その人の夢や目標を壊してしまうこともある。
何かを成し遂げる。人の前に立つ。
とはそういう事なのかもしれないが
そういう事でいいのだろうか?
与えてきた、一緒に共有してきたプラスの時間を考えた時に
本当に発信者を潰すような発言をすることが正しいことなのか。
文字の世界では
思ったことを簡単に言える。
発信者は顔出しをして自分の意見を発信してるが
視聴者は匿名で顔出しもせずに攻撃をしてくる。
これがどれほど怖いことなのか考えたことはあるだろうか。
街中を歩いていても
誰が自分を知っていて、誰から嫌われてるのかもわからない。
急に襲われるかもしれない。
日本なのに夜の小道を1人で歩くのが怖くなることもある。
そんな思いをしても活動するのが発信者なのだろうか。
嫌なら辞めればいい。
本当にそうなのか?
新しい道を開こうとする。
誰かに”面白い”や”情報”を与える人を応援する。
一緒に楽しむ。
それが本当は在るべき世の中なのではないだろうか。
自分の気持ちがモヤモヤするのも笑顔でいれない毎日を送るのも
他人のせいではなく、自分の言動、行動が巻き起こしてるものだと
気付くことが大切だと感じる。