2021.9.15

 

朝7時半

出張で山形市のホテルに泊まっていた私に届いたお父さんからの1件のメッセージ

 

おばぁさんが逝きました

 

前日、山形に向かう前に

田麦俣の家まで行き、お父さんに荷物を車越しに渡し

「明日、帰りに寄るからね」と言っていた。

 

打ち合わせを終えて

午後には家に着き

居間に寝ているおばぁと対面した。

 

まだ少し暖かく、でも冷たく

顔や体は痩せ細っていた。

 

 

 

 

6月に聖火ランナーを行なって

ユニフォームやトーチをおばぁに持たせて

楽しくお話ししていた数日後におばぁは入院した。

 

高齢による末期心不全と肺炎

 

手術出来る状態でもなく、本人次第の容態で

私はすでに福岡に行っていた為に

予定を早めてすぐに山形に戻った。

 

2週間後、個室で面会をした時にはまともに会話が出来るようになっていた。

絵本を渡し

「いつ会えるのが最後になっても、これと一緒にいてね」

と伝え、おばぁも

「いつ逝っても気にしねでの」

とお互いに気持ちを決めて病室を後にした。

 

その後退院し

家で1ヶ月ちょっと過ごしたが

少しずつ弱っていく姿をみていた。

 

 



小さい頃はお父さんもお母さんも忙しく

いつもおばぁさんと1つ上のお兄ちゃんと過ごす時間が多かった。

おばぁさんの存在は私にとってとても大きく

いなくなる事を考えたこともなかった。

 

歳をとって力がなかったり

歩けなくなってきたおばぁの代わりに

畑に水をやったり、山菜採りに行ったり

家の裏から疲れて帰れなくなった時は

おんぶをしてまだ雪が残る道を帰ってきたり。

 

一緒に過ごせる時は

全部おばぁの為に過ごしてきた。

 

おばぁが好きな食べ物を買ってきたり

おばぁの為にのど自慢に出場したり

おばぁの為に聖火ランナーをしたり。

 

私が車いすになって悲しむおばぁを見たくなかったから

毎日を一緒に楽しく過ごす為に

前向きに行動していこうと思った。

 

だからこそ

亡くなった姿を見ても

悲しくはなかった。

会えなくなって寂しい思いはあるけど、辛い気持ちは1ミリもない。

 

 


 

年長の時に

おじいさんが事故で亡くなったが

うっすらとした記憶しかない。

 

中3の時に

母方のおじいさんも事故で亡くなったが

その時の記憶もあまりない。

 

まともに亡くなった人を見るのは

おばぁが初めてだったけど、

おばぁの姿はとても美しかった。

 

人生を全うした人の姿は

こんなにも綺麗なんだと思った。

 

納棺師さんの手によって

より綺麗になったおばぁを

いつまでも眺めてられました。

 

人はいつか死ぬ。

おばぁのようにずっと健康で大往生の人もいれば

幼いながらに病気で亡くなる子もいる。

生きてることが辛くなって

自分で命を経つ人もいる。

 

いろんな命がある中で

自分はどういう選択をしていくのか

どういう運命が待っているのかはわからない。

 

でも

今言えることは

この文章を書いている今は生きているということ。

 

だから私は

未来を信じながら

今の自分が最高の時を過ごせるように行動していきたい。

 

亡くなった時に

美しいと思われるような生き方をしていきたい。

 

 

 


余談ですが
田麦俣は神道になります。

”花かご”というのがあり
亡くなった人が準備していた小銭と紙吹雪と飴を入れた籠を

本来であれば家から納骨する墓まで振りながら歩きます。

それを地域の人たちが拾います。

 

セレモニーでお葬式が行われるようになってからは

花かごの風習もなかったのですが

今回はセレモニーに行く前の家の前で行いました。

 

悲しんで送るのではなく

明るく送る風習が私は好きです。